こころを自由にするということは、信条をもたないことだという人がいる。信条をもたないということは、日々の行動の指針というか、基準をもたないということだろうか。そんな生き方が可能なのだろうか。
日常生活において、いちいち、価値観に基づいて行動しているというわけにはいかず、流れのままにに幼少期からの教育によって、培われた「指針」のようなものに従って生きているように思うが、そんなものからも、自由になっているということなのか、恐らく、そういう意味ではないのだろう。
固定した価値観、何か決め事をすること。神がいないとか、いるとか、宗教はこれでなければとか、右でも左でも成立することを、右でなければならないとか、そんな類のことなのかもしれない。
そういう意味なら、うなづける。たしかに、こうした信条は、自分を縛ることになるだろう。柔軟に、どのようにでも変化できるこころの自由を獲得することは、大事なことだと思う。