第186回配信です。
「反逆を正当化する論理」という観点から『梅松論』を検討。
(1)承久の乱における北条義時と泰時の対話
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泰時:「身にあたつて今勅勘を蒙る事、なげきても猶あまりあり。たゞ天命のがれがたき事なれば、所詮、合戦をやめ降参すべきよしをしきりにいさめける」
義時:「此儀、尤〔もつとも〕神妙なり。但それは君主の御政道正しき時の事也。近年天下のをこなひをみるに、公家の御政古にかへて実をうしなへり。其子細は朝に勅裁有て夕に改まるに、一処に数輩の主を付らる間、国土穏なる処なし。わざわひ未及処はおそらく関東計也。治乱は水火の戦に同じきなり。如此の儀に及間〔およぶあひだ〕、所詮、天下静謐の為たるうへは、天道に任て合戦を可致、若〔もし〕、東士利を得ば、申勧たる逆臣を給て重科に行べし。又、御位におひて彼院の御子孫を位に付奉るべし。御向あらば冑をぬぎ弓をはづし頭をのべて参るべし」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3464c89bc02637fba5899bee7de9af0a
(1)承久の乱における北条義時と泰時の対話
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泰時:「身にあたつて今勅勘を蒙る事、なげきても猶あまりあり。たゞ天命のがれがたき事なれば、所詮、合戦をやめ降参すべきよしをしきりにいさめける」
義時:「此儀、尤〔もつとも〕神妙なり。但それは君主の御政道正しき時の事也。近年天下のをこなひをみるに、公家の御政古にかへて実をうしなへり。其子細は朝に勅裁有て夕に改まるに、一処に数輩の主を付らる間、国土穏なる処なし。わざわひ未及処はおそらく関東計也。治乱は水火の戦に同じきなり。如此の儀に及間〔およぶあひだ〕、所詮、天下静謐の為たるうへは、天道に任て合戦を可致、若〔もし〕、東士利を得ば、申勧たる逆臣を給て重科に行べし。又、御位におひて彼院の御子孫を位に付奉るべし。御向あらば冑をぬぎ弓をはづし頭をのべて参るべし」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3464c89bc02637fba5899bee7de9af0a
(2)幕府への反逆
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是非なく持明院の御子の光厳院立坊の間、後醍醐院逆鱗にたへずして、元弘元年の秋八月廿四日、ひそかに禁裏を御出有て山城国笠置山へ臨幸あり。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8d366f209c7533ddae11465d5385f680
後醍醐は幕府が「後嵯峨院の御遺勅」に反して皇位を定めることに「逆鱗」して笠置山に向かう。
足利家は反逆の正当性は全面的に後醍醐に依存し、独自の正当化論理なし。
(3)後醍醐天皇への反逆
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をよそ合戦には旗をもて本とす。官軍は錦の御旗をさき立つ。御方は是に対向の旗なきゆへに朝敵にあひにたり。所詮持明院殿は天子の正統にて御座あれば、先代滅亡以後、定て叡慮心よくもあるべからず。急て院宣を申くだされて、錦の御はたを先立らるべきなり。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5d164a25f2380cbd3581775fddd2d8df
後醍醐(大覚寺統)の権威を持明院統で相殺する。
「朝敵」ではない形をとる。
しかし、まだ積極的に足利家の支配を正当化するには至っていない。
足利家独自の支配の正当性の論理は何か。
末尾の夢窓疎石を引用しての事書→結局は足利尊氏と直義のカリスマ性か。
「カリスマ的支配」
資料:『梅松論』の終わり方〔2024-10-06〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9ae308a32a563f87488e056fcba76899
資料:『梅松論』の終わり方〔2024-10-06〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9ae308a32a563f87488e056fcba76899