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久しぶりに網野善右衛門氏について

2015-01-07 | 網野善彦の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 1月 7日(水)15時34分32秒

ウィリアム・ジョンストン氏の「封建漁民から列島の人々へ 網野善彦の歴史叙述の旅路」は細かい間違いを指摘したらキリがありませんが、外国人の研究者ですから仕方ないですね。
一箇所、ごく単純な誤解だけ指摘しておくと、「彼は山梨県に生まれたが、一二歳で東京の小学校へ転校し」(p237)は変ですね。
監修者の高野宏康氏自身が作成した年譜に照らしても明らかな誤りなのに、何故か訳注に訂正がありません。
網野氏は誕生の翌年(1929、昭和4)、「父が東京で事業を始めることになり」(p280)東京に転居しますが、より正確には父の網野善右衛門氏は叔父で東京電燈社長だった若尾璋八に支援を要請された訳ですね。
網野善彦氏の実兄で、著名な弁護士・弁理士の網野誠氏の「運・根・胆」(『青少年に贈る言葉 わが人生論 山梨編(下)』(文京図書出版、平成3年、p16以下)によれば、

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私の生まれ育った家は錦生村(現・東八代郡御坂町)で地方銀行と造り酒屋をやっていたが、昭和四年、私が錦生小学校五年のとき、父善右衛門は当時東京電燈の社長であった叔父の若尾璋八に支援を要請されたということで、子供の教育旁ら一家を挙げて東京に移り住んだ。父は昭和五年以降の若尾財閥の没落のため、叔父からの話は実らなかったようであるが、病を得るまでは郷里の銀行とともに、東京では石油会社をも経営していた。
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という事情だったそうです。
若尾財閥の没落がなければ、善右衛門氏もあるいは東京電燈(東京電力の前身)の取締役くらいになっていたのかもしれません。

「当家は地方屈指の旧家にして」
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5aa83953c58b5c6ede6ecf0d53d835bc
「温厚の紳士網野善右衛門」
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/86f3f0233d058f8089101327f72ebab2

網野家の本宅は高輪の二本榎という高級住宅地にあり、鎌倉大町には別荘があって、善右衛門が鎌倉で病気療養中には旧知のブラック・ジャーナリストがご機嫌伺いに来てくれたそうですね。

「網野夫人の手紙」
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5cc067eee8f30c4ce44e07e1f046ced0

山梨県の地主といっても、時代の流れについて行けなかった三井甲之などとは異なり、石油への着目に伺われるように実業家として先見の明はありながらも、中央のエスタブリッシュメントに進出しようとした段階で、若尾財閥の没落とご本人の病気で躓いてしまった、ということみたいですね。

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