ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

沖縄慰霊の日

2011年06月23日 23時14分48秒 | weblog

昨年沖縄に行った。
目的は色々あった。

いにしえの琉球、初代王の
尚巴志の痕跡を訪ねること
悲惨な沖縄戦の歴史に触れること
普天間の海を見ること
海水浴を楽しむこと
パワースポットを訪ねること。

旅行中、精力的に動き回ったおかげで
それらの目的はすべて果たすことができた。

そして今日は20万人以上の
犠牲者を出した沖縄戦の
終結した日「慰霊の日」である。

沖縄の人たちにとっては
何よりも特別の日だろう。
この日は毎年「晴れる」という

約10ヶ月前に行った沖縄の旅も
月日が経つにつれ
記憶が整理され
鮮明な記憶だけが
スライドショーのように
心に次々と浮かび上がる。

中でも、沖縄戦最終地となった
県南部の海岸線は
パワースポットとは逆の
マイナススポットとして
心に残っている。
いや、残っているというよりも
映像の破片は心に一つ一つ
突き刺さり、傷となって残っている。

米兵に追い詰められた
喜屋武岬で自害を前にして
「ふるさと」を歌い
決意を「死」から「生」に変えた人たちがいるという。
それがここ



道理で、現地に漂っていた
ただならぬ気配は
20万英霊の残像ならぬ
残思念だったのだろう。
そこはこれから先もdoironは
絶対一人では行けない場所のひとつだ。

そしてこの岬から望む断崖群の
景色はどうだ。
耳を澄ませば
岩をうがつ波の音が
人々の叫びに聞こえてきはしないだろうか。
どれだけの人が
これらの断崖から飛び降りたのだろう
と思うと、今にも涙があふれそうになる景色でした。



あれから66年

僕らは宇宙人に襲われても
こんな断崖から飛び降りる
勇気さえなくしてしまっているだろう。

沖縄慰霊の日のニュースに触れ
あの喜屋武岬で感じた
えもいわれぬ感慨が
どーっと蘇ってきた1日でした。

でも不思議なのだ。
そんな時
「ごめんなさい」
「許してください」という言葉が
自分の中に湧き上がってくるのは
なぜなんだろう?


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