不思議なことだが、毎日少しずつやるべきことがある。やらないと、先になって困るから、やるべきことなのである。
考えてみれば、不思議であるが、食事をしなければ生きてはいけないから、必ず食事をする。そのためには、買い物もしなければならない。水も飲む必要がある。多くの人々のおかげで、日常生活は便利になっている。水は、深い谷ぞこまで汲みにいくこともなく、きれいなおいしい水が飲めるのである。
こうして、人間の寿命は伸びてきた。苦労がないから、その分長生きとなっているのだろう。長生きすることで、生物として、何か意味があるかといえば、それには答はないだろう。
飼い猫も、明らかに寿命が伸びている。人間とともにきびしい環境をのがれ、食事もゆっくりできて、避妊や去勢があれば、生存競争からも免れる。個としての猫は、明らかに楽だろうし、長生きもするだろうが、それがどうしたといえば、それまでだ。
基本的な生きるためのことだけではなく、いわゆる仕事があるということは、強制的な意味がある。やらなければ、影響を受けて困る人がいるのである。それが不思議に生きがいとなる。
そう思えなくなったとき、完全引退ということになるのだろう。そんな時期が迫っている。