自在コラム

⇒ 日常で観察したことや環境問題、金沢大学での見聞、マスメディアとインターネットについての考察を紹介する宇野文夫のコラム

★メディア縦乱‐5

2008年02月26日 | ⇒メディア時評

 農業と環境の問題にいち早く警鐘を鳴らしたレチェル・カーソンは1960年代に著した「サイレント・スプリング(沈黙の春)」に、「春になっても鳥は鳴かず、生きものが静かにいなくなってしまった」と記した。農薬を使った農業で収量は上がったが、生き物は静かになったと警告したのだ。最近、ある現象を肌で感じた。

         「そして人は静かになった」

  「パソコンのキーボードはにぎやかだが、人は静かになった」。所用である会社を訪ねると、社員は黙々とパソコンに向かっている。受け付けのカウンターに来訪者が来ても、誰も席を立って応対しようとしない。「あのう」と声をかけて、ようやく振り向く。朝なのに、その職場には「おはよう」とあいさつを交わす言葉も飛び交っていない。沈黙の職場だった。おそらく、隣の席との会話もやり取りはメールで行なっているに違いない。

  「固定電話のベルはにぎやかだが、人は受話器を取ろうとしない」。最近よく「自宅にいると固定電話に恐怖に感じる」と耳にする。日中かかる電話はセールスやらアンケートがやたらと多く、応対にうんざりする。しつこく何度でもかかってくる電話もある。受話器を取っても、「はい、○○ですが」とこちらから名乗らないという人が多い。オレオレ詐欺もある。ヘタに電話に出るととんでもことになる、いっそうのこと固定をなくし、携帯電話だけでもよいと考えている人が意外と多い。

  「テレビはにぎやかだが、人は見ていない」。テレビはつけておくだけ、という人が増えている。CM総合研究所は、3ヶ月ごとに実施するモニターへのテレビ視聴実態調査で各年齢層のテレビ視聴パターンを「ながら視聴」と「専念視聴」に分けてデータを採集している。それだと、テレビ視聴時間のうち「専念視聴」と「ながら視聴」はそれぞれ5割。つまり、半分の時間はなんとなくテレビをつけているだけ。「テレビは第2の空気」化しているのである。

  パソコン、電話、テレビを象徴的に取り上げたが、われわれを取り巻くの通信手段やメディアの有り様が変化しているように思える。そして、人は知らず知らずのうちにコミュニケーション能力を失いつつある。レチェル・カーソンの「サイレント・スプリング」流にいえば、「パソコン、電話、テレビはにぎやかだが、人は静かになった」。これはある意味で次に到来する社会の予兆かもしれない。ちょっと気が重い。

 ⇒26日(火)夜・金沢の天気   くもり  

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☆メディア縦乱‐4

2008年02月24日 | ⇒メディア時評

 関西テレビのホームぺージに2月19日付で「お詫び」が掲載されている。北京オリンピックの広報文をマスメディア各社に流した際に、誤解を与える内容があったと釈明したものだ。まずはその文面を以下読んでみる。

    関テレ「お詫び」とオリンピック番組の行方

  【お詫び】2月4日付で「北京オリンピック」を放送するかのような誤った番組広報情報を報道各社にリリースしてしまいました。日本民間放送連盟を除名され、現状では「北京オリンピック」の放送ができないにもかかわらず、このような事態をまねき、視聴者の皆様はじめ、関係各位に多大なるご迷惑をおかけし、深く陳謝いたします。改めて今回の件を肝に銘じ、原因の究明と再発防止に努め、再生への取り組みに邁進してまいる所存です。

  しかし、これだけではなぜ関西テレビが北京オリンピックを放送できないのか、視聴者は釈然としないだろう。もう少し背景の説明が必要だ。去年1月に発覚した関西テレビの番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」の納豆データ捏造問題で、日本民間放送連盟は(民放連)は4月19日付で関西テレビを除名処分にした。このことになぜ北京オリンピックが絡んでくるかというと、日本におけるオリンピックの番組を取り仕切るのはNHKと民放連で構成するジャパンコンソーシアム(Japan Consociam=JC)という組織だからである。JCは1984年のロサンゼルス五輪以来この枠組みでオリンピックのほかワールドカップ・サッカーなど大型の国際スポーツイベントを取り仕切っている。民放連から除名処分を受けている関西テレビはこの枠組みから自動的に外れるのでオリンピックの番組は放送できないことになる。

  このような状況であることを知りながら、関西テレビの宣伝部はフジテレビから北京五輪の番組広報データを受け取って、主語に自社名を加えて「フジ・関西テレビ」と書き直して、2月4日付で報道各社にニュースリリースした。広報文には「フジ・関西テレビの北京オリンピック中継…」など、五輪中継を前提とした表現になった。このリリース文を受け取った新聞各社は、「関西テレビは民放連に復帰することを見越してリリースを出しているのか」と問い合わせてことの次第が分かったということらしい。

  単純ミスなのだろうが、それにしてもタイミングが悪かった。関西テレビの民放連復帰について意見集約していた近畿の民放18社の社長らが、この広報のあり方を問題視し、2月18日の会合では結論を持ち越した、との新聞報道もあった。慌てた関西テレビ側はそのけじめとして、22日に記者会見して、平井誠信・常務取締役を減俸10分の1(1カ月)、編成局長と広報を作成した編成局宣伝部の部長をそれぞれ賃金日額2分の1の減給(1カ月)にしたと発表した。しかし、この処分が致命傷になったと私は分析する。民放連とすると、1年後くらいに「粛々と制裁を解除」のシナリオを描いていたのが、関西テレビが役員を処分したことが返って今回のフライング問題を大きく見せてしまう結果になり、民放連は「粛々」とやれなくなったのではないか。単なるフライングとしては済まなくなったのである。

 民放連に復帰できないと、関西エリアではフジ系のオリンピック番組は視聴できなくなる。可能性として、関西テレビやフジが資本参加しているKBS京都や、サンテレビなど関西の独立U局(系列に属していないローカル局)に番組を流してもらうことになるのではないか。経営陣はそのようなことも視野に入れながら対応策を練っているに違いない。あくまでも想像である。(※写真は1月11日、中国・西安空港で撮影したオリンピックのPR塔)

 ⇒24日(日)夜・金沢の天気   雪

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★メディア縦乱‐3

2008年02月17日 | ⇒メディア時評

 韓国の新聞社「朝鮮日報」のインターネット版をたまに閲覧する。2月11日付の記事に目が覚めた。「韓国のゴミ海洋投棄の実態 下水汚泥の70%が海へ」。日本海側に住む我々がいつも実感していることだ。海岸を歩くと、ハングル文字のペットボトルやプラスチックの漂着ゴミが目立つ。「そうか、ゴミは人為的に流されているのか」と見出しだけで理解した。

     記事になった日本海のこと

 以下、朝鮮日報の記事を要約して紹介する。海洋汚染を防ぐため、1972年に採択された「ロンドン条約1972」は、海にゴミを投棄することを厳しく規制している。これまでに81カ国がこの条約を批准しており、韓国も93年にようやく批准した。ところが韓国政府は、地上のゴミ埋立地が不足していることや、生ゴミの埋め立てによって悪臭や地下水の汚染といった公害が発生していることを理由に、88年からゴミの海洋投棄を認めてきた。93年にロンドン条約を批准した後もそれは続いてきた。廃棄物の海洋投棄にかかる費用は、種類によっては陸上処分に比べ90%近くも安くつくため、廃棄物処理業者はゴミを海に捨ててきた、という。

  韓国に比べ、日本は海の川下にあたる。韓国でゴミを捨てれば、その流れていく先はどこか、まずは能登半島、佐渡島である。地元では民間団体が「クリーン・ビーチ」キャンペーンなど行なっているが、この事実を聞けば愕然とすると同時に義憤が沸くだろう。「これは外交問題ではないのか」と。

  もう一つ日本海で問題となっているのが厄介者のエチゼンクラゲである。重さが200㌔にもなり、魚網や魚を傷める。かつてエチゼンクラゲの大量発生は40年に一度ほどといわれてきた。ところが、ここ数年は毎年のように日本海で多くの漁業被害をもたらしている。エチゼンクラゲの発生海域は東シナ海・黄海と見られる。そこで、調査が必要となるのだが、2月11日付の朝日新聞によると、昨年11月、エチゼンクラゲ問題を日中韓で研究する会合をつくり、日本側がDNA分析の費用負担を中国側に申し出たが、中国側は難色を示した。なぜか。中国側は「発生源」とされることを嫌っているのだ。エチゼンクラゲは1日に20㍍プール2杯分の海水に含まれる動物プランクトンを食べ、稚魚や卵を食べる(同日付・朝日新聞)。中国にとって、韓国、日本は川下に当たり、「そんなの関係ねぇ」という雰囲気だ。

  中国製ギョーザの中毒事件発覚(1月30日)を象徴として、我々は食の安全や環境汚染に敏感になっている。こんなことが解決できないで、経済だ外交といわれても国民の目線からは納得できない。洞爺湖サミット関連の会合が3月14日から始まる。そのスタートが「気候変動、クリーンエネルギー及び持続可能な開発に関する対話」だ。世界の温室効果ガス主要排出国20ヵ国の環境・エネルギー担当大臣に加え、関係国際機関、産業界やNGO・NPOの代表等が参加し、気候変動・地球温暖化問題について議論する。開催地は千葉となっているが、この時期はそろそろ黄砂の季節だ。むしろ、日本海側でやってもらった方が、地球環境問題の実感が沸くかもしれない。

⇒17日(月)夜・金沢の天気  くもり

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☆メディア縦乱‐2

2008年02月11日 | ⇒メディア時評

 来年09年5月までに裁判員制度がスタートする。司法のプロに加え、一般市民が評決に加わることになり、メディアも対応を迫られている。日本新聞協会は1月16日に「裁判員制度開始にあたっての取材・報道指針」を公表した。しかし、それは指針というよりガイドラインで、各社の自主性に委ねるとの内容だ。日本雑誌協会などは見直し不要との見解(1月22日公表)を示すなど、メディアの足並みもそろっていない。

       裁判員制度で供述報道はどう変わる

  なぜメディアが対応を迫られているかというと、分かりやすく言えば、プロの裁判官と違って、評決に加わる一般市民はテレビや新聞の報道に引きずられる可能性があるとの懸念が司法側にあるからだ。踏み込んで言えば、容疑者や被告を犯人(有罪)と決めつける、いわゆる「犯人視報道」が裁判員に予断を与える恐れがあるというのだ。

  02年に政府の司法制度改革推進本部の「裁判員制度・刑事検討会」では、公正な裁判を妨げないために取材や報道規制を法律に盛り込むべきだとの論議がなされた。翌03年3月の司法制度改革推進本部の「たたき台」では、「裁判の公正を妨げる行為の禁止」が組み込まれ、「報道機関は裁判員に事件に関する偏見を生じせしめないように配慮しなければならいないものとする」とする「偏見報道禁止規定」が明記され、報道の自由への侵害に当たるなどと大きな問題となった。最終的に04年1月の政府骨格案「裁判員制度の概略について」では、偏見報道禁止規定は盛り込まれなかったが、裁判員への接触禁止規定と個人情報の保護規定が設けられ、04年5月、裁判員法は国会で可決・成立した。

  しかし、司法側の懸念を残しながら成立した法律だけに、メディア側も自主ルールを作成するなどの対応が求められた。冒頭の日本新聞協会が公表した裁判員制度に伴う取材・報道の在り方の確認事項は次の通り。

  ▽捜査段階の供述の報道にあたっては、供述とは、多くの場合、その一部が捜査当局や弁護士等を通じて間接的に伝えられるものであり、情報提供者の立場によって力点の置き方やニュアンスが異なること、時を追って変遷する例があることなどを念頭に、内容のすべてがそのまま真実であるとの印象を読者・視聴者に与えることのないよう記事の書き方等に十分配慮する。
 ▽被疑者の対人関係や成育歴等のプロフィルは、当該事件の本質や背景を理解するうえで必要な範囲内で報じる。前科・前歴については、これまで同様、慎重に取り扱う。
 ▽事件に関する識者のコメントや分析は、被疑者が犯人であるとの印象を読者・視聴者に植え付けることのないよう十分留意する。=日本新聞協会ホームページから=

  上記の3点事項を要約すると、供述やプロフィル、前科・前歴、識者の分析などを慎重に取り扱うように求めている。3点事項をもとに、今度は加盟各社が自主ルールをつくることになる。しかし、「ヘタにルールをつくって、取材現場が萎縮しては元も子もない」というのが新聞各社の本音だろう。典型的な例が、記者が「夜討ち朝駆け」で得た自供内容の取り扱い。捜査当局の取り調べ手法はまず自供を引き出すことにあり、この情報にいち早くメディアが接することでスクープ記事が生まれる。それをたとえば、「供述報道は犯人視報道とうけとられかねないので自粛する」とルール化すると、記者は夜討ち朝駆けの取材意欲を失う。特に社会部など取材現場は、警察(サツ)での取材を記者教育の基本と考えているので、「サツネタが取れなくなる自主ルールはジャーナリズムの自殺行為だ」と猛烈に反発するだろう。

 1980年代後半、新聞やテレビメディアは、それまでの被疑者の呼び捨てから容疑者や肩書呼称の報道へと改めた。推定無罪の原則に反すると司法側からの強い要請があったからだ。当時、呼び捨て報道を改めることで、随分と取材現場の意識が変わった、とは私自身の体験でもある。その後、プライバシーの尊重や、個人情報の保護といった司法の流れとある意味で同調しながら取材手法も徐々に変化してきた。

  しかし、供述報道は警察の取り調べ手法が自供である以上、変わらない。コインの表裏である。つまり、報道側だけが姿勢を改めるというのは無理があるのではないか。となると、自主ルールといっても、テレビ番組のお断りテップのように、記事の末尾に「自供に関しては裁判で覆される可能性もあります」の表現を入れるか、情報の出所を明記するなどの配慮が精いっぱいではないのか。

 ⇒11日(祝)夜・金沢の天気   はれ

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★メディア縦乱‐1

2008年02月08日 | ⇒メディア時評

  ディプロマ・ミルという言葉をご存知だろうか。Diploma Mill、直訳すれば証書工場となるが、ディグリー・ミル(Degree Mill)、学位工場の方が分かりやすいかもしれない。その国で大学と認定されていない機関から「学位」取得することである。学位商法とも呼ばれる。この問題がメディアを巻き込んだ「ある事件」へと展開した。以下、まとめる。

       記事の裏づけ

   ディプロマ・ミル問題が明らかになったのは、私が勤める金沢大学。文科省は昨年末に公表した全大学・短大を対象にした調査で、44大学の教員49人の非認定学位が、採用・昇進の際に経歴に記載されていたと公表した。それを詳細に取材フォローした1月26日付の朝日新聞によると、金沢大学医学部保健学科で理学療法を教える男性教授は、2002年にニューポート大学の博士号を取得した。03年にこの学位も記載した書類で選考に臨み、助教授から教授に昇進した。教授選考では、業績、博士の学位、教育の経験など3つの条件が総合的に判断される。選考過程で「ニューポート大とは何だ」と話題になったが、業績が優れているため昇進が認められたという。また、同じく医学部保健学科の女性准教授(看護学)は1997年にこれも同じくニューポート大の修士号を取得して経歴に載せ、99年に講師から昇進した、との記事内容だった。

  今度は、これを報ずるメディア側に問題が起きた。この朝日新聞の記事を後追いしたかたちで、1月27日付の読売新聞石川県版では、金沢大学の男性教授と女性准教授がアメリカで学位と認められていない学位を取得し、経歴として使っていたこと、それに対する大学の見解についての記事が掲載された。ところが、大学側の見解は実際に取材しておらず、ネット上の「アサヒ・コム」などを見て執筆してたことが、大学側から読売新聞に対する問い合わせで判明した。ことの顛末は2月1日付の朝日新聞で「読売記者、取材せず記事」という3段抜きの見出しの記事となった。

  そのときの状況を推察すると、朝日の掲載日は1月26日、土曜日である。読売の掲載日は27日、つまり日曜日。とうことは、読売の男性記者が執筆したのは26日の土曜日である。大学の業務は休み。記者はおそらく広報に問い合わせたのだろうが、確認できなかった。そこで、やむなく他紙の記事を参考に書いてしまった、というパターンなのだろう。本来、広報が休みならば、学長に確認するというくらい気構えがないと記事は書けない。が、記者は「簡単、お手軽」なネットの記事を漁ったということなのだろう。記者はその後、休職1ヵ月の懲戒処分となった。

  取材の裏付けなしの記事は、新聞メディアの世界では「あるまじき行為」とされる。捏造とは次元が異なるが、いわば記者として「信頼を損なう行為」である。もちろん、メディア側の不祥事をあげつらって、ネタ元となった大学側の問題に煙幕を張るというつもりでブログを書いたわけではない。

 ⇒8日(金)夜・金沢の天気   くもり

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☆早春、トキの旅~下~

2008年02月06日 | ⇒トピック往来

 トキがすでに急減していた1940、50年代、日本は戦中・戦後の食糧増産に励んでいた。レチェル・カーソンが1960年代に記した名著「サイレント・スプリング」には、「春になっても鳥は鳴かず、生きものが静かにいなくなってしまった」と記されている。農業は豊かになったけれども春が静かになった。1970年1月、日本で本州最後の1羽のトキが能登半島で捕獲された。オスの能里(ノリ)だった。繁殖のため佐渡のトキ保護センターで送られたが、翌71年に死亡した。解剖された能里の肝臓や筋肉からはDDTなどの有機塩素系農薬や水銀が高濃度で検出された。そして、2003年10月、佐渡で捕獲されたキンが死亡し、日本産トキは沈黙したまま絶滅した。

        雪上を歩くトキ

  上記のように書くと、農薬を使った農業者を悪者扱いしてしまうことになるが、私自身は、都市住民のニーズにこたえ、農産物をひたむきに生産してきた農業者を責めるつもりは一切ない。東京で有機農産物の販売を手がける「ポラン・オーガニック・フーズ・デリバリ」社長の神足義博氏も、「これまで都市住民に農産物を供給してきた農業者に『ありがとうございました』とまずお礼を言おう。そして、『これからどうやってなるべく農薬を使わない農産物をつくることができるかいっしょに考えましょう』とお願いをしよう」と提唱している(08年2月1日の講演)。有機農産物を増産するためには、全体的な方向転換しかない。トキやコウノトリが生息できる農村の環境を再生するためには地域の合意形成がどうしても必要なのだ。その合意形成は、過去の批判からは始まらない。

  中国のトキ調査は大雪にはばまれ、7人の調査チームのうち、私を含む2人は西安市の「珍稀野生動物救護飼養研究センター」でのヒアリング調査を終え、帰国することになった。残りの5人はさらに天候を見はからいながら、西安から11時間の列車に乗って、陝西省洋県へと向かった。以下は、その調査スタッフが見た洋県のトキの様子である。

  洋県では1981年に7羽の野生のトキが発見されて以来、保護と繁殖が進められ、現在では400羽余りの野生トキが確認されている。農地の一部には水を張る冬季湛水(たんすい)が実施されていて、今回の調査でも田畑で羽を休めたり、餌をついばむ10羽ほどのトキが確認できた。ある意味でダイナミックだったのは、トキが観察できた農地の周囲は民家が建ち並ぶ市街地のすぐそばにあり、人里と共存している。事実、田んぼの中を歩く調査スタッフの横をかすめるようにして飛ぶトキもいた。

  こうした田畑や水路を調査すると、トキの餌となるドジョウやカエルが豊富にいた。田んぼの水路にはコンクリートは使われておらず、そうした水生生物が移動しやすいようになっている。ところどころに、深水を張ってハスを栽培するハス田がある。このハス田と田んぼが水路でつながっていて、両生類などの生き物の供給源になっている。冬の餌場を確保するため、水辺面積を増やしてそこに常水を張るようなことも地域で取り組んでいる。トキと共生する人里の風景がそにあった。 (※写真は雪上を歩くトキ=珍稀野生動物救護飼養研究センター)

⇒6日(水)朝・金沢の天気   くもり

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★早春、トキの旅~中~

2008年02月05日 | ⇒トピック往来

 今回の中国・陝西省でのトキ調査の旅程でずっと考えていたのは、根絶やし(絶滅)させられるほどトキに罪はあったのかということである。本州最後の野生のトキがすんでいた能登半島ではドゥと呼ばれ、水田の稲を踏み荒らす「害鳥」とされてきた。ドゥとは「ドゥ、ドゥと追っ払う」という意味である。昭和30年代、地元の小学校の校長らがこれは国際保護鳥で、国指定の特別天然記念物のトキだと周囲に教え、仲間を募って保護活動を始めた。しかし、そのとき能登では10羽ほどに減っていた。

      哀愁ただよう鳴き声

  本当に害鳥だったのか。機中で読んでいた「コウノトリの贈り物~生物多様性農業と自然共生社会をデザインする」(地人書館・鷲谷いづみ編)によると、兵庫県豊岡市でもコウノトリはかつて「稲を踏み荒らす」とされ、追い払われる対象だった。ところが野生のコウノトリを県と市の職員が観察調査(05年5月)したところ、稲を踏む率は一歩あたり1.7%、60歩歩いて1株踏む確率だった。これを総合的に評価し、「これくらいだと周囲の稲が補うので、減収には結びつかない」としている。それが「害鳥」の烙印をいったん押され、言い伝えられるとイメージが先行してしまう。今回の中国のトキ調査でも同行した新潟大学の本間航介氏は「農村の閉塞状況の中でつくられた犠牲ではないか」(08年1月26日・シンポジウムでの発言)という。つまり、つらい農作業の中で、ストレスのはけ口の対象としてトキやコウノトリが存在したのではないか、との指摘である。

 そして、絶滅にいたる過程で指摘される「食鳥」としてのトキがいる。産後の滋養によいとされた。そして、簡単に捕獲された。能登の古老に聞いた話(07年12月)だと、2尺(60㌢)ほどの棒を、地面を歩くトキの頭上に投げる。ビュンビュンという棒の回転音を、トキは天敵の猛禽類(ワシやタカ)の襲来と勘違いして、草むらに逃げ込みジッと身を潜める。それを手で捕まえる。

  かつて東アジアの全域にいたとされるトキは水田を餌場としたがゆえに、追い払われ、食べられ、そして体内に蓄積した農薬(DDTなどの有機塩素系農薬など)で繁殖障害を起こし、日本では絶滅にいたる。

  中国で初めて生きたトキの姿を見たのは1月12日。この日は大雪で高速道路が閉鎖され、陝西省洋県に行く日程を変更して、西安市の中心から70㌔ほど離れた「珍稀野生動物救護飼養研究センター」に向かった。パンダやキンシコウ(「西遊記」のモデルとされるサル)など希少動物が集められ、飼育されている。ここにトキが250羽ほどケージで飼われている。

  ケージの中で、つつきあってじゃれている。これまで見てきた剥(はく)製ではない、動物らしい生きた姿がそこにあった。もう繁殖期に入ったのだろうか、頭の毛の一部が灰色になっている。「エサとなるドジョウは1羽あたり300㌘、数にして十数匹食べる」と、案内してくれたトキ管理課長の張軍風さんが説明した。

 初めて鳴き声を聞いた。クアァ、クアァとカラスの鳴き声より低い。山里に響く、幼いとき聞いたような、どこか哀愁を漂わせる鳴き声だった。(※写真は珍稀野生動物救護飼養研究センターのトキ)

 ⇒5日(火)朝・金沢の天気    くもり

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☆早春、トキの旅~上~

2008年02月04日 | ⇒トピック往来

 「長い正月休み」をいただいた。1月の「自在コラム」のアップが2件、05年4月にブログをスタートさせてから、月間でもっとも少ない件数となった。惰眠をむさぼっていたわけではない。言い訳はほどほどにして、「1月はネタの仕入れ期間だった」と自分なりに解釈して、ブログ生活を再開したい。

        上海は視界不良

  1月11日から4日間、短期間だったが、中国・陝西(せんせい)省を訪れた。冬のトキを観察する狙いがあった。新年度からトキに関する「生態環境整備および地域合意形成に関する学際研究」を始めるに当たって、どうしても一度見ておきたいと思い調査団に加えてもらった。金沢大学の「里山プロジェクト」(研究代表者・中村浩二教授)に関わっていて、トキと共生できるような里山環境を再生しようというのが、研究の狙い。どこからトキを持ってきて放すといった力技の利いた話ではない。

  11日は成田から上海、そして西安と飛行機を乗り継いだ。上海浦東国際空港ではトランジットツアーを試みた。上海リニアで市内に足を延ばした。時速430㌔の車窓から見える風景は、目が慣れないこともあって、コマ送りの状態で見える。2010年の上海万博を控えているせいか、沿線の古い工場群や民家などが広範囲に取り壊されていた。帰国後、新聞のニュースで知ったのだが、万博会場までリニアを延伸する計画が進行中だが、大規模な反対運動が起きているようだ。終着駅・龍陽路まで距離にして30㌔、時間にして7分20秒ほど。それにしても上海は霧に覆われ、視界不良。しかも煤煙と混ざって薄黄色の世界だった。化石燃料を燃やしたような鼻につく匂いもある。上海の人民広場まで行こうかと思ったが、時間の都合もあり断念。再びリニアで空港に戻った。

  「空の玄関口」でありフロアはピカピカみ磨かれている。「小心地滑」との注意看板があちこちに。滑るので注意してと呼びかけているのだが、清掃員を観察すると、ワックスがけをしている。これって矛盾ではないのかと思いつつも、西安行きの国内線の搭乗口に着いた。妙に混雑しているので、悪い予感がしていたのだが、案の定、霧のため離発着が遅れに遅れている。グランドのスタッフを囲んで乗客が何やらまくし立てている光景がいくつかあり、騒然としていた。西安行きの飛行機は1時間20分ほど遅れて飛び立った。

  この日は強い寒気が大陸を覆っていたせいで、その日の夜到着した西安は気温マイナス1度、初雪。何しろこの日はイラクのバクダットでも雪が降ったというニュースが現地で流れていた。(※写真は霧に包まれた上海市街)

 ⇒4日(月)朝・金沢の天気    くもり

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