ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

祭りはないけど神事はあった

2020年10月11日 21時17分35秒 | 最近の出来事

今日は本来だったら祭りの日です。

我が市の山手の方の
だんじり祭りでは、
例年なら昨日と今日で
二日間の祭りをやっています。

8町パレード、12町パレード
なんかで世間を騒がせています。

ところが今年は、
コロナのおかげでだんじりの曳行もなく、
静かな初秋を迎えているわけです。

各町でそれなりに
いろんなことはやっています。
青年団員5名くらいで纏をかついで
静かに神社にお参りに
来る町もありましたし、
町内で太鼓だけを鳴らしている
町もあります。

我が町では、一応祭り時の
飾りだけをして、だんじりの
荒ぶる心を押さえようとしています。

まあ祭りがないというだけで、
静かな静かな秋を迎えているわけです。

祭りの中でも絶対欠かせない
行事があります。
それが宮入です。
神社内にだんじりがすべて集まって、
氏子代表や町会関係者、
だんじり関係者が神社の本殿内に
集まりお参りをするという行事です。

これは神事という事になっており、
我が町の神社では神事日程に
組み込まれています。
なので、今年は氏子総代だけで集まり、
静かにお参りだけを行う
という事でおこなわれる
ことになっていました。

各町2名づつで7町の
氏子代表による静かなお参りです。

これまでの神主が引退して、
その息子が新たに神主となり
神事を行います。
それにしても初めての神事が、
コロナによる小規模神事
という事でその息子にとってみれば
印象的なお参りになったことでしょう。

そうそうそういえば、
神主が変わってから、
息子の拍手はとてもうまく
なりましたねえ。今までも
それなりに神主代わりに
お参りをするときもあったのですが
やはり神主の拍手にはかないません。
それが、今になってようやく
神殿に向かって頭を下げた後
行う拍手が、パンパンと
とてもきれいだったのです。

腕を上げたなあと、
言ってやりたくなりました。

その時までかあかあと泣いていた
カラスの鳴き声が一瞬やんだほどでした。

そしてもう一つが、
doironが代表として
先頭でお参りの物事を
行わねばならないということです。

う~ん、そつなく
行わなければなりませんね。

そんな「例大祭」といわれる
神事に今日参加してきました。

スーツを着て、こんなかみしもを
付けてのお参りです。



本殿内にぞろぞろと入ってゆき、
doironはその先頭に座り、
神事は始まります。

氏子はすべてマスク着用で
神主は祝詞などを挙げるときに、
マスクを外すという感じで
進んでいきます。

漢字でいろんな名前のついた
儀式を神主が行い流れてゆきます。
そして祝詞をあげたあとで、
氏子による玉串奉納が行われるのです。

まずdoironが行います。

玉ぐしを受け取り、
その枝が神殿のほうに向くように置き、
二礼二拍手一礼をするのです。

下手な動きをしてはいけませんね。
背筋をピンと張って
厳かに取り掛かってゆきます。

気を付けたのは二拍手のときです。

神主同様にきれいな拍手を
しなければと気合を入れました。

まずは一拍手目。

「ペチッ」と情けない音です。
カラオケで歳取ったおじいちゃんが
酔っぱらって「イヨッ」とか
いいながら拍手しているみたいです。

一瞬で気持ちは舞い上がりましたね。
これは二拍手目は頑張らないとと、
打った拍手はお見事でした。

「パチッ」

ともう本殿内に響き渡る音が出ましたよ。
カラスも拍手をしてくれました。

あとで、他町の代表さんに
「二泊目は気合入ってたなあ」
といわれました。へへ。

見ていたら、いろんな人がいます。
ペチペチと全く気合の入っていない
人がいたり、玉ぐしを落としそうに
なったりとはらはらしましたね。

まあそれでも無事に
全員の玉串奉納は終わり、
例大祭も終了です。

最後にお神酒をもらって
紅白まんじゅうをいただいて解散。

神様、あれでよかったですかねえ。

来年はきっと、祭り関係者も入れて
にぎやかに太鼓の音を聞きながら、
例大祭ができるよう
お願いしときますねえ。

 


役行者葛城回峰始まりの地2

2020年10月02日 21時00分00秒 | 最近の出来事

ここが加太の行者堂の入り口です。



この日は残念ながら雨がふっていました。
石段を滑らないようにと
慎重に上がってゆきます。

階段は急傾斜なのですぐに高くなってゆき、
後ろに加太の景色がよく見え始めます。



雨じゃなかったら遠くの山の
景色も見えるのかなあってかんじです。
葛城回峰初めの地といわれるこの阿字ヶ峯。
この雨の中、どこまで階段が
続くのかなあと不安になり始めたころ、
ようやく広場と行者堂のところに到着します。

立派な行者堂ですね。
中をのぞくと、役行者が
下駄をはいてでんと座っておられました。

役行者が痕跡を残した山は
100名山どころか1000山といわれています。
「謀反あり」といわれて流されても、
富士山に登るなどしたそうです。
そんなことなどから、鴨族の一人として、
自らを神としていたようです。

従って、葛城の神々とは対立しました。
ああ、なんか一人の人間の
強烈な個性を感じますね。

ここ阿字ヶ峯の行者堂も今は
地元の人たちに信仰されて
いるようですね。
きれいに整頓された、いい感じの場所でした。

でもねえ、この役行者の信仰を
思うといつもなんか不思議に思う。
まあ勉強不足でもあり、
信仰心の薄い人間だということも
あるのですが、何がみんなを
信仰させたのかと思うと
不思議でならないのだ。

鬼にもゆうことを聞かせる強さ?
山をかけ空ををも飛べる
といわれた超人さ?
仏教が来る前にどんな力や教えが
人々を押さえたのか、
なかなか信じられないなあ
なんて考えてしまうのだ。

でもまあこんな行者堂が
立派にあるんやから、



もっと信心深く眺めないと
いけないんですかねえ。



ま、とりあえず阿字ヶ峯という
回峰の始まりの地に立ち、
これから折に触れて
彼の痕跡を眺めていこうと、
改めておもったお参りだったのでした。

さあではまたまた激しく雨がふる中を、
先程通った休暇村へと向かいましょう。



淡島神社にもどり、車で向かいます。

一般道から休暇村へと上がってゆく道は
急角度ですねえ。
昔は全然平気で自転車で登れたのに、
今は多分命がけで登ることに
なるんでしょうねえ。
ラブ4ちゃんは平気で
登ってゆきますけどね。

思っていたより客の多い駐車場に
車をとめて中に入ってゆくと、
食堂の開く時間です。

窓際の席をとるぞと入っていったら
いっぱいでした。
しかも窓際の席は予約者だけです。
残念。友ヶ島が雄大に見渡せる席には
座れませんでしたが、
まあ大きな窓ですので
なんとか景色は楽しめそうです。

でかい船が遠くを運航していたり、
小さな漁船なんかがあわただしく
動いていたりしています。

え~いただいた食事はこれです。



えびラーメンとシラスご飯の
組み合わせセットです。
え~車じゃなかったらなあ。
宿泊だったりしたらなあ、
ビールがさぞかしおいしいでしょうなあ。
まあ自由に過ごしているのですから
簡単に宿泊してもいいのですが
なかなかそういうわけにもいきません。

気を取り直して
豪華定食を食べながら、
役行者の痕跡を訪ねる
旅のことを考えます。

近々行く予定なのが、
大福山です。

第三番経塚のひとつです。

三番経塚はその山のほか、
雲山峰もそうだといわれていますね。
その辺は少し実際の情報もあやふやです。

それともう一つ是非行ってみたいのが、
第28番経塚のひとつ、
大和川にあるという亀岩という
大きな石のところです。

これを書いているときに
偶然古本屋で貴重な本を買いました。
これです。



写真も結構ありましたよ。
そこには亀石も乗っていました。



川の中にある石で、
人間が10人くらいは登れる石です。
そうして少しづつ役行者のことを
学んでいこうかなと思いつつ
昼食でおなか一杯になり、
休暇村のロビーで新聞を読んだり
お土産買ったりして帰っていった
doironだったのでした。


役行者葛城回峰始まりの地1

2020年10月01日 20時48分44秒 | 最近の出来事

葛城山麓に役行者が開山した山に、
全部で二十八の経塚を作りました。
葛城山麓と言っても、
大和葛城や和泉葛城といった
単独の山の名前ではないですよ。

北は大和川から南は友ヶ島に至る
和泉山脈の山々一帯のことをさしている。

そんな山々などに作られた経塚は
葛城二十八宿と呼ばれており、
その周辺を修験者が訪問を
続けているのが葛城二十八宿
巡拝入峯といわれている。

これまであまり意識もせずに
訪ねてきた経塚もいくつかある。

友ヶ島、雲山峰、山中渓、和泉葛城、
いわわき山、金剛山、二上山などだ。
彼がこの葛城回峰を始めるにあたって、
西国の島々や紀州、大和、和泉、
河内を眺めながら経塚を作り、
この地を阿字ヶ峯と名付けたという
そんな地域がある。

ちなみに二十八番の大和川沿いの峯は
吽字ヶ峯と呼ばれている。

これらの二十八宿を訪ねてみたい気は
あるのだが、どうもところどころで
情報が少なく、そう簡単にはいかないし、
友ヶ島の観念窟や序品窟など、
わかっていてもたどりつけないような
ところにあったりするので、
そんなに取り組んでみよう
なんてものでもない。

山々を歩く中で時々出会う経塚や
お寺をつなげていって、
役行者の痕跡に触れてみるくらいが、
俗人にはちょうどいいのかもしれない。

とまあそんな中途半端な気持ちを
奮い立たせて、とりあえずは
始まりの地である阿字ヶ峯を
訪ねてみることにしたのだ。

それは加太にあり、そこには
行者堂があるといわれている。

多分その場所は、ドジ旅で
友ヶ島を訪ねたときに、
駅からの歩きの最中に
横を通っているはずである。

では車で訪ねてみることにしましょう。

経路は国道26号線をまっすぐ
南下してゆく。
そして淡輪のところで一般道に入ってゆく。
もう閉園したみさき公園の横を通りますよ。

ああ、なんかさみしいですねえ。
駐車場なんかも空っぽです。
駅周辺にあったお店なんかも
超打撃でしょうねえ。

深日町で右折し加太へと
向かって行きます。

谷川橋を渡るような地域に入ると、
お寺の名前とかがよく出てきますねえ。
このあたりは一度ゆっくりと
歩いてみたいところです。

それから山の中をぐるぐる超えて
すすんでいくと、トットパーク小島の
ところに出ます。

そこから海岸線を進んでいくと、
昔の大川峠を越えてくる
道のところに出ます。

ああ、ここは昔はよく自転車で
越えましたねえ。
廃道になりかけていて、
道にいろいろ転がっている木の実や
石が邪魔なところで怖かったですねえ。

いまはそのまままっすぐ
トンネルになって進んでいけます。
トンネルの出口の先に国民休暇村への
登り口が始まります。
休暇村は会員なのでポイントカードを
持っています。
もうすぐ有効期限が切れそうなので、
今日はポイントを使って
昼飯をいただきにここに
上がっていくことにしましょう。

でもまずは加太の漁村の方に行きます。
友ヶ島に向かうフェリー乗り場を過ぎて、
まずは淡島神社にお参りです。



ああ、加太って夕陽百選なんやなあ。



ここらの宿って止まったら、
豪華な海の幸なんかが出るのかなあ。

さて、境内に入りますと
人形がいくつも並んでいますねえ。
なんとなく人形って、目があったり、
髪の毛があったりで
人の想いを感じますねえ。



おお~ここは千度石です。
ここでしっかりお参りをし、
さあでは鳥居を出て、
歩いて行者堂の方に向かいましょう。
歩いても5分くらいなので、
淡島神社の駐車場に車を
とめておけばいいでしょう。

駐車場はガラガラやったしね。
住宅街の方へと向かってゆきます。

続く


見に行きマンモス4

2020年09月29日 21時10分06秒 | 最近の出来事

またお店は、こんな
メンタイパークなんかも
近所にありましたが、
まだ閉まっているようです。



そしてこんなところにも
100均はあるんですねえ。
見た目とってもでかいお店でした。



ウロウロしつつ、
お酒をゆっくり飲めそうな
お店もないか探しまくりますが、
やはりないようですねえ。
唯一、こんなとんかつの店に
心を惹かれたぐらいですかねえ。



さあでは周辺も少し歩いてみましょう。



ジダンの推薦でミズノに行けば
スポーツ関連の展示会もあるので
行ってみましょう。



南港の広い道路を渡り行ってみると、



あれ?なんか入り口が
閉まっているだけでなく、
なんと土のうまで置かれてますよ。



こ、これは我らが入ってこないように
という防衛策なのか?
結局ミズノの周りを一周しましたが、
全部土のうが置かれて
進入禁止になっています。



ああ、あんな展示会があるのになあ
という感じです。
まもなく北上して九州に
やってくる台風10号対策なんですかねえ。

ミズノが倒産したなんて
話もありませんしねえ。

いやあとても残念でした。
もうこうなったら難波まで行って
飲み会しながら騒ぐかあ、
と二人はマンモス展より
こちらに気合が入ってますねえ。

仕方ないのでトレードセンター駅まで戻り、
まずはニュートラムから
シベリア鉄道ではなく
地下鉄を乗り継いでいきます。

本町まで千日前線に乗り、
そこから御堂筋線でシベリア
じゃなかった難波へとむかいます。

地下街を歩きながら、
昔は親父に連れられて、
立ち飲みにも行ったことがあるなあ
とか、話をしながら、
我々も昼間っから
おもいっきり飲ませてくれる
カウンターのお店に突入です。

最近ジダンは一人でよく行くそうです。
こんなお店。



カウンターに座り飲み始めます。
doironは生ビール一色なんですが、
ジダンはお酒なんかも飲み始めます。

ああ、出てくるつまみが
庶民的でおいしいですねえ。
マンモスの佃煮に
マンモスの氷河漬け
なんかはありませんが、
ドテ焼き、



塩サバ、



イカ納豆



でもうおなかは天国状態です。
このまま化石になったら、
doironの胃袋は天国状態
だったでしょうねえ。

散々飲んで、この居酒屋で
過ごした時間は、
マンモス展よりも長い時間でしたねえ。
それでも朝が早かっただけに、
まだまだ明るいうちに
家路につきました。

帰ってから、明日の台風対策で、
植木の置き換えや
固い雨戸を閉めたりするのが
超大変やったわあ。

これでマンモス展鑑賞はおしまいです。
今回はドジ旅として描くには
ネタが少なすぎましたね。

まあコロナの時代ですから
こんな程度にしておきましょう。

次回は、酒に溺れることもなく
しっかりと歩いて
ドジ旅日記となりますようにと
祈りながら終了です。


見に行きマンモス3

2020年09月28日 20時58分22秒 | 最近の出来事

ほかにも、マンモスのフンなんかも
展示されていましたよ。



ふ~ん。

こうしてマンモスはふんなども含めて
永久凍土などから出てくる
ことがよくあります。

長い鼻はもちろんのこと、
長い牙が特徴なのでわかりやすいですね。

マンモスはゾウの祖先
というわけではなくて
近縁種という感じだそうです。

そんなマンモスと同様に見つかった
いろんな動物もこのマンモス展で
再現されて展示されています。



これはケサイというサイの仲間です。

そしてこれはホラアナライオン。



ずっとずっと今よりも
野性味豊かな時代なんでしょうねえ。

あちこち歩きまわるような
doironの今の趣味なんかは
絶対できませんね。



で、永久凍土なんて日本には
ないと思いがちでしょう。
でもあるんですね。

北海道の大雪山や富士山、
立山とかにあるそうですし、
槍穂高のカールの中にも
あるといわれています。

どこも皆行ったところなので、
もしかしたら目にしているかも
しれませんねえ。

展示会にはそんな案内もありました。
そしてテーマはマンモスの
再生なんかにも絡んできます。

研究しているのは和歌山にある近畿大学。

ああ、あのマグロの養殖とか
したところでしょうね。



そこがマンモスの状態のいい
筋肉を手に入れて、
マウスの細胞内で細胞分裂直前の
状態まで確認できたとのこと。



絶滅した生物の再生かあ。
はたしてどうなんでしょうねえ。
絶滅した動物が1頭よみがえるだけで、
なにかびっくりするようなことが
起こらないでしょうか。
マンモスから発生する、
マンモスウイルスなんかが
出てきたりして。

マンモスが再生したって、
それで得ることの科学的知見より、
なんか人類がいろんな意味で
失うことの方が多いような
気が何となくしますねえ。

今の技術なら、こんな再生なんて
さほどむつかしくないんでしょう。
DNAをいじることで、
doiron並に天才高齢者が
あらわれたりしてねえ。

もっととんでもない生物が
生まれてくる恐怖なんかも
絶対あるでしょうねえ。

科学の発展もいよいよ神のレベルに
近づいてきているのかもしれませんね。

まあこれらの展示を一通り見終えたら、
いよいよ最後は冷凍の動物なんかの
展示にうつっていきます。





展示しているところはこんな温度まで
下げていますよ。



立派なユカギルマンモスは
撮影禁止でしたがね。
その後にこんな立派な模型が
置かれていましたので、
そこで写真撮影です。



さあ、これでこの展示会の様子は
こんな感じでした。
まあおおざっぱではありますが、
ほぼ1時間かけて展示を見終えて
通路を進んでいくと、
出口の前にお土産屋さんがあったりします。



マンモスの人形なんかもありましたねえ。
でも驚いたのは、いろんな化石そのものが
売られていたことです。
マンモスの毛なんかもありましたよ。
買って帰って神棚にあげ、
毎日拝みまくりますかねえ。



「マンモス様生えますように」

そしてもっと驚きなのは、
マンモスの巨大な歯や
恐竜の歯なんかも売られてました。
行きつけの歯医者さんは、
窓枠とかにワニやカバのぬいぐるみ
なんかを可愛く置いてますけど、
こんなマンモスの歯なんて
お土産をあげたら飾ってくれるかなあ。
絶対無理ですね。

結局何も買わずにお店を出て、
マンモス展はおしまいです。
せっかくここまで来たんですから、
周辺を少し歩きますかね。

まずは、ビル内をウロウロです。



あ、来年はティラノサウルス展を
やるんやねえ。
福井の恐竜館にあったティラノの
動く模型は2000万円するそうですが、
あんなのもきっと展示するんでしょうねえ。

続く


見に行きマンモス2

2020年09月27日 21時06分01秒 | 最近の出来事

ATCは昔アウトドアショップや
スポーツショップもあり、
何回かやってきましたねえ。



海辺の明るい雰囲気の中、
お店が並んでいました。
そんなところに近い
トレードセンター前で電車を降り、
南港ATCギャラリーに向かいましょう。

駅を降りてさあてどちらかなあと、
探していると、ああトイレがあります。



「ようおこし」と書かれてあるので
おこししてゆきましょう。
記憶の中では確かこっちにと



通路を渡って進んでいくと、



ギャラリーの次の取り組みなんかの
ポスターもありますよ。



マンモスもいいけど、
このバンクシーも意外な展示で
興味がありそうですねえ。



で、足元を見ると、おお床に
こんな案内がありますよ。



それにこんなマンモスも飾られています。



近づいてきましたねえ。
こちらかな?あれ?とか
思いながら歩いていると、
いつのまにか床に貼られてある
案内もなくなりました。



むむ、これはマンモスが
我々を近づけさせまいとする陰謀なのか。

又先ほどの地点に戻って
周りを見回してみましょう、
とか言いながらも展示後の
宴会場所で面白そうなところは
ないかということも、
探し回る二人なのでした。





あ、地面にマンモスの案内の
足跡を見つけましたよ。
今度はちゃんと意識して
歩いてゆくことにしましょう。



あ、向こうに集団が見えますよ。
マンモス的に集まっている
わけではないのですが、
何人かはたまっています。

時刻はこの時点で8時56分。
オープンまで約4分ですから、
大体この時点でちょうど
いいくらいですね。
ほんとはオープン丁度位の
予定だったのですが、
南海電車に乗ったのも、
計画の少し前の便だったし、
それに伴い地下鉄の便が
少し早い便に変わってゆきましたので、
到着時間も早くなってしまいました。

でもまあ、少し迷った分
待ち時間のあまりない感じで
来れましたね。

入り口でおねいさんに
写真撮影について聞いてみますと、
どうしても撮影してはいけない
ところは案内を書いてますから、
それ以外はOKだということです。

いやあ、そうですか。
こういう施設に来たら
あまり写真はダメなので、
今回はあまり紹介できないかなあ
と思っていたのですが、
そういうことなら大丈夫ですねえ。

ではカメラを手に持ちつつ
入ってゆきましょう。

え~まずはあいさつ文のようなものから
展示が始まりますね。
案内には、様々な
ことが書かれています。



近年、シベリアなどから
冷凍状態のマンモスが次々見つかり、
こういう展示会もとても
充実してきたと書かれてあります。

またそれらの資料から研究も
どんどん進んでおり、
近畿大学ではその再生に向けた
取り組みが行われている
とのことなんかが、
最初のあいさつ文の所にも書かれています。



マンモスの発生から
その推移なんかが書かれ、
日本ではステップマンモスから
ケナガマンモスがいたことなんかが
書かれています。



え?ケナガマンモスやて
どんなんやろって思っていたら、
その毛が展示されていましたよ。



ウヒャー、ふさふさやったんですかねえ。
そしてこれがケナガマンモスの
歯だそうです。



でかいですねえ。
虫歯になったらさぞや
激痛だったかもしれません。

あと、日本には「ムカシマンモス」
というのがいたそうだ。
日本国内ではこれまで
13点の化石が発見されているそうだ。
うち12点が北海道で、
1点が島根県沖の日本海の
海底から発見されているそうだ。

ああ、日本にもギャートルズ
のような家族が
いたのかもしれませんね。



続く

 


見に行きマンモス1

2020年09月26日 21時03分37秒 | 最近の出来事

ブログの話題はいよいよ
9月の出来事に入りまして、
さっそくマンモスの展示会見学です。

マンモスとはゾウ科のマンモス属の
生物ですが、残念ながら
全種がもう絶滅しています。

400万年前から1万年前後まで
生きていたんですけどねえ。

諸説ありますが、
気候の変化で餌の植物がなくなった、
人類に滅亡させられた、
超新星の爆発で絶滅した、
巨大な嵐で絶滅した、
細菌・ウイルスでの伝染病が流行した
など原因はいろいろと言われています。

いずれにしても1頭が1頭しか
生まないという繁殖携帯が弱く、
耐えられなかったことが
起こったんだというのに違いありません。

絶滅は人類が有史に入る前でした。
でもそんな生き物が、
最近別の形で我々の前に
姿を現すようになってきました。
それが化石であり、
凍結した地面の中から
現れた氷漬けの姿でした。

そもそも昔からマンモスの化石は
よく見つかっていました。
最初は巨人の骨といわれていたそうですが、
これがマンモスのものである
ことがわかり、シベリアなどで
どんどん発掘されました。

2007年に生後1年ほどの
雌のマンモスがほぼ無傷で見つかり、
「リューバ」と名付けられました。

そして2013年にはシベリアで
発掘されたマンモスは
とてもいい状態で「ユカ」と
名前がつけられました。

このユカの筋肉から体細胞を
抜き出しアジアゾウで
出産させる計画を近畿大学が
持っているそうです。

まあ今のマンモスに関する
研究の超おおざっぱな状態は
こんなものですが、
今回そんなマンモス展が
東京の日本科学未来館で
開催された後、大阪でも
開催されることになったのです。



場所は南港ATCギャラリー。



この展示会の前に、
ジダンが前売り券を購入する
というので一緒に買って
もらうことにしてあったのだ。
でもねえ、doironも買うというので、
コンビニだと紙に印刷された
チケットだと、味がないだろう
とわざわざチケットショップまで行って
買ってくれたので、
こんなチケットを手に
入れてくれました。



ありがたいことです。
SNS映えします。
インスタ映えします。
どっちがどうなんやろ。
ようわかりません。

9月に入れば夏休みの子どもも
少なくなるだろうという
見込みもありますし、
8月末くらいからテレビ中継が
よく入るようになり、
興味を募らせ始めました。

まあ今思えば、コロナのこともあるし、
多分参加者が少なかったので
募ろうという企みだったのかもしれません。

まあそんな風にチケット、興味や
勉強も徐々に進みついに我々は、
有史以前に生きており、
最近姿を現し始めたマンモスの、
時代を越えた姿と出合いに
南港へと向かうのです。

集合はシベリヤ鉄道の
ウラジオストクの駅前の
王将ということではなく、
南海本線の松の浜駅である。



マンモス見学という
でっかいテーマを掲げて、
我々のせこい旅の幕開けです。

集合時刻は午前7時半。
ちなみにシベリヤ鉄道は
終点のモスクワまで
7日かかりますが、
南海本線は30分程度です。



難波で地下鉄千日前線に乗り換えます。

そこから地下鉄中央線で
阿波座に行き乗り換えて



コスモスクエア、そして



ニュートラムでひと駅、
トレードセンター前が最終駅です。



あちこち乗り換えましたねえ。
ほかにも方法はあるんですよ。

近い所では堺市駅からバスとか、
そもそも車で行くとかね。
でもねえ、観覧後の後の宴会を
考えたらこんな経路になりました。

このトレードセンター前は
昔の大阪マラソンの
ゴール地点近辺だったので、
何回か応援もしていますから
土地勘も少しあります。

続く

 


大津川1時間清掃

2020年09月25日 20時56分53秒 | 最近の出来事

毎年、秋の秋分の日を中心に
三時間走大会というのを
開催するのに参加していた。

場所は泉大津の大津川。

決められた区間の河川敷を
三時間走り切るという大会だ。
こういう大会には昔何回か
出たことがある。

吹田中之島5時間走

という大会だ。

目標はキロ5分を意識して走り
60キロを走破するという戦いをした。
でもねえ60キロは
ぎりぎり届かなかったなあ。
59.8キロまで頑張ったのになあ。

でもなんか二回表彰されたことがあり、
一回はオープンの部での優勝だった。
ああ、部門が限られているとはいえ
優勝というのはうれしかったなあ。
立派なマラソンシューズをいただいた。

みんなで参加し、その延長で
こういう大会もいいかなあって
始まったのが三時間走だ。

これが始まった頃は、
もう僕も実際のマラソンは引退していた。
なのでお手伝いできることは
と言って始めたのが、
ランナーの走行距離を
チェックする役割だ。

なにせいろんな人が走る。
早い人はフルマラソンの距離を
走り切る人もいれば、
歩いている人もいるという大会だから、
なんかとってもあわただしい
3時間を過ごしたことになる。
まあ、みんな楽しんでそうやから
よかったけどね。

そんな大会もやはり今年は
コロナのせいで中止となった。

休憩所などでどうしてもみんな
密になるからだ。

まあどの大会もそんな理由なんかで
中止となっている。
で、そんな中止を決めた
この大会なんだが、
やはりこの季節になると
何かものたりない。

そこで、スタッフも含めて
その大会の時期に何かしようよ
ということになり、
今年は河川敷の清掃を
希望者で行うことにしたのだ。

今年は公的な行事も多くが中止となり、
広報の記者としてもあまり話題がない。
なので、doironはそんな行事を
取り上げて広報に提供することにした。

しかもこの清掃の大会には
市長も来るというから、
そういう意味でもニュースバリューは
あるだろう。

午前9時に現地集合。
doironはロードバイクを転がして参加したよ。

代表のカイさんの話、
泉大津ピカピカ隊の話、
そして市長の話があって、
さあいよいよ開始だ。

自転車で走りつつ状況を見てきたが、
まあきれいなものだ。
それでももっときれいに、
ということで約一時間30人程度で



掃除が行われ、集まったのは
こんなけのごみでした。



自転車や古タイヤ(市長が集めてきた)
などいろんなごみがありましたねえ。

よくぞまあこれだけという感じだが、
実際これだけのごみを集めなければ、
これらが川の水に流されて
海に流れてゆくんだと
考えればまあ大した活動なのである。

ごみ収集後は、希望者で2時間のランを
おこなったそうです。



取材はランの最初だけ撮影して終了。
その内容と写真を記事にして
広報に送っておきました。

翌日、11月号への掲載候補に
しておきますと返事がありましたが、
はたしてどうなるでしょうか。

河川敷を歩き回り、
清掃した皆さんお疲れさんでした。
来年はきっといつものように、
みんなで楽しめる三時間走大会が
開催出来ることを祈っておきます。

 


フルーツパーラーにおっさんが

2020年09月13日 20時23分18秒 | 最近の出来事

去年くらいから、
紀の川市の粉河にある
フルーツパフェ専門店が、
ジム友の間で話題になっているらしい。

「あああそこのフルーツパフェね。
クリームがおいしいんだよね」
なあんていう趣味はあまりないので、
もちろんおっさん一人で
探して出かけて行ったということはない。

ただねえ地名的には
なじみのない土地ではない。
粉河と言えば、やはり
西国三十三所札所である粉河寺には
何回か行っているしね。

あの辺りは山そのものが
ミカン畑になっていたりと、
のどかなところだ。

どうもあの辺の山の一角に
そんなパフェを作って
人気になっているのでしょう。

そんな話を聞いていたときは
「ふ~ん」と聞いてたのだが、
やはりラン友の間でさらに人気が増し、
最近はジム友のさらにその友達なんかが
いつも大変混んでいるそのお店で、
なんと2時間待って
フルーツパフェを食べたことがある、
という話が届いてきたそうだ。

へえ~、そんなに評判なのか。
じゃこれは一度行ってみますかねえ
と思い立ち、声をかけて
出かけてみることにしたのだ。

地名から行けば、
鍋谷山の下をトンネルで抜けて、
紀の川に出る少し前に
右折して山沿いを東に走る
コースに入って進んでいけばいいようだ。

ずっと行けば、根来寺に出てゆく道である。
このコースは皆生のトライアスロンの
バイクコースによく似ており、
昔は練習で走った道だ。
そこを車でかけてゆけばいいだろう。
道にもきっと案内が出ているはずである。

たしかにナビを入れると
そんな感じで誘導が始まる。
そこの店の名前は
観音山フルーツパーラーという。



観音山ということは、
粉河寺が千手千眼観世音菩薩を
本尊としているから
そんな名前なの?と思いましたが、
ちょっとそんな芋臭い名前の
つけ方ではないだろうとか
いいながら走ってゆきます。

左手に紀の川の向こうの山々が
見渡せ始めます。

あああそこは何年か前に登った
紀州富士といわれる
龍門山やなあと思い始めたころに、
道に「フルーツパーラー」の
案内の登りが立ち始めます。

おおこの案内の場所だ。
入り口の所には看板もたっている。
入ってゆきましょう。

中に入ってゆくと、広い駐車場と、
田舎の倉庫を改造したような
こじゃれた建物が現れる。



二階のベランダには傘なんかが
広げられていて、こじゃれた感を
さらに醸しだしている。

まあ二時間も待つのなら
駐車場も車で一杯になるでしょうねえ。
逆にここは車かロードバイクなんかでしか
来れないところだ。

でもこの時は駐車場はガラガラ。
建物下にすぐに止めて入っていけた。

一階はお土産とかのお店かなあ。
パフェは二階である。





歩いてゆくと、混雑時には
この上のiPadで順番の受付を
してくださいと書いてあります。



うんなかなか今風な案内である。
でもねえその案内の最後が
いかにも観音山風。

「ご縁に感謝です」だって。

でも今日は順番待ちはいらないでしょう。

入ってゆくと、窓際のいい席に
案内してくれました。

メニューを見ると、
おおいろいろありますねえ。
お目当てにしていたイチジクの
パフェの案内もありますが、
これは近日発売とあります。

どうも2、3日後に販売開始のようです。

結局注文はオーソドックスに
フルーツパフェにしました。

座って待ちながら案内を見ていると、
観音山はここのフルーツ山が
遠くから見ると観音さんが
寝ているような姿になっている
ところからつけたようですね。



テレビ取材された内容を
テレビで流しています。

そんなのを見ていると、
やってきました。



これがフルーツパフェです。



え~ここはメロンも作っているの?
と思ったら地元和歌山産の
フルーツを使っているそうです。

それにしてもこんなフルーツパフェって
どんな順番で食べていこうかと
ワクワクしますね。
まあおっさんにはあまり
似合いませんけどね。
我慢してやってください。

一階のお土産屋さんは小さな面積で
ジャムなんかを売っていました。
そして上部のフルーツ山は
龍門山や紀の川市を眺めれる
いい所でしたね。



歩道も広くついていますから、
散歩できますよ。

春先なんかとても気持ちいいでしょう。

和歌山の田舎の山に頑張って
営業しておられるフルーツパーラー。
のんびりと田舎の景色を楽しみながら
おっさん返上で豪華パフェを
一度いただきに行ってみてください。


将棋がすごいことに

2020年09月12日 21時29分12秒 | 最近の出来事

最近、将棋の世界で
藤井聡太君の活躍がすごい。

最年少記録をどんどん作ってゆき、
結局18歳で八段となり、
タイトルも二つ所有するに至った。

18歳でこれですよ。

彼の頭の中には将棋の妖精が
舞い降りてきているに
違いないでしょう。

え~背中に羽根を生やし
将棋盤の上を飛び回る
下駄をはいて「王将」の駒を
おでこにつけた妖精だ。

うう不気味だ。

でも不細工であろうが爽やかであろうが、
将棋の神様はその18歳の
頭の中で王将を歌っている。

彼が14歳で4段となりプロ化。
29連勝を飾った時には仰天したが、
年間勝率8割以上を続け、
今回の驚くべきタイトルにつながった。

昔、羽生棋士が悪魔のような
銀を刺したときには驚いたが、
今回のタイトル戦も藤井君は
驚くべき手を指していたな。

もう将棋にあまり興味もなく、
家にあった親父の将棋盤も
人にあげてしまったのだが、
あわててスケッチブックで
将棋盤を作り、かろうじて残っている
将棋の駒で彼の棋譜を
再現したりしている。

いやあ、なんかプロが歓声を
上げるような手を指しているらしい。

あまりdoiron自身は強くないので、
なぜそれがすごい手といわれる
とよくわからないのだが、
じっくり見ているとなるほど
その後の棋譜に大きな影響を
与えるような手であったり、
いきなり形成が大逆転する手で
あったりするようだ。

最近は将棋の評価にパソコンのAIが
よく登場する。
将棋で世界最強といわれる
最強のソフト「水匠2」の
動きとよく比較されている。

6億手読んで最強と言われる手を
藤井君はさしたりしているそうだ。

いったい彼の頭の中は
どうなっているんだろう。

とまあそんな興味を抱いた時に、
サンケイスポーツから特集の

「藤井棋聖誕生」

という本が出たので
買ってみることにした。

歩いている途中でお茶の補充に寄った
コンビニで見つけたのだ。

これがねえ、棋聖戦の一局一局を
棋譜と共に紹介したり、
王位戦も取り上げたりしていて
とても楽しい本だった。

なるほどねえ、こんなことが
あったのかというようなことが
山ほど書かれている。

最近名人となった渡辺棋士に
三勝一敗とは驚きだ。

感心して読んでいたら、
こんど本屋に行った時に
見つけたのがスポーツ雑誌といわれる
Numberの初の将棋特集だ。

表紙は藤井君の立ち姿。
これも迷わず買ってしまった。
こんな感じね。



なんとこの将棋特集が
この雑誌の発行最大部数を
記録しているらしい。

スポーツ雑誌が驚くコラボを
しているわけですね。

まだ全部読んでいないが、
他棋士の言葉とかがたくさん出てきて、
これもまたとても面白い。

ねがけに読んでいて、
将棋を指す夢を見たこともあるくらい。

やあ彼のおかげで
将棋界もとても面白いことに
なっていますねえ。

これらの本を読んでいて、
これはどうなっているんだろう
と思うことがいくつかある。

例えば、藤井君の師匠は「杉本8段」。

藤井君の活躍の陰で、
たびたび登場してくる棋士だ。

この師匠というのは何だろう。
藤井君は月謝払ったりしているのかなあ。

まあ子どもの時はそうだったろうけど、
今はなあ。

だってタイトル戦だって、
もう師匠を越えて藤井君は
戦っているもんなあ。

まあ師匠なんですから、
そんないろんなルールの陰で、
藤井君を支える様々な
アドバイスをしているんでしょうねえ。

藤井君は棋聖戦の2局で着た着物は
師匠から送られたもの
だったらしいしねえ。

まあ将棋の師匠と弟子の関係って
ちょっと気になったりしています。

これから先藤井君はすごい活躍を
していくでしょうねえ。

勝率8割越えですよ。
タイトル戦に出たら
ほぼタイトルを手に
入れていくんでしょう。

今は棋士が彼との対局になったら、
ものすごく彼のことを
学んで出てくるそうです。

そういう意味で、藤井君もさらに
厳しい立場になっていくんでしょうけど。
負けずに頑張ってほしいですね。

羽生棋士は7冠を独占して
世間を騒がせたけど、
今がその時なかった叡王という
タイトルもあるから、
今度は藤井君の8冠制覇を
楽しみにしていかなくちゃ
と思っているdoironなのでした。