この年になれば、もう世間のことをあまり気にする必要はないのではと思う。自分の思う通りにして、それほど不都合が起こるとも思えない。もちろん反社会的なであることがわかっていることなど、する気もないが、付き合いとか、どうでもいいと思えることは、自分の思う通りにしていいと思う。
多少の非難があっても構わないし、不満に思われても、構わない。どう対処するかは、こちらの意向しだいなのだが、どうにも、こうした付き合いには、消極的な気分となって、それほど気が進まないのである。こうした時に、フランクに、迎え入れ、来ると聞けば、じゃー、なんか集まりを持とうじゃないか、と呼びかけられない。自分で、ブレーキをかけている。
どうしてなのかと思うと、それは、幼少期からの体験もあるだろうし、青年期になっても、人不信のような感覚があって、緊張するのかもしれない。気安くなれないので、それが相手にも伝わるのか、この年になっても、みんなと同様な、扱いをされないところがある。相手にしてみればこちらのことも、感じているので、あえて、選択できるようなカッコウをとるのかもしれない。
今回、宛名にはいれてくれているのだが、直接のよびかけはない。では、好きにすればということになってしまう。フランクになるということはむずかしいものだ。