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‘パフィオ・ペディラム’ (=‘レディススリッパ’)の旬は今!!

群馬・藤岡にある道の駅・ららんは一年中「蘭の花」が展示販売されています 
「蘭の花」って、いつが旬なのでしょう  
「蘭の花」は数千・数万種といわれるほど、沢山の品種があるようです  
品種によって様々の環境に対応して咲くので、年中どれかの蘭が咲いている訳で、蘭は「年中旬の花」といってもいいのかもしれません
とは言え、蘭については良く知らないせいもあるのですが、寒いこの時期に、とっても目立つ「蘭の花」が展示棚に並んでいました 
お店の人に名前を聞いたら、‘パフィオ’だと教えてくれました
 正式名は‘パフィオ・ペディラム’といい、熱帯アジアを中心にインド・中国南部・ニューギニア・ブーゲンビリ島まで分布している「地生ラン」だそうです
英名で‘レディススリッパ’と呼ばれ、花弁の1つが袋状になっている特異な花の姿をしています
この袋状の形が、サンダル・スリッパに似ている所からこの名が付けられたようです



自然では‘パフィオ’のほとんどが森林の下に地生したり、岩石などに地生しているそうです
花は長い花茎の先に単独か、少数を穂状につけるようですが、大概は単独花が多いようですが、花形が割りに特異で目立ちます
分類的には日本にある‘アツモリソウ’の仲間になっているようです

  花にある袋のようなものは一見食虫植物の袋のように見えます
ネットでこの袋の役割を調べてみたら、蜜を求めてきた虫たちが袋に落ち、袋出口の通路を通る時に、雄しべの花粉を体に付着させ、そのまま次の花の袋へ落ちて、出る際に雌しべの柱頭に受粉してもらう構造になっているのだそうです
袋に落ちた時の虫の気持ちはどんなでしょう 
びっくりして慌てて飛び出して、又落っこちるなんて、ちょっと信じがたい気もします



花言葉 ; 「 変りやすい愛情 」 、「 思慮深さ 」 、「 優雅な装い 」 、「 責任感の強い人 」
種類の多い‘パフィオ’ですから、色々な花言葉が生まれるようですが、写真の‘パフィオ’はちょっと不気味イメージで、どれも当っていない感じです

   お知らせ !!
‘パフィオ’は洋ランのイメージが強いですが、日本での栽培の歴史も結構古く、歴史的に水戸徳川家のコレクションが有名だそうです
現在、このコレクションは水戸市植物園等で栽培が続いているそうで、いつか行ってみたいな
そうそう今日から世界ラン展が東京ドームで始まっているんですね
やはり蘭の旬は今の時期なのかな 
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‘ボケ’の花 → 春が束ねて売られてました ♪♯

毎日このところ寒い日が続いており、天気予報は雪情報が飛び交っています
昨日も関東地方はうっすらと雪化粧  です
今年は暖冬予想だったし、立春も過ぎたしで、暖かになってきていると思うのですが、なかなか春は遠いようです
花屋さんの店頭で、一足先の春を束ねて‘ボケの花’が売られてました   



束ねられた‘ボケ’の木の枝は真直な短かい枝が、色々な角度で斜に構え、近づくものを突き刺すような姿をしています
そんな真直な短かい枝に、紅や白の花が「パッチリ」、いや「ぽっ」と幾つもが寄り添う様に咲いています
かって曲がった事がないと想える程に頑固で、固いといった感じの木幹に開いている花を見ると、愚直に春を報せるイメージを感じます

夏目漱石の‘ボケ’を詠った句を見つけました
      “ 木瓜咲くや   漱石拙を     守るべく ” 
      “ 其愚には    及ぶべからず   木瓜の花 ”

「漱石」の句で詠われている「拙を守る」という言葉は、陶淵明の「拙を守って田園に帰る」が出典だとされています
この意味は、「不器用で世渡りが下手で、不遇をかこつ」といった意味だと理解されており、‘ボケ’の花の愚直さを「漱石」も感じたという事なのでしょうか 



‘ボケ’の花の 花言葉は、「 先駆者 」 、「 指導者 」 だそうですが、早春を愚直に知らせるという事なんでしょうか・・・‘ボケ’の花の色合いの暖かさは「早春花」としてぴったりです

    薀蓄情報です    
‘ボケ’の花は縁結び・安産にご利益があるといわれ、各地にある「冠稲荷神社」ではお守りが沢山販売され人気があるのだそうです
何故‘ボケ’の木がご利益あるかというと・・・
群馬・太田の冠稲荷神社にある子宝伝説によると、昔、子供のいない夫婦が修験者の老人から貰った‘ボケ’の実を食べると子宝に恵まれ、夫婦はお礼として冠稲荷神社に‘ボケ’の木を植えた事から、子宝 長寿のご利益あるとされているそうです
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‘エビデンドラム’の花が今頃・見頃!?

寒いこの時期、近所の花屋さんで、‘エビデンドラム’の花 が鉢植えで咲いているのを見つけました
‘エビデンドラム’はカトレアの近縁種(ラン科)で、本来春から夏にかけてたくさんの色鮮やかな小花を咲かせるのですが、今頃温室に入れてある訳でもなく咲くなんてと驚いています
‘エビデンドラム’の名は「木の上」を意味するギリシア語に由来し、木に着生する着生ランであることを表しています



‘エビデンドラム’属としては700種位あるのだそうで、花色も朱 ・黄 ・紫 ・白・桃と多様だそうですが、あまり沢山は見たことがありません
中南米が原産地なのですが、密林の中でカラフルな花が樹上に着生しているのを見かけられたら、さぞや綺麗でしょうね  



ところで着生蘭はどうやって増えるのでしょう 
ミズゴケなどを使って、人為的に着生させて増やしているのを見ますが、自然に増えるのはやはり種からなんでしょうか!?
だとしたら風媒花!?・虫媒花!?どっちかな
そういえば宿木もどうやって増殖するのか気になってきました・・・その内調べてみよう 
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埼玉・秩父長瀞・宝登山麓の「不動寺」

‘宝登山’山頂の‘蝋梅’を見て、ロープウェイで下山する時、右側眼下に梅林に囲まれたお寺が眼に入りました 
ロープウェイを降り、山麓駅脇から延びる参道を登ると、「長瀞山・不動寺」と記された立派な門柱をみつけました
このお寺の名は「長瀞山五大院不動寺」といい、真言宗醍醐派で「不動明王五大明王 」が祀られています



境内に続く参道を進むと、まもなく咲くであろうと思える‘枝垂れ梅’が一杯植えられ、それと混じって大きく伸びる赤い肌をした松林の間から御堂の屋根がみえてきます
「不動寺」左手には沢山の‘枝垂れ梅’が綺麗に植えられており、今月下旬過ぎは見事になるでしょう


         不動寺本堂

「不動寺」は「秩父長瀞七草寺」の一つとされ、「(秋の七草)撫子の寺」と呼ばれています
今の時期ですので、‘撫子’は見つけることは出来ませんでしたが、どんな謂れがあるのでしょう
それよりも秋には裏山に7000株の‘ヒガンバナ’が咲くといいますから、そちらの方が見てみたい気がします

 早咲きの‘枝垂れ梅’が出迎えてくれました   ‘撫子’を詠った碑がありました

 まもなく(3月1日(日))、秩父路に春を告げるまつり「長瀞火祭り」が「不動寺」で行われます
この「長瀞火祭り」は、もともと秩父地方で育まれた信仰行事を再興したものだそうで、毎年春の行事として賑わうそうです
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‘マンサク’の花が咲きだしました (^^♪

昨日に続いて・・・宝登山山頂の‘蝋梅’林を歩いていましたら、蝋梅に混じって咲く ‘マンサク’の花 を見つけました
花の名前に詳しくないと思えるツアー客の一団が、「変った蝋梅が咲いてる~♪」なんて、歓声を上げていましたが、‘マンサク’はあまりメジャーな花ではないのかも知れませんね
‘マンサク’の花は早春花といっても、寒さがとてもきつい1/25頃から咲きだし、 3/25頃までと、他の春の花が咲き出す頃まで咲く「早早春花」といえます
見つけたマンサクの花も周囲に残る雪の中、寒さを気にせず咲き誇っていました



周囲の空気が雪の降った後のせいかピリッとした冷気を感じる中で、鮮やかな黄色いひも状の花びらが躍動するように咲いています
‘マンサク’も色々な種類があるのでしょうか!?
この‘マンサク’の花の花びらは八重咲きかなと思える程、とても多くあるように思えます



   「  まんさくや   小雪となりし   朝の雨  」       水原秋桜子
寒さまだまだ厳しい時に咲く‘マンサク’の花がとっても良く詠われているなと感心しきりで、こんな句がすっきり詠えたらどんなにいいでしょう  
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埼玉・長瀞 「宝登山」の‘ロウバイ’が見頃です!?

年初来何度かテレビ で、「宝登山(ほどさん)」の‘ロウバイ’が見頃だと放映されていました 
先週初め思い立って 行って来ました
「宝登山」は、関越道・花園ICを下り、秩父方面にR140を約19Km程走った埼玉・長瀞にある標高497mの山です
山麓には「秩父神社」、「三峯神社」と並ぶ秩父三社の一つ「宝登山神社」があります
神社を右手に見て坂を上がり、山頂近くまで架設されている「宝登山ロープウェイ」駐車場に、車 を停め、一気に山頂に咲く‘ロウバイ’の花を見てきました


「宝登山ロープウェイ」は、山麓駅から山頂駅までの全長832mを、約5分間で結んでいます
この日は数日前に降った雪があっちこっちに残り、軽装の私には周囲の観光客の山歩き支度が気になりました
帰ってから知ったのですが、「宝登山」はハイキングコースとしても人気があるそうです

    山頂付近の‘蝋梅’林です …7~8分咲きでしょうか!?  



    山頂駅広場から南側を望むと、…
中央右に見える先のとがった山は、秩父の象徴とも言われる「武甲山(標高1,304m)」です
山懐に見える盆地は秩父市が広がっています



     西南に眼を向ければ、「武甲山」に連なるように奥秩父の山並みが一望できました



山頂駅から山頂まで、‘ロウバイ’の花道が続いています
‘ロウバイ’の花枝の向うに、奥秩父の山々が連なって見え、なかなか見ごたえのある風景です 
      中央奥に見えるギザギザ形の山は、日本百名山の一つ「両神山(標高1,723m)」です


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世界でも珍しい‘ 縁切寺’に行ってきました

世界で2つしかないといわれる「縁切寺」の一つが、群馬・太田にあり、その名も『縁切寺・満徳寺』と言います・・・(もう一つは鎌倉・東慶寺ですが、満徳寺の方が古いお寺です)

先日紹介した「世良田東照宮」から車 で5~6分の所に「満徳寺遺跡(群馬県指定史跡)公園」があり、公園敷地内に資料館、その他復元された本堂、駆け込み門が建てられ、往時を偲ぶ事が出来ます  
「縁切寺・満徳寺」の正式名称は『徳川満徳寺』で、徳川家康の孫・千姫(豊臣秀吉の子・秀頼の妻)が、入山したことに由来しているようです
このため「縁切寺・満徳寺」は江戸幕府の厚い保護を受け、寺役場や客殿まで建ち並ぶ大伽藍が造られ、繁栄しましたが、江戸末期火災にあい、多くの寺宝を失ってしまったそうです
その後一端再建されましたが、江戸幕府の崩壊により、明治5年廃寺になって現在に至っています


      塀向う正面建物が復元本堂です・手前礎石跡は本堂跡です

男尊女卑的発想の封建社会で、女性からの離縁はなかなか難しいものだったようです
江戸時代においては、離縁は夫側からの離縁状交付にのみ限定されていました
唯一離婚制度として、「縁切寺」が妻側からの離婚請求を受付て妻を保護し、離婚調停を行う特権を公的に認められており、現代の調停裁判所の役割を果たしていたようです


     復元本堂正面                 本堂側からみた駆け込み正門

 「駆け込み」の薀蓄~で~す!  
離婚したい女性が縁切寺に入るのは大変な苦労があったようで、大抵は夫の眼を逃れて寺に駆け込む仕儀となり、「駆け込み寺」と通称されています
寺内は尼寺であるので、一歩も男性は入れませんので、駆け込もうとする妻を駆け込ませないように妻を連れ戻そうと、夫が追い掛けて来ると言う事も度々あった様子です
縁切を望む女性が、寺の敷地内にある「駆け込み正門」の内側に妻の体が一部分でも入れば、夫であっても連れ戻してはならない事になっておりました
厳密には体の一部でなく、履いていた草履を投げて敷地内に入った、もしくは投げた簪が門に刺さった場合等も、夫は妻を連れて帰ってはならない決まりになっていたそうです
「縁切寺」は日本で2ヶ所しかなかったのですから、ここ太田に日本国中からいかにしても離婚したいの思いを持って駆け込んできた女性たちの必死さが、そんな決まりの中に伝わってきます

 史跡「満徳寺」に併設されている資料館の中には、寺に伝わる歴代の徳川将軍の位牌、縁切状(去り状、三行半)など、貴重な資料が展示されています
撮影禁止なので、パチリしませんでしたが、一見の価値ありますよ 
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群馬・藤岡 「庚申山」 は、鳥のメッカです

群馬・藤岡にある「庚申山総合公園」は、群馬百名山の中で最も低い「庚申山」一帯に広がる46ha程の自然公園です
「庚申山総合公園」園内 には池や沼があり、‘ミズナラ’や‘ブナ’の広葉樹林もあり、季節に応じて「探鳥の森」とも云える程、沢山の野鳥が集まって、鳥達のメッカのようです

先日「庚申山」に行きましたら、三々五々に公園各所の探鳥ポイントで、撮影している人たちを見かけました



公園の一画に建てられた野鳥紹介の看板です
大型の野鳥は少ないようですが、渡り鳥も含め、小鳥達が一杯います



春の日差しを浴びてフカフカしているような枯葉の絨毯の中を、餌さがしでしょうか!?・・・小鳥達が跳び回っています
私のポンコツデジカメ  では、鳥達のすばやさについていけませんが、やっと何枚か撮れました ・・・その様子を見てください 


         ‘シジュウカラ’               ‘ガビチョウ’(*ウグイスかと思ってました)

 
         ‘ヤマガラ’                      ‘コガモ’ 

  
           ‘ カルガモ’    
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‘カモ’君 のんびり !!

立春が過ぎました   
まだまだ寒い日がつづいていますが、周囲の風景には何処となくあたたかさを感じます
マイ菜園の横に流れる河は、川幅が10m位あるのですが、水の量が随分少なくなって、流れもゆるやか・水温む小川のようです
少ない水面に カモ君 達が、寄り集まってのんびり泳いでいました   



「県立公園・群馬の森」に流れる川にも、カルガモ達が水辺に集って餌取りのようです  



「県立公園・群馬の森」に流れる川中で、石の上にマガモがお昼寝してました  



  日本で‘カルガモ’は通年生息し、全国の河川や湖などで見られます
‘マガモ’は冬鳥です
越冬のために日本より北の国から渡ってきて、冬を日本で過ごし、冬が終わると再び繁殖のために北の国に渡って行く「渡り鳥」です
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“ウグイス(鶯)”の声が、そろそろ聴かれそうです

今日は立春!! 
一昨日は関東地方一帯が  白くなりましたが、暦の上では春の始まりですね
先日近くの公園を散策していたら、落葉樹の枯葉が一杯敷き詰められた中で、ガサゴソ飛び回っている小鳥が一杯居るので眼を凝らしてみたら、なんと“ウグイス”ではありませんか!!  
しばしその場にじっと佇んで、シャッターチャンスを待ちました
何枚も撮ったのですが、動きが早く、やっと4~5m先松の根方で餌取りしていた“ウグイス”が  撮れました・・・【注;実はこの鳥は‘ウグイス’でなく‘ガビチョウ’というのだそうです <(_ _)> 以下‘ウグイス’のつもりで読んでください】    




平地にて鳴き始める季節が早春であることから、『春告鳥』の呼び名を持つ“ウグイス”を、自然の中で鳴き声は聞いていても、じっくり近くで見るのは初めてです
“ウグイス”は全身がややオリーブ色がかった茶かっ色で、平地から山地の藪(やぶ)のしげった林にすんでおり、昆虫が常食です・・・冬には木の実も食べます
通常“ウグイス”はとても用心深く、鳴き声は近くで聞くことが出来ますが、薮と保護色でもあり、動きも早くじっくり観察が出来ません
この日は十数羽とも思える“ウグイス”が、藪の家から飛び出して、枯葉の広間をあっちこっち跳び回って、葉の下に潜り込むように餌探しです  
枯葉とそっくりなので、枯葉に混じると写真を撮ってもなかなか分りません
だから“ウグイス”の地上姿はもしかしたら珍しいのではと悦に入ってます



   薀蓄(うんちく)・その1で~す!  
「ウグイス色」と云うのは、抹茶色に近い柔らかな黄緑色を指します
この色は‘ウグイス’の羽根色ではなく‘メジロ’の羽根色です
ネットで、‘ウグイス’の画像公開写真を見ると、結構‘メジロ’が‘ウグイス’画像として巾を利かせています

   薀蓄・その2で~す!  
「ウグイスの糞」は古くから美顔洗顔料やにきび治療薬として人気があります
その理由は糞には豊富にリゾチームなどの加水分解酵素が含まれ、顔に塗布する事で角質層が柔らかくなって、小皺が取れたり肌のキメが細かくなるらしいのです
また肌のくすみが取れて色白になるともいわれ、女性にとっては垂涎のお化粧薬といえそうですね
でも‘ウグイス’は鳥獣保護法で捕獲・飼育が禁じられているのだから、どうやったら糞を集められるのかな??・・・珍重品だろうからダイヤモンド並の化粧品になりそうですね 
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群馬・「新田荘(にったのしょう)歴史資料館」を見てきました

昨日に引き続いて…
「お江戸見たけりゃ世良田へござれ…♪」と唄われた群馬太田市世良田には、往時の繁栄を偲ばせる史跡が各所に多く残っており、歴史公園として整備され観光客を呼んでいます
それら中世新田氏の荘園「新田荘」の史跡「新田荘遺跡」等に関した歴史資料が「新田荘歴史資料館」に数々集められ展示されています



世良田の歴史は、1100年初期清和源氏の末裔・式部太夫義国が、内大臣藤原実能との争いで、下野国足利郡に流され、その長男・義重が、新田庄(今の群馬県新田郡)に移り住んで、新田氏を称した事に始まっています
「歴史資料館」の入り口には、「新田義貞」の銅像が飾られていました



「新田義貞」は新田氏8代目の頭領で、世良田から兵を起こし、鎌倉まで攻め上って、鎌倉幕府倒幕をなした人物です
兵を起こした時はたった150旗だったというのですからびっくりです

  群馬県には県内の子供に群馬県の名物、歴史などを教えるために、1947年に作られた『上毛かるた』があります・・・県大会まであるんですよ 

     “  歴史に名高い新田義貞  ”
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‘世良田東照宮’  ; 群馬名所紹介

「東照宮」といえば、栃木・日光東照宮が有名で、群馬に「東照宮」があるなんて知りませんでした 
神社の名は、‘世良田東照宮’と呼ばれ、群馬・太田市(旧新田郡尾島町)世良田町・東武伊勢崎線・世良田駅の南1.2km程の辺り、新田の庄歴史資料館や長楽寺が点在する歴史公園の一画に建てられており、先日車 で行ってきました
「世良田」は清和源氏の流れ「新田氏」ゆかりの地であり、新田義貞、足利尊氏・徳川家康など、歴史上名を挙げた者は皆新田氏の家系に繋がっています
それ故‘世良田東照宮’は「世良田」が徳川氏の発祥の地であり、徳川二代将軍・秀忠が造営した日光東照宮の大改築を行った三代将軍・家光は先祖の遺徳の高揚と世良田の守護神として、創建時の奥社殿を1644年(寛永21年)この地に移築し、新に本殿を築いて、東照大権現として、初代将軍・家康を祭ったのだそうです


        神社入口の御黒門と社号標・(最奥・拝殿)


        拝殿 (国の重要文化財に指定されている)

‘世良田東照宮’の隣に建つ「長楽寺」は徳川義季開基とする寺で、東照宮の一体宮とも思える装いに見えます
「日光輪王寺」と「長楽寺」の住職を兼ねていた『天海僧正』は三代将軍・家光に発願し、日光東照宮旧社殿の一部を「長楽寺」元境内に移築して、東照宮を勧請しました
それ以後徳川幕府は、「長楽寺」をその別当寺として、東照宮の管理や祭祀に当らせ、二百石の社領を与えるといった手厚い保護をしてきたそうです


          長楽寺・三仏堂 :江戸時代の慶安4(1651)年に建造された仏堂建築
            中には、釈迦如来・阿弥陀如来・弥勒菩薩の三尊仏が安置されています


          長楽寺:太鼓門

  薀蓄(うんちく)で~す  
江戸幕府によって建立された日光、久能山などをはじめとして、各地の徳川・松平一門大名家、さらには譜代大名、外様大名家は競って東照宮を建立し、一時はその数全国で500社を超える東照宮が造られたそうです
明治維新以後には、廃社や合祀が相ついで、現存するのは約130社とされますが、それでも随分あるものですね
日光東照宮・久能山東照宮・仙波東照宮をもって「日本三大東照宮」と称されるそうです
‘世良田東照宮’は格付け的には4番目って事らしい!? 
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‘イヌビワ(犬枇杷)’ = ‘ヤマイチジク(山無花果)’

昨日に続いて・・・
山野草店で、イチジクによく似た果実がかわいい、鉢植えされた‘イヌビワ’を見かけました  

‘イヌビワ(犬枇杷 )はクワ科イチジク属の落葉小高木で、別名‘イタビ’、‘姫枇杷’ともいいます
落葉小高木という事で、樹高は3~4mになるらしいのですが、店棚で見かけたものは高さ15cm位しかなく、自生している態は想像できません
関東以西本州、四国、九州、沖縄に分布し、コナラ林などの二次林や林縁などに生育しているのだそうです



‘イヌビワ’は雌雄異株で、通常初夏に花を付け、果実はイチジク状果という偽果の一種で秋過ぎに黒紫色に熟し、食べられるようになるようです 



果実を摘むと‘イチジク’のように乳白色の樹液が出てきます 
この為、古くから‘チチノキ’、‘チチノミ’、‘小無花果’とも云われていたそうです
万葉集に登場し、「大供家持」の歌が残っています

“ ちちの実の / 父の命(みこと) / 柞葉(ははそば)の / 
          母の命 / おほろかに / こころ尽くして思ふらむ / その子なれやも ”
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