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「巻五 内野の雪」(その5)─少将内侍(藤原信実女)

2018-01-10 | 『増鏡』を読み直す。(2018)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 1月10日(水)10時08分41秒

続きです。(井上宗雄『増鏡(上)全訳注』、p253以下)
この場面に出てくる少将内侍の歌から巻名「内野の雪」が採られています。

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 かくて御即位、御禊も過ぎぬ。大嘗会の頃、信実の朝臣といひし歌よみの娘、少将内侍、大内の女工所にさぶらふに、雪いみじう日頃降りて、いかめしう積もりたる暁、大きおとど実氏のたまひ遣しける。

  九重の大内山のいかならん限りもしらず積もる雪かな

御返し、少将内侍、

  九重の内野の雪に跡つけて遙かに千代の道を見るかな
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「女工所」(にょくどころ)とは大嘗会に用いる装束を調製するため、臨時に設けられる行事所で、悠紀方・主基方、それぞれ内侍が預(あずかり、主任)になります。
「信実の朝臣といひし歌よみ」は画家としても著名な藤原信実(1177-1265)のことで、『増鏡』には隠岐へ流される後鳥羽院が母の七条院へ贈る自分の肖像画を描かせた人として登場しています。

「巻二 新島守」(その7)─九条廃帝(仲恭天皇)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8111effe1a7eac3ee2ee79a29d92cb46

さて、この場面は、妹の少将内侍とともに後深草天皇に女房として仕えた弁内侍の日記から引用したものですが、『弁内侍日記』では次のように記されています。(『新編日本古典文学全集48 中世日記紀行集』、小学館、1994、p153以下)

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 十四日の夜、少将内侍、女工所へ渡り居て、心地なほわびしくて侍りければ、何事も知らで臥したるに、暁方、遥かより雪深きを分け入る沓の音の聞ゆるにおどろきて、心地をためらひて、やをら起き上がりて聞けば、「大宮大納言殿より」と言ふ。声につきて妻戸を押し開けたれば、いまだ夜は明けぬものから、雪に白みたる内野の景気、いつの世にも忘れがたく、面白しと言へばなべてなり。御文開けて見れば、
  九重や大内山のいかならん限りも知らず積る白雪
返し、少将内侍、
  九重の内野の雪にあとつけて遥かに千代の道を見るかな
 その雪の朝、少将内侍のもとより、
  九重に千代を重ねて見ゆるかな大内山の今朝の白雪
返事、弁内侍、
  道しあらん千代のみゆきを思ふにはふるとも野辺のあとは見えなん
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岩佐美代子氏の訳は、

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 その十四日夜、少将内侍は女工所に詰めていて、気分がまだ悪いので何もかも打ち捨てて寝ていると、明け方、遠くから雪深い中を踏み分けて来る沓の音が聞こえるので目をさまし、具合の悪いのを我慢してそっと起き上がって聞くと、「大宮大納言殿からのお手紙」と言う。声を頼りに妻戸を押し開けると、まだ夜は明けないが雪明りで白々と見える内野の風情が、いつまでも忘れられないだろうほどに面白いとも何とも言いようがない。お手紙を開けて見ると、
  九重や……(宮中の古い歴史を残す大内裏の様子はどんなでしょう。
  限りなく降り積もる白雪に、その神々しさが想像されます)
返し、少将内侍、
  九重の……(幾重にも積る内野の雪を踏み分けてお訪ね下さった御使
  の足跡によって、何千年も続く正しい政〔まつりごと〕の道を、目の
  前に見る思いがいたします)
 その雪の朝、少将内侍の所から、
  九重に……(ここ、古い宮廷の跡に、我が君の千代の御栄えを重ねる
  ように見えますよ、大内裏の今朝の白雪は)
返事、弁内侍、
  道しあらん……(正しい政道をもって千年も続くであろう御代初めの
  行幸と思えば、雪はいくら降っても内野に通う道の跡は明らかに見え
  ましょう)
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ということで、名訳ですね。
ここに出てくる「大宮大納言」は西園寺公相(1223-67)で、寛元四年(1246)には二十四歳ですね。
しかし、『増鏡』では公相を勝手に父親の実氏(1194-1269)に代えてしまっています。
公相の歌も、最後の「積る白雪」を「積もる雪かな」に変えていますね。

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