ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

強風の紀州路

2011年11月20日 22時41分17秒 | 最近の出来事

突然思い立った白浜旅行も
何とか無事に終え、
帰阪しております。
泊まったのは、
獣の雄たけびが聞こえる
アドBチャーワールドのそば。
夜ともなると
明かりのついた窓に
ミドリカメムシの集う山の中。
飛び立つ飛行機があれば
目前で離陸する
白浜空港のすぐそばの
豪華ホテルでした。

何たら会員とかで
優待券で豪華なスイートが
ひと部屋借りれるという特権を
活かし、泊まってまいりました。

急遽なので夕食は外食もしくは持ち込み
ということで
トレトレ市場



でマグロの中落ちを購入し
途中のO将で餃子やから揚げも買い込み
缶ビール(当然、発泡酒やけど・・)も
仕入れて、部屋に乗り込んだ。
早速缶発泡酒(ううっ邪魔臭い)をプシュッ・・・
おっと、その前に温泉だ。

雨上がりの晩秋の紀州路
昼間には大雨暴風警報も
出ておりましたが
何とか雨はやみ
風も山陰の露天風呂までは
届いてこないようでしたし
おかげで
空気はしっとりしており、
絶好の露天風呂日和でありました。

そんな露天風呂で思いっきり
手足を伸ばして
周りの緑を見ながら
じっくり浸かってほんとに気持ちよかったなあ。
忙しい日々を何とかやりくりして
頑張って来た甲斐があるってもんです。

ここの温泉はにおいはないが
入っていると皮膚がヌルーっと
してまいります。

温泉らしくていいよ、いいよ~

写真撮影をしようかと
(え?違う違う。決して盗撮ではありませんよ)
タオルに携帯をくるんで
持っていっておったのです。
で、自分の姿を写したかったのですが
人が多くて無理でしたワイ。

doironヌード撮影会はあきらめました

ま、それでも世俗の垢を
たっぷり流した上で、
いよいよ部屋宴会に突入でえす。

飲めや歌え
(他の客の迷惑になるから歌わんけど・・・)
の大騒ぎは深夜まで続き
眠りについたのは
アドBチャーのキリンも
クビを長くして(元々長いけど・・)
朝を待ちつつ眠りにつく午前二時頃でした。

宴会の途中で
暑くなってきたので
空気を入れ替えようと
窓を開けたときだった。

ブワーッと虫が部屋の中に
乱入してきおった。
よく見ると、ミドリカメムシの大群が
窓一面で宴会を開いておったんだ。

あわてて追い出したものの
時すでに遅し。

部屋中にアオクサイにおい
充満してしまいました。

とんでもない珍客に見舞われて散々でしたわ。
幸い、部屋が4つくらいある
超豪華部屋でしたので
被害は宴会部屋だけですみましたがね。

翌朝は、六時に起きて
早速朝風呂へGO!
今度こそはと思ったが
風呂は大賑わい。
またもや撮影会は中止となりました。

でも朝な夕なに温泉に浸かり
しっかり楽しんでまいりました。

帰り道に







も行きました。

前者は円月島。
まったく見事な自然の造形ですねえ。

そして後者は三段壁。
「事件ですよ、船越さん」で
おなじみのあの名所です。

慰霊碑も立っていましたが
そういうものの撮影は
ちょっとひるんでしまいますねえ。

目のカメラに収めておきました。

ここには数年前にも
来たし、これまで何度か来たことがあるのだけど
今回初めて気づいたものがありました。

「白浜の海は今日も荒れてゐる」
と岩に口紅で書いて
身を投げた二人がいたそです。
時は1950年。
再婚同士の父と母の
それぞれの連れ子が恋に落ち
叶わぬ恋と世をはかなんでの
心中だったという。

その口紅の文字は
知り合いによって
丁寧に岩に刻まれ
今も残っている。
いや確かに残っていました。

目もくらむような岸壁を背に
それを記した二人の情念が
あたりに漂うようで
そこでも撮影は出来ませんでした。
露天風呂の撮影会とは
また意味が違いますわな。

「口紅の遺書」と名づけられたその場所は
さっきの写真の中に
連なる岸壁の真ん中くらいかな。
緑が繁り始めるあたりに
ひっそりと刻まれています。

昨日の低気圧の余波なのか
ヅラが飛ばされそうなほど風が強く

白浜の海は今日は荒れていました。
とdoironはブログに記しておきましょう。


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