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「有明の月」ストーリーの機能論的分析(その8)

2022-12-08 | 唯善と後深草院二条

私は旧サイト『後深草院二条─中世の最も知的で魅力的な悪女について』を運営していた時期に『とはずがたり』関係の文献は殆ど読み尽くしていましたが、田渕句美子氏の「宮廷女房文学としての『とはずがたり』」(『歴史評論』850号、2021)で最近の研究状況を見ても、あまり進展を感じませんでした。

「被害者としての女性史」の限界
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/117f163a5897ef1bb9da15c2f2d9e188
旧サイト 参考文献:『とはずがたり』
http://web.archive.org/web/20150905121827/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/sankobunken-towa.htm

ただ、日下力氏の『中世尼僧 愛の果てに 『とはずがたり』の世界』(角川選書、2012)は、「第一章 執筆の動機」において、『とはずがたり』の「最初の読者」として遊義門院を想定されており(p55)、これはなかなか新鮮な視点ですね。
しかし、遊義門院が非常に心の広い人で、父・後深草院が異常性欲の変態として、また母・東二条院が意地悪な人間として描かれていることを許容する度量があったとしても、自分自身が重病になっているときに、後深草院の推奨の下、病気治療の祈祷に来た高僧「有明の月」と二条が連日連夜、痴態の限りを尽くしていたと知って、心穏やかでいられたものなのか。
それは単に「御修法の心ぎたなさ」だけでなく、重病の娘が死んだってかまわない、という無慈悲な父親像を導きますから、さすがに遊義門院も甘受できなかったのではないか、と私は想像します。
ということで、結論的に私は日下新説を支持できないのですが、日下著にはいくつか興味深い指摘もあるので、後で少し検討してみたいと思います。
さて、「有明の月」ストーリーに戻って、「有明と逢う、院作者にからむ」(8)に入ると、「真言の御談義」が終わる前夜、二条は自発的に「有明の月」のところに行きます。
そして、戻って来た二条に対し、後深草院はネチネチと嫉妬めいたことを言うので、次田香澄氏は「ここは、作者・有明・院という三者の情炎渦巻く地獄絵図をみるようである。この段における描写の迫真性は、物語・小説などの創作では到底及ばないところであり、事実・体験に基づく日記文学にして初めて可能な世界であろう」などと言われています。

http://web.archive.org/web/20061006205740/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-towa3-8-sakushanikaramu.htm

「曙の恨み言、着帯」(9)では「このほどは上日なれば祗候して侍れども、おのづから御言の葉にだにかからぬこそ」などと言う人物が主語なしで登場しますが、これは「雪の曙」と解されています。
ここは直ぐ後に「広御所に師親・実兼など音しつるとて」と西園寺実兼の実名が出て来るところが少し変なのですが、次田氏は「直前の雪の曙と区別し、公人として書いている」と解されています。(p73)

http://web.archive.org/web/20061006210334/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-towa3-9-chakutai.htm
(※タイトルが誤って前場面と同じになっているが、正しくは「曙の恨み言、着帯」)

「供花、院の扇の使」(10)では後深草院の意地の悪い小細工に翻弄される二条の様子が描かれます。

http://web.archive.org/web/20061006210303/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-towa3-10-ouginotukai.htm

「法輪寺に籠る、嵯峨殿より院の使」(11)に入って、二条が「まことならぬ母の、嵯峨に住まひたるがもとへまかりて、法輪に籠りて」いたところに後深草院に近侍する楊梅兼行が訪ねてきます。
大井殿(嵯峨殿の一画)に住む大宮院が病気で、後深草院と亀山院が見舞いに来たが、「はかばかしき」女房がいないので来てくれ、との後深草院の依頼です。

http://web.archive.org/web/20061006205720/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-towa3-11-horinji.htm

しかし、「大宮院と院・亀山院の酒宴」(12)では、実際には大宮院の病気(脚気)はたいしたことがなかったとのことで、舞台は一転、快気祝いの華やかな祝宴となります。

http://web.archive.org/web/20061006210015/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-towa3-12-omiyain.htm

ところが「両院の傍らに宿直、亀山院の贈物」(13)になると、亀山院が二条を「この両所の御側に寝させさせ給へ」などと言い出して、隠微な雰囲気が漂い始めます。
この場面、全体的に発言・行動の主体が分かりにくく、意図的に曖昧に描かれているのですが、亀山院が後深草院のすぐ近くで妊娠中の二条とあれこれやっていたらしく、『とはずがたり』屈指の変態的場面であることは間違いありません。
次田香澄氏は「作者は、第一夜では、やむを得ず亀山院にほど近い場所に一人宿直した様子であり、第二夜は同室に寝た両院に添臥したとあるが、まことに異常で猟奇的ですらある。作者はあっさりと「憂き世の習ひ」と割り切っていても、強引な弟院よりは、それをどうにもできない兄院に対し、不信と憤懣を覚えたに相違ない」(p95)などと書かれていますね。
なお、この場面には「大宮院」に加えて「前斎宮」も登場するので、巻一の長大な「前斎宮」エピソードを連想させます。

http://web.archive.org/web/20061006205444/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-towa3-13-ryoinnokatawara.htm

そして「東二条院より大宮院へ恨みの文」(14)と続き、二条の噂を聞いた東二条院が大宮院に告げ口するという展開となります。

http://web.archive.org/web/20061006205959/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-towa3-14-higashinijoin.htm

このあたり、巻一の「前斎宮」エピソードが始まる前に「東二条院の不興」の場面があったこと、そして同エピソードの終わりに「東二条院作者を非難、院の弁護」の場面があったことを連想させる、というか、同エピソードの繰り返しのような展開ですね。
「前斎宮」エピソードでは後深草院のみが変態で、亀山院は比較的まともな人に描かれていましたが、ここでは同母兄弟が揃って変態という扱いです。

※参考
巻一「前斎宮帰京、院大宮院に作者を語る」
http://web.archive.org/web/20061006205436/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-towa1-33-zensaigu.htm
同「東二条院作者を非難、院の弁護 」
http://web.archive.org/web/20061006210311/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-towa1-37-innobengo.htm

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