ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

若かりし頃の九州旅行3

2018年06月21日 21時19分07秒 | 最近の出来事

翌日は、僕らはえびの高原に行き、
そこを色々歩いた後で
ログハウスに泊まる予定でした。

で、旅館の夜におじさんが

「あしたえびの高原の
ログハウスに泊まるていうてたけど、
さっき来たお客さんは
そこに泊まっていたらしく、
あまりに寒いので今日は
宿にやってきたというてたっけ」
と情報をもたらしてくれました。

それを聞いた我らは
「ウヒャーそれはうれしい」と喜びます。
もう何も怖いもののない
若者たちでしたからねえ。

でもなあ、バスが動いてないしなあ
どうしようと考え始めました。

「歩いていくかあ」といってると、
おじさんは「送っていってあげるけ」
といってくれます。

うわ~うれしいですと我らは大騒ぎ。

あったかい布団にくるまって
朝を迎えたのでありました。

その朝は空気は冷たく、
いやあこれはもう絶好の極限日和です。
もう我々は「エスキモーの気持ちがわかるぞ」
などといいながらわくわくしています。
旅館の車で半分凍っているような山道を
車道のてっぺんまで送ってもらいました。

もう山の上の方は雪かきをしたような景色です。

山道を寒いなあといって歩いたり、
お土産屋さんで昼食を食べたり
しながらログハウスにと
潜り込みましたよ。

寝袋に足を突っ込みながら、
トランプとかして過ごします。
きっとツンドラの人たちも
こうして過ごしたりするんやろなあ。
なんていいながらね。

そして夜にトイレに行こうと
起き上がって外に行こうとすると、ビックリ。
うわ~なんと靴は凍っていて
ひもが結べません。

これはいかんと小屋の中に靴を入れ、
ぼくら三人は寝袋にくるまって
極限の夜を過ごしたのでした。

そして翌朝、起きてみると
その日はチョーいい天気でした。

太陽もあったかく輝いています。
幸いバスも動き始めていると聞き、
まあなんとかえびの高原を
出発できた我々でした。

こんなへんな旅行ももう
楽しくてしかたない年齢でしたねえ。

そのあと我らは電車に乗り、
次の宿泊地である指宿へと
向かった我々でした。

鹿児島経由で指宿へ行き、
そこでテントを張って
泊まるつもりでした。

まずは鹿児島市内へと入っていきます。

その鹿児島でも神社にもお参りもいき、
これからの旅の安全を
祈りに行きましたが、
ここでも紀元何年という石碑がありましたね。

絶対ここは普通の西暦ではないんやあ
と理解を深めた我々だったのです。

その後は天文館通りに行きます。

西郷さんの銅像を見ながら、
チンチン電車が走っていたので
あれに乗ろうと、駅に行きました。

ところが、チンチン電車が来ないのです。

大阪でもまだチンチン電車が
元気に走っていた時代です。
そんな頻繁に走る電車と
比べるものだから、
待てども待てども来ないのです。

こりゃ行かんなあ。
じゃ次の駅まで周りを見ながら
線路上を歩いてみるか
ということになり、歩き始めました。

鹿児島市役所なんかを見ていると、
おお~遠くの方から追いかけるように
チンチン電車がやってくるではないですか。

線路の周りは大通りなので
車がいっぱい走っています。

どうしよう、となった時に
前方のほう200m位先の方に
次の駅が見えているではないですか。

あそこまで走ろう!と号令した
doironの言葉は、その先の
マラソン人生を占うもので
あったかもしれません。

剣道部の友達二人と山岳部で
トレだけ一緒にしている
三人の高校生は、天文館通りを
「ウヒャー」と叫びつつ
走って行くのでした。

う~ん、もしかしたら20秒を
切っていたかもしれません。
末續君の日本記録20秒03より早く



ボルトの世界記録19秒19よりは
遅かったかもしれません。

とりあえず次の駅まで
何とか間に合ったのですが、
運転手さんにこっぴどく
おこられてしまったのでした。

何もそこまで目を向いて起こらなくても、
我らは田舎もんですから
ルールを知らなかったんです
と言い訳しておきました。

「もうおこりっぽいなあ。
西郷さんなんて嫌いだ!」
といいながら、JRの駅に戻り、
またまた電車に飛び乗って、
今夜の宿泊地「指宿」へと向かった
我々だったのでした。

天文館通りも面白かったねえ
と言いながら、電車の中ではしゃぐ我々でした。

続く


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