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「かのかたはを愛するなりけりと、興なく覚えければ」

2015-01-17 | 網野善彦の父とその周辺

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 1月17日(土)21時32分17秒

>筆綾丸さん
今頃やっと『網野善彦対談集「日本」をめぐって』を入手し、読んでみました。
対談相手の写真を見る限り、田中優子氏は水商売風、成田龍一氏は中国共産党の幹部っぽいなど、それぞれ個性的な方々ですが、小熊英二氏はヨーロッパ中世絵画のデビルのような風貌で、特に異彩を放っていますね。
原発事故後の小熊氏の行動を見ていて、ちょっと莫迦にしていたこともあり、正直、全然期待していなかったのですが、小熊氏は思想の整理整頓が得意な人で、網野氏の相手もそつなくこなしていますね。
以前から少し気になっていた点についての説明も見つけることができました。(p182)

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小熊 そこが非常に興味深いというか、別にアナール学派のものをお読みになっていたというわけではないんですね。
網野 全然読んでいません。だから、のちにアナール派との共通性とか、社会史とかいわれることに、私は非常に困りました。まったく事実に反しているからです。強いてフランスの学問の影響をあげれば、旧制高校生のころ、岩波文庫の『人文地理学序説』や『大地と人類の進化』という本を面白く読んだ記憶があります。あのころゲオポリティークというドイツの、ナチスとも関係のあった学問が流行ったのですが、それに対してフランスの人文地理学はとても新鮮でおもしろかったのです。いずれも飯塚浩二さんの翻訳なのですね。これはアナールとどこかでつながるものかもしれませんが、あとは、マルク・ブロックの『フランス農村史の基本的性格』を読んだ程度です。大体フランス語は読めないのですから直接の影響などまったくありません。
小熊 ブロックは五〇年前後に、アナール学派ということではなくて、レジスタンス活動に参加した歴史家として、石母田さんなどが紹介していましたからね。
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アナール派との関係云々の話はあちこちで聞きますが、本人が「大体フランス語は読めないのですから直接の影響などまったくありません」とまで言うのだから、まあ、信じてよさそうですね。
それにしてもここまで力強く言われると、まるでフランス語ができないことを自慢しているようにも聞こえます。
網野氏は自己の学説の独創性に極端にこだわる人ですが、これが例えば石母田氏だったら、たまたま生じた類似性を面白がって、フランスの論文を猛烈なスピードで博捜し、自説の更なる革新を図ったかもしれません。
個性と語学力の違いですから仕方ありませんが、網野氏の妙なこだわりはあまり格好良くないように感じます。
『現代思想』特集号をきっかけに網野善彦氏と中沢新一氏の本をいくつか読み直してみましたが、今の私の心境は『徒然草』第154段、東寺の門に雨宿りした日野資朝みたいな感じですね。不遜ですが。

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この人、東寺の門に雨宿りせられたりけるに、かたは者どもの集まりゐたるが、手 も足もねぢゆがみ、うちかへりて、いづくも不具に異様なるを見て、とりどりにたぐひなき曲者なり、もつとも愛するに足れりと思ひて、まもり給ひけるほどに、やがてその興つきて、見にくく、いぶせく覚えければ、ただすなほに珍しからぬ物にはしかずと思ひて、帰りて後、この間、植木を好みて、異様に曲折あるを求めて目を喜ばしめつるは、かのかたはを愛するなりけりと、興なく覚えければ、鉢に植ゑられける木ども、皆掘り捨てられにけり。
 さもありぬべき事なり。

http://web.archive.org/web/20150502075504/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-ture-154-amayadori.htm

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Zen Road の hegemony  2015/01/16(金) 20:03:20
小太郎さん
http://www.kenchoji.com/?page_id=58
『東アジアのなかの建長寺』の「あとがき」(平成二十六年十月十五日 大本山 建長寺)の一部に、次のようにあります。
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建長寺の開山様が中国から来日された七六八年前、日本を含めた東アジアはどの様な状況で、禅は日本に何をもたらしたのでしょうか。日本の”禅の源流”としての建長寺には、それを解明していく役割があります。禅ロードを通じて鎌倉に到達したあの頃を、今一度振り返り、これからの進路を考えるための大事な手がかりが、この本の中にぎっしりつまっています。(475頁)
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「禅ロード」という言葉は初めて知りました。この本には開山の遺偈に言及した論文がなく、時頼の遺偈に関する恣意的な解釈はあるのに、不思議と言えば不思議なことです。
http://e-lib.lib.musashi.ac.jp/2006/archive/data/j3702-05/for_print.pdf
「用翳晴術 三十余年 打翻筋斗 地転天旋」が開山の遺偈とのことで、菅基久子氏の「蘭渓道隆の座禅論」によれば、「用翳晴術」は「古代中国で眼光を眩ます術」を云い、「三十余年」は「日本で過ごした歳月であり、来日以前の活動は含まれていない」とのことですが、要するに、何が言いたいのか、よくわかりません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%B3%E6%96%97%E9%9B%B2
こういうことではあるまいか。来日してずっと、翳晴術で得宗家の連中を眩惑してきた、そして、筋斗は觔斗雲に通じ、孫悟空のように雲に乗り翩々と日本国を東奔西走して、地を転倒させ天を旋回せしめた(地はうつり天はめぐった)、つまり、凡庸な教えに満足していた日本の宗教界に禅宗によって目も眩むような革命を起こしたのだ・・・というような意味なのではあるまいか(?)。

高橋典幸氏の「北条時頼とその時代」に、次のような記述があります。
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・・・(九条)道家が四条天皇の外戚の地位を手にしたこともあって、安貞二年(一二二八)以降は道家とその子・婿たちによって摂関は独占されており、まさに朝廷においては道家の覇権が確立していた観がある。幕府も基本的には道家の覇権を支持しており、承久の乱後の朝幕関係は以上のような形でおおむね安定的に保たれていたと言えよう。(64頁)
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覇権は春秋五覇や国家のヘゲモニー(hegemony)というように使うのが普通で、道家の権勢とは言えても「道家の覇権」とは言えないはずで、高橋氏の語感はよくわからないですね。
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