ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

龍田古道を歩いてきた5

2021年03月08日 20時51分18秒 | ウォーキング

コースはここから大和川方面に
下っていくのですが、



その前に一か所寄っておく必要があります。

それは「龍田本宮御座峰」です。

龍田大社の風神の降臨地と
伝わっているところです。

この里山公園のさらに上に
その場所があるというので、
ここは是非行っておきましょう。

広い自動車道を上がってゆきますと、
このあたりからは奈良方面の景色が
めちゃめちゃ気持ちよく見えます。



橿原方面ですね。
あの大和三山が一望にみえるんです。
正月に歩いた橿原神宮、
大和三山をめぐり歩いた場所が
全部見えています。



これはまあ昔の人にはたまらん景色でしょうねえ。
ずらーと見渡せる景色の前に、
doironもしばらく立ち尽くしてしまいました。

大阪側にはあべのハルカスも
見える景色がありましたが、
ここはまた大和の地を見下ろす
すごい景色でした。
こんな所だったか
らきっと風神も
舞い降りてくるんでしょう。

そんな景色を見ながら歩いて行きますと、
道の左側に「御座峰」への
案内看板が現れましたよ。



案内に沿って急な山道を登ってゆきますと、
山の林の中に広場がありました。



ああここが御座峰かあと思ったのですが、
神域で中に入れないように
ロープが張られています。
資料ではこんな石が建っている
はずなんですがねえ、



でも奥には入ってゆけないので
確認できません。
仕方ないですね。
御座峰であることを頭において
しっかり拝んでゆきましょう。

おりしも山地に吹く風が、
ざわざわときつくて
風神を感じさせてくれましたねえ。

では先ほどの里山公園の方に下っていきます。

それにしてもこの公園は
気持ちのいい所ですねえ。
風神が好みそうなところです。

その公園の先を左折して、
大和川の方へと降りてゆきます。



かなり急な傾斜の自動車道ですねえ。
ここを登ってくる若い男性もいました。
いでたちは歩き人です。
あんなに若い時から歩いていれば、
さぞかしいろんな景色を
眺めていくんでしょうねえ。

doironもしっかり負けないように
歩いてゆきましょう。

やがて景色は広い芝生のような
ところに出てきます。
森も建物も何もないだだっ広いところです。
お、マムシ注意と書かれていますよ。



芝生に入っちゃいけないよ
という警告変わりでしょうかねえ。

まあ景色の良かった山からどんどん下って、
降りたところにあったのが
「峠八幡神社」です。



このあたりの地域は柏原市の
「峠」という字なので
こういう名前になっています。
いやあ先ほどの山の上が「地下」地区で
山の下が「峠」地区とはねえ。

この神社の祭神は武運の神
として知られる「品田別尊」。

この前が竜田越え街道だったので
武士も多く通ったのでしょう。
そしてこの神社の下にあるのが、
地蔵菩薩坐像です。



地蔵にしては珍しく、
半跏趺坐しています。

龍田古道の段3弾では、
高井田を通てここに出てくる形になります。

その竜田越え街道を左折して
しばらく歩いたところが、
大阪府と奈良県の境の部分に到着します。

資料を見たら、大阪では
「竜田道」で奈良県では
「龍田道」といわれるみたいですね。

住宅街に入って、大和川に出てきたところに
「関地蔵」があります。



「龍田関」があったところですね。
その横には大きな大和川が流れています。



下界の方も広々していますねえ。
川が作ってきた平地なんでしょうねえ。

そして道はようやく「三郷町」の駅に到着です。



こんなマンホールが町民に
呼び掛けていますよ。



今回はここまでで終わりです。
続きは第2弾で行くことにしましょう。

電車で高井田まで帰り、



そこから帰宅していった
久しぶり歩きのdoironだったのでした。

 


龍田古道を歩いてきた4

2021年03月07日 21時08分01秒 | ウォーキング

この金山媛(かなやまひめ)神社は、
日本最古の金属の守護神
といわれています。

祭神は鉄がとれるところに生まれたとか、
金ぴかの金属を身に着けていた
というそんな話があったのかなあと思うでしょ。
でもちょっと違うようですね。

金山媛は伊邪那美命が
火之加具土神を生んで大火傷をした後に
生まれた神です。
伊邪那美命が火傷で吐しゃしたときに、
その吐しゃ物の中から生まれた神です。

吐しゃ物が、鉱石を火で溶かした様に
似ていることから、
金属の神様であったようです。
吐しゃ物から生まれるってすごいですねえ、
と思ってはいけませんよ。
神様の中には糞から生まれた神様や
尿からうまれた神様もいましたからね。

この道のずっと下部には
「金山彦神社」もあります。

ここには第3弾の龍田古道歩きの
時くらいに行く予定をしています。



近づいていくと、長い階段があります。



それを登りきると、こんな社殿がありますので、



お祈りしてゆきましょう。



百度石も存在感を放ってました。
さあでは元の道に戻って
坂道を登ってゆきましょう。



道が大きく右に曲がったあたりから、



雁多尾畑の住宅街が始まります。
この雁多尾畑は「かりんどおばた」と読みます。

難読地名ですねえ。

このあたり雁が多く飛んでいたから
こんな名前になったという説もありますが、
やはりここにある松谷光徳寺に
雁林堂というお堂があったことから、
この辺がこの名前になった
という説が有力ですねえ。

道を歩いていると、またまたおばさんが
話しかけてきます。

「歩いてるんやねえ。どこまで行くの?」
と聞いてきたので
「光徳寺に行こうと思って」というと、
「ああ、それならここを入ったところやで。
有名なところやから行っといで」。

雁多尾畑の名前になっている
由来のところって知ってるかなあ。
それにしてもこの辺りは
ほんとにいろんな人が
話しかけてくれますねえ。
ほんわかと楽しいです。

ここが光徳寺。



瓦の紋が勧修寺笹に雀という紋。



竹のように元気で子孫繁栄を
祈っているわけですねえ。



ここは円融法皇が建立させた勅願寺。
こんな石碑もありました。



立派なビャクシンも生え、
鐘楼なども古い18世紀の建物だそうです。



坂道の途中にお寺はそびえていました。

ここは何度か焼き討ちなどで荒廃しましたが、
天皇の勅願で再興したといわれるお寺です。

そんな寺を出て、あの山であった人の
お家をでかいなあと見届けて、
それではもう少し道を登ってゆきましょう。



それにしても、こんなきつい傾斜の
山道をよくもまあサポートカーで
上がったりできるものですねえ。



あれ?この家の扉は不思議ですよ。
毎日飛び降りる勇気が必要です。
ナニコレ、ですねえ。

途中、日当たりの良い公園があったので、



買ってあったおにぎりを食べましょう。
湯を沸かして味噌汁も入れてね。
楽しい時間です。



これはおみこしを置く台ですね。
その下に書いてあるのが、
この辺は「地下地区」と書かれてあります。

こんな山の上なのに「地下」とはねえ。

村はずれの公園で軽く食事をし、
さあそれではもう少し登ってゆきましょう。
このあたりの雁多尾畑の村中は、
狭い道が続いているので大型車は入れません。
ここから先は入れないから
大型車は引き返せ!
という警告が地面に印刷されています。



村中で往生する車とかが
あったんでしょうねえ。

その先に広い公園がありました。
その公園の名前も



「竜田古道の里山公園」と言います。

ここでトイレを借りてゆきましょう。
広い山裾の公園ですが、



中には駐車場もありますし、
桜が結構植わっています。
さほど竜田古道と結びつかない施設ですが、
セミナーとかもあるし、
この日も若い人たちが集まって
何かイベントの用意を
しているようでしたね。

ここは花見には最適かもね。

続く

 


龍田古道を歩いてきた3

2021年03月06日 21時06分21秒 | ウォーキング

この山を越えていく道は
結構ハードですねえ。
もう少し平地かと思ってきたのですが
かなり体力を使います。



そしたら昔は竜田越を
なんでこんな道にしたのかなあ。
川沿いをいけば楽だったのにと思うけど、
すこし不自然ですよねえ。
あちこち湿っていたり、
沼になったりと道が
ややこしかったのでしょうかねえ。
よくわかりません。

山の道沿いには咲きかけの
オドリコソウなんかも生えています。



寒くても季節は確実にめぐってきますねえ。
もう大阪城や月ヶ瀬に行ったら
梅もさかりやろうしねえ。



これからは季節も良くなってきて、
あちこちでかけるのも
またまた楽しくなってくるんでしょう。

それにしてもきつい。

ふうふうはーはーと歩いていると、
道歩いている人から声がかかる。

「歩いてるんやなあ。
どこまで行くんやあ」と聞くので、
龍田古道で三郷町までとか返事をします。

「頑張って~」

何人かそうして声がかかるのです。
素朴ですねえ。ここでは歩いている人には
すごく親しげに声をかけてきはりますねえ。
昔風なところなんでしょうねえ。
田舎風な家も多く、立派な地蔵堂が



あったりもするいい所です。



人々の暮らしの豊かさを感じますねえ。
きっと山手にぶどう畑を広げている
頑張る農家も多いのでしょう。
こんな立派な家なんかもあります。



あちこちの土地のほとんどが
そういうぶどう畑で成り立っているので、
平地の田畑なんかは
イノシシとかに狙われるのでしょう、
こうしてきっちりと防護柵なんかを
設けているところも多かったです。



そしてこのあたりは古い道が多くて、
昔から竜田道と呼ばれていたところです。
前の方の交差点に、何か記載されている
石が見えてきましたよ。



「松谷御堂道標」といわれています。

この先にある松谷光徳寺への道になります。
今は、真宗大谷派の末寺ですが、
松谷御堂といわれて親しまれています。
後ほどこの寺には行く予定です。

段々畑を見ながら山道を下ってゆくと、
また声がかかりました。
電動のサポートカーに乗ってる人です。



「どこまで歩くんやあ」といわれるので、
やはり「三郷町まで行きますよ」と答えると、
「光徳寺に行くんやったら、
そこと農協の間にあるのが
わし○○の家やで」と案内がありました。
もうなんかとっても親しげです。
きっと大きなおうちなんでしょうねえ。

それにしてもこの辺は
とても山の中の道です。
こんなところをよくぞ
サポートカーで通ったものですねえ。
きっと何かからくりがあるんでしょう。



ガタガタの道や、半分塗装の無い道を



歩きながら、これであってるかなあ
と思いつつ地図を見てみると、

あれ?こんな山の中の道に
学校があるようですよ。
これはまるで宮沢賢治の小説にでも
出てきそうな森の学校かもしれません。



道端に生える、ノビルや水仙を眺めつつ



歩いていると、おお突然学校の
ビルらしいものが見えてきました。



これが柏原市立堅上中学校です。

学校の周りをぐるりんと回ってゆきますと、
どうもこの学校は村のはずれにあるようで、
その先は広い自動車道の走る結構なまちでした。



それにしてもこの中学校、
自然について学ぶには
大阪にしては絶好の土地柄でしたねえ。

さあ地図はここからしばらく
自動車道の歩道を歩いてゆきます。
こんな竜田道の案内板も現れました。



この先には「雁多尾畑」という
地名の場所がありますので
向かいましょう。

左に堅上小学校と幼稚園を過ぎると、



その学校の裏側あたりに
入っていく道が現れます。
その奥にあるのが、



金山媛(かなやまひめ)神社です。

立ち寄ってゆきましょう。

続く

 


龍田古道を歩いてきた2

2021年03月05日 20時54分39秒 | ウォーキング

車で高井田へと向かいます。

西名阪を使って藤井寺からと
思っていたのですが、
ナビを入れると南阪和道の方へと
誘導してゆきますので、
それに従って行きましょう。

羽曳野東で高速道路をおり、
河内ワインの里とかを抜けていきます。

いいですねえ。
河内ワインは大好きです。
今度はこの記念館を目指して
やってくることにしようとか考えながら、
さらに進んでいくと河内国分の
あたりに出てゆきます。

ああ、ここは以前玉手山周辺を
歩いた時に出てきたところですね。
大和川をその先の国豊橋で
渡ったところが高井田駅です。

このあたりの駐車場を探すと、
どうもマンション前の一角の
ようなところに、あるようです。
ここに車をとめておきましょう。

え~っと、ここは機械類はないですねえ。
どのように支払いするのかな
と思っていたら、女性がやってきました。

「止め方わかりますか~」と
説明を始めてくれました。
駐車場の片隅にある機械で
駐車券を買い、その領収書を
フロントガラスのところに
置いておくのですね。

わかりました。

第3弾歩きのときにも
ここにとめますので、
そのときもちゃんとそうしましょう。
では歩き始めます。



まずは駅裏の高井田横穴公園の下を
通ってゆきます。



昔、この柏原に親せきが住んでいました。
子どもの時に、ここの横穴には



大きな蜘蛛がいるから、
入っていったら食われるぞ、
なんて言われてましたね。
こどもに変な遊びをさせないための
大人の注意だったんですねえ。

もう全く信じていて、
このあたりには近寄らないようにしていました。
でも今となっては一度よく
横穴を見てみたいものですが、
この日は歩くコースも長いので、
次にここに来た時に覗くことにしましょう。



高井田駅の北側の斜面を
いきなり登ってゆきます。
最初から心拍数が上がりますね。
住宅街をどんどん進んでいったら、
すこし広い場所に出ました。



そこは「鳥坂寺跡」と
書かれてありました。



「続日本記」にかかれたお寺で、
飛鳥時代から平安時代まで
ここにあったそうです。

今は神社と近鉄電車の走る空き地に
なっています。
近鉄もまあこの跡地に電車を
走らしていますから、
てくてくマップには登場させていませんねえ。

このあたりから景色がとても
きれいになってゆきます。



そういえば、doironが働いていた職場からも、
このあたりの雰囲気がよく見えていましたねえ。
あの頃は見えている景色も、
あそこが古道やなあとかじゃなくて、
このあたりのトライアスリートは、
よくこの辺りの山に登っているよなあ
なんて思いながら見ていた気がします。

このあたりからは遠くに
あべのハルカスも見えていますねえ。



山の上から聖徳大使も
「あの辺りが難波の宮かあ」なんて言いながら
眺めていたかもしれません。

さて道はどんどん山道になってゆきますよ。
サンヒルの裏側にはこんな池もあり、



そこにつけられたみちは、もう山道です。



近鉄安藤駅へと下ってゆく道を
左に見ながら、コースはなおかつ
どんどんと山へ入ってゆきます。



あっ、頑張ってそこに入ってきた車は、
側道にタイヤを落として難儀していましたね。



でもJAFかなんかに電話を
しているようなので、
doironは引き上げに協力することもなく、
ふふふんと通り過ぎてゆくのでありました。



道はブドウ畑に沿ってどんどんと登ってゆきます。



そして、道路のずっと上に架かる
高架橋をくぐったら、雰囲気は



田舎の山里っぽくなってきます。

続く

 


新聞社さん、掲載ありがとう2

2021年03月04日 21時30分50秒 | お絵かき

S経新聞さん、本日doironの絵の
掲載ありがとうございます。



立て続けに掲載してくれましたねえ。
ファンレターが
たくさんあったのでしょうか。へへ
編集者の目に留まったのでしょうねえ。
もう、なんか望外の喜びです。
絵だけじゃなくて
書いてある言葉もまた
世間に伝えられてよかったです。



おかげさんでいろんな人から
祝福メールをいただきました。

息子からは
「お酒の透明感がうまく出てるなあ。」
よしよし。
というメールでした。

離れて暮らしているけど、
じいちゃんばあちゃんの暮らしは
しっかりしてるやんって感じかなあ。

お酒のみの人からは「おいしそう」
という感想が多かったですね。

そしてこんな酒がいいよなあ
という声も多くありました。

そやねえ。
お酒飲むと記憶がなくなる人も
多いようですが、まあこれくらいに
しとかないといけませんね。

この絵が新聞に載ったおかげで、
日本で三件くらいは酒飲みの
ひどい事件なんかは減ったかもしれませんね。

また逆に、お前のお酒もこんなんか?
といわれるかもしれませんが、
こんなんですよねえ。
酔ってるけど、暴れたりしないし。
ヘラヘラとバカな話ばかりしてるけどねえ。
でもコロナ宣言もいったんあけたので、
楽しいお酒を飲みたい今日この頃です。
飲み会あったら声かけてねえ。

それにしてもお絵かきって、
なかなか仲間が増えません。
基本的には、というか
お絵かきそのものが個人的な作業なので、
絵をこうしよう、ああしよう
という話はなかなか
進んでいったりしないですねえ。
すでに描いている時点で、
技術的にも精神的にも、
個人の先端部分まで行ってることが
多いのであまり議論にならないんです。
だから皆さんそれぞれの気持ちで
人の絵を眺めることが多いから、
気持ち面でのふれあいが
むつかしい感じなんです。

でもまあ、同趣味の人がいたら
一緒にそれぞれの方句に向かって
努力していきましょう、
というのは可能なので
また遠慮なく声をかけてくださいね。

そしてこんな話も届いてきました。

近所の家の人が、高齢者なんですが、
とても早起きで、ずっと新聞を
端から端まで読んでいて、
この名前の人やったらご近所やん
といってましたよと伝言がありました。
新聞掲載ってこんな感じで
人々の気持ちを知らず知らずのうちに
連鎖させていったりするんですねえ。

そしてこの掲載のことは
また義母の墓に報告に行かないといけませんね。
一緒にお絵描きしていた義母ですから、
生きていたら新聞掲載を
飛び上がって喜んでいたなあ
と思いますねえ。

きっと、そんな日は
「近所のすし屋で、イセエビ料理してもらい」
とか言って、ふるまってくれたかもしれません。

そんなこんなで、我が家の二人で
今日のお昼はお祝いでした。

まもなく誕生日を迎えるので、
それに合わせて誕生日サービスの
はがきを送ってきてくれている
回転寿司屋さんに行って
お祝いしましたよ。

きっと義母さんが、
S経新聞の担当者に念力を込めて
くれているんやあと
日本酒飲みながら騒いできました。

さて次回は何の絵にしようかなあ。
今描いているのは、
友達の作ったちらし寿司の絵です。



これはねえ、岡山のちらし寿司らしいです。
言葉はまだ入っていません。

それとさらに考えているのは、
我が家の庭においてある
みかんを食べにやってくるメジロの絵。

フキノトウや山菜の絵は結構多いようやし、
少し珍しいものを絵にすれば
採用される確率も高いやろうからね。
これからさらに高齢になって、
足やからだが頼りなくなっても、
こういう趣味だと続けられる
だろうからいいね。

そういえばまもなく65歳ということで、
なんと自分にも介護保険性が届いたんだよね。

将来的には、デイサービスの
絵画教室にでも通うかなあ、
なんて考えたりもした
お絵かき掲載事件なのでありました。


4回目の絵の新聞掲載その2

2021年03月03日 21時23分32秒 | お絵かき

日本ではS経新聞と中日新聞だったかなあ。
読者のお絵描き募集してそれを掲載しています。

doiron家のお絵描きはS経新聞におくります。
これがねえ、月曜日は子どもの絵で、
火~木が一般人、金曜がテーマの絵で
たまにカラーと決まっている。
なので、一般の人が自分でテーマを決めて
送った絵が掲載されるのは週三回で、
一日ごとに3枚だから9枚が週に掲載される。

月曜が2枚、金曜が3枚となると
合計700枚くらいが
年間に掲載されている。

掲載されたら大喜びやねえ。
doironも掲載が決まった日や
掲載された日には、豪華ビールや
お酒で家で宴会をしている。
たまには外で飲むこともあるけど、
まあ突然のことが多いので
基本は家である。

このお絵かき欄のページは、
最近切り取って残していることも多い。
仲のいい友達も残してくれていたりして、
合わせて保存することにしている。

今回も残っている絵をB4の大きさに切り、
ファイルに閉じているのだ。
この他人の作品を見ていると、
自分の描く絵のテーマに
つながったりするので、
意外に重宝しているのだ。

で、そんなファイルに残していて、
ふと気が付いたことがあった。

それは同じ名前の人の作品が、
何回か掲載されていることだ。

担当者によると、この絵の応募者は
結構いてるとのことだが、
やはり編集者の目につく作品は
同じ人であることが多いんやろねえ。

doironもこれまで6回出して
4回掲載だから、打率は6割6分。
イチロー越えどころか、
勝率で将棋の藤井君に近づきつつあるなあ。

今回も掲載のお知らせをくれた人は、
doironの絵や字のことを
好みやと言うてくれましたからねえ。
若干社交辞令があるにしても
選んでくれたのだから
印象悪くはないのだろう。

だから、大阪市のSさんとか
東大阪市のFさんなんかも
よく編集者の目についたんやろねえ。
doironとよく似たペースで
繰り返し掲載されているようだ。

う~ん、この場面でこの二人は
doironのライバルですねえ。

きっと今回もdoironの絵が掲載されたら、
あ、またこの人載っているとか
言いつつみてるんでしょうねえ。

マラソンとかトライアスロンを
やってるときに、試合で競ったりすると
「ああ、この人も練習してきたんやなあ」
とか思ったりするのと同様に、
お絵かきも少しづつ自分の色を
出すようにみんな真面目に
紙に向かってたんやなあて、
そんなことを思ったりした
お絵かき掲載でした。

では同好の皆さん、春ですよ
またがんばりましょう。

ーーーーーーー

doironに飛び込んできたニュースのひとつは
この絵の新聞への4回目の掲載のことでした。
そしてもう一つのビッグニュースがあります。

doironの今の生活をガラッと変える出来事が
4月1日より始まるのです。
いろんなことを投げ出して
新たな毎日が始まる予定です。
なので多分ブログもこんなペースでは
掲載できないとおもいますが

頑張って少しでも掲載していけたらとは思っています。

そんなもうひとつのビッグニュースとは・・・

 

発表はもう少し先になります。

 


4回目の絵の新聞掲載その1

2021年03月02日 20時45分00秒 | お絵かき

龍田古道を掲載し始めたのですが
最近ビッグニュースが2つ飛び込んできました。
そのうちのひとつがお絵かきのことです。
とりあえずそのことについて書いておきます。

ーーーーーーー

三寒四温と昔から学校の先生が
今の季節のことをそんなふうに
言ってましたねえ。
確かに天気は不安定で、
あったかい日が続くなあと思ったら、
しとしとと雨の降る寒い日があったりと
天候の不安定な今日この頃です。

さあ近々、龍田古道の第2弾に
出かけようと思っていても、
パラパラと雨の降る日があったりします。

ああ、こんな時にはやはり
お出かけはダメですねえ。
じゃあ、電車で久しぶりに
町に出るかあとか考えたりもするが、
ちょっとまだ大阪市内は出かけて行っても
少々落ちつかない。
なので、この日はお絵かきを
することにしました。

ではまずは道具を用意して、
ということにはなりませんよ。
まずは何を描くかから考え始めます。

前回は新聞に載せてくれたし、
新聞社の担当者の人が絵と字を
ほめてくれてうれしかったので、
まあじゃあ今回も投稿してみるか
というところからテーマ探しが始まりました。

今はコロナの時代やしなあ。
うかつに遊び満載の絵はダメかなあ。
かといってひな祭りに合わせて、
皆さん描いて来たりするから、
人形関係とかは目立たないよなあ。
じゃあ、思い切って緊急事態宣言が
解除されたときに、
待ちに待った皆さんが楽しみにしている
アルコール類はどうだろうかと考えました。

でもなあ、こんな時期にはやはり
お酒は合わないかなあとかいう心配も
大きかったのですが、
ここは自分の思惑に従って
結局アルコールの絵にすることにしました。

「待ちに待ったぞ宣言解除」
というのは少し変だから、
日本酒をじっくり楽しむという
そんな雰囲気がいいだろうと考え、
お酒の試飲の蛇の目のお猪口に
酒を注いでいる絵にすることにしました。



あのお猪口の底に青い色の二重丸が
描かれている奴ですね。
あの青い色で、お酒の色具合や
透明度を確認するらしいです。

まあ青い色は頑張って調整すれば
出せますよねえ。
問題はそこにお酒を静かに注ぐ時にできる
模様のゆがみ具合です。
これはちょっと練習しないといけませんね。

練習用スケッチブックを広げて、
何枚か描いてみていけそうな感じが
出ているのを参考にしました。
一時間くらい練習しましたよ。

では次に徳利です。

これはまあ白い徳利が普通に多いのですが、
ここは少し目立つように茶色の徳利を
描くことにしました。

旅をする人が、雪景色や広々とした景色を
眺めながら、静かにお酒を素朴に楽しむ
そんな感じが出ないかなあという思惑です。

これも思い切って描いたら、
徳利というよりか、
ヒョウタンのような木の入れ物
みたいになりましたが、
まあこれも少し謎めいてていいかもしれません。

そうしてできてきたやつに、
今度はお猪口の外側に何か字をかくかなあ、
模様を付けるかなあと考えたのですが、
やはりここはシンプルがいいでしょう、
影だけを薄くつけておくだけにしました。

まあこれで絵は完成です。

次は言葉ですが、
「なにがなんでも酔ってやる」
なんてのはあきません。
お酒をじっくりと楽しく飲もう
という感じを出さないといけないと考えました。

そうして選んだ言葉を絵の上に添えていきます。

普段日本酒なんかを静かに飲むときに、
じわっと考えたりしている言葉ですから、
自然に出てきました。

この作品をスキャナで取り込み、
新聞社に送ったのは原本です。
印刷だと若干他には出していないですよねえ
という心配があるようです。
電話をいただいた新聞社の担当者の
口ぶりがそんな感じでしたし、
申し込み方法の中にもそんな下りがあるので、
今回は原本にしたのです。

でもねえやはり、こんな時期なので
アルコール採用はなかったですねえ。
残念ながら連絡はありませんでした。

しかし緊急事態宣言がとかれたその日です。
なんと掲載のお知らせ電話が届いたのです。
ああ、やはりdoironの企みは
成功したのかなあ。
ちょっと珍しい絵だから採用されたのかなあ
とかいろいろと考えました。

でもまあ掲載はありがたいことです。
早速お祝いに、おいしそうなお酒を買ってきて
飲むことにしましたよ。

実際はこうして飲むことが、
あんたの目的やったんやろと、
ミセスにばっちり指摘されてしまいましたがね。

掲載は3月4日のS経新聞です。
機会があれば見てやってください。

 


龍田古道を歩いてきた1

2021年03月01日 21時02分19秒 | ウォーキング

この頃は朝が早い。というのも、
夜の眠りが早くなったからである。

早寝早起き、健康の元なのである。

じゃ早く起きてどうしているかというと、
まあたまに朝の散歩に
出かけることもあるのだが、
寒い日が多いので家の中でこたつに入って
新聞読んだり、撮りためたテレビ番組を
見たりしている。

朝早くに、ナニコレ珍百景を見たり、
ブラタモリを見たりしながら
へらへら笑っているわけだ。

そんな早起きのある日、
新聞に掲載されている
「龍田古道」の話を読んだ。

あれは前日の夕刊だったかなあ。
大阪の柏原市がこの龍田古道を
テーマにしたアプリを作って
配布していると書かれてある。

へ~そんな古道があったんやあ
と言う感じで読みました。
ちょっと興味あるなあ。
今度歩きに行って見ようかな
と思っていたら、今度はテレビの番組で、
この古道を歩く簡単な番組があったのです。

そこでもう少し調べてみたら、
柏原の広報紙の昨年8月号に
詳細が載せられていました。



この龍田古道に関しては、
国の日本遺産に昨年認定されたそうです。

日本遺産とは、地域の歴史的な魅力や
特色を通じて我が国の文化・伝統を
語る資産として文化庁が認定するものです。

日本では今は104件あります。

これまで歩いたところでは、
西国三十三所のお寺や、
尾道、橿原札ノ辻なんかがありました。

そんな日本遺産に柏原市から
奈良の三郷町に向かう
この古道関連が認定されたそうなんです。

龍田古道は最初は聖徳太子が整備し、
平城京と難波の宮のコースとして
天皇や貴族が行き交ったそうです。

日本の仏教もこの大和川周辺を通って、
奈良に上陸したともいわれていますしね。

そしてその道は、亀の背の地滑りや、
龍田大社の信仰にも絡んでいますし、
万葉集にもこの道沿いで
多くの歌が詠まれたりしたそうで、
歴史や特色を多く持つ道です。

これはもうやはり行かなくては
いけませんね。

少し計画してみようと、
ネットやdoironのアトリエにある資料を
いろいろと探ってみました。

まず、コースはどうなんでしょう。

そしたらねえ、まだ日本遺産に
認定されたところですから、
しっかりしたコース図というのが
見当たらないんです。

地名とか入れてネットに言葉で
書いてあるんですが、
地図と絡めてあるのがないなあ
と思っていたら、ああ近鉄の
てくてくマップに「竜田古道コース」
というのがありました。

てくてくマップ、大阪16番の地図です。



これを見ると柏原市の広報に
掲載されているコースと多くが重なっています。



この近鉄のてくてくマップは
地域の様子を細かく書いてくれているので、
地図と併用すれば結構歩きやすく
作られているので、今回は
これをもとにまず歩くことにしました。

ここを攻める概要はこうです。

最初はJRの高井田駅まで車で行き、
そこに駐車してコースを北上して
歩き始めます。

サンヒルの裏側を通って、
山越えコースで雁多尾畑(かりんどおばた)
を越え、大和側に下ってきたら奈良県に入り、
三郷町の駅まで行くのが第1弾です。
最期は三郷町から高井田まで
電車で戻ります。

第2弾はその三郷町の駅から
神奈備神社と龍田大社を抜け、
信貴山下まで歩いてゆくコースです。
その後王子の町を散策して、
三郷町へ戻るというコースとなります。
三郷町の駅前には駐車場が多いので、
それを利用しての歩きになるでしょう。

そして第3弾は高井田から大和川沿いを歩いて、
亀岩を通り三郷町へ向かう歩きです。
亀岩はあの役行者の
葛城二十八ヶ所遍路の最終地です。

そして第4弾は信貴山下から法隆寺へと
向かうコースということになります。

まずは第1弾に行きましたので
明日から書いてゆきます。