今朝の朝日新聞朝刊に、横見出しに、数学ABC予想「証明」とある。世紀の快挙とある。数学者でも、なかなか理解できないという証明らしい。
こういう業績は、どんな意味があるのだろうか。数学は、早期に挫折して、その後、なんとか初歩的なところからでも、理解したいものと、本だけは結構集めてある。
少しずつでもいいから、その中心的な理解というわけではなく、せめて、大学入試問題ぐらいはスイスイ解けるようになりたいと思ってきた。
ところが、多くの数学者が、解けなかった難問が証明できたというこの種の出来事は、同じ時代に生きていながら、とても理解できそうにないことが語られているわけで、ほんとうに神秘的なものであるように感じられる。
その証明は600頁にもなり、修正されてそうなったという。わかり易いことと同時に、とんでもない難解な事象があって、人類の多様さ、奥深さを痛感させられる。
どのように「証明」したのか、その道筋をわかり易いことばで、説明できないのだろうか。数学は、順を追って、理解していかないと、その先端までは行き着かないもののようである。
その最先端は、だれもが理解できるわけではなく、その近傍の人がやっと理解できて、「証明」できたということになるようなのだが、恐ろしい世界があるものだ。