学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

『中世に国家はあったか』に学問的価値はあったか?(その17)

2021-10-15 | 新田一郎『中世に国家はあったか』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年10月15日(金)11時12分25秒

新田一郎氏は黒田俊雄の「権門体制論」に極めて親和的で、「② 中世国家論の諸相」でも、「委任封建制」の議論を紹介した後、

-------
 そうした流れを受ける形で提起された、黒田俊雄のいわゆる「権門体制論」(黒田、一九六三)は、その成り立ちにおいて、たいへん素直な発想をもっている。「中世」と呼ばれるこの社会において、もろもろの価値を映しだす鏡としての、天皇を頂点とした秩序構造は、なんら否定されることなく存立し、ほかにそれに対抗しうるものなどなかったではないか。国郡制にせよ令制官位にせよ、中世社会には統合的契機が用意されていたではないか。いわゆる「職の大系」にしても、その存立根拠をさかのぼれば、最終的に天皇に掌握された国政大権に帰着する以外にないではないか。武家とてもそうした道具立てと無関係に存立したわけではないのであって、一つのそれなりに一貫した構造の内部で、武家についても説明があたえられるのではないか。ならばそこに、天皇を国制上の頂点とした一個の「国家」が存在した、と考えることに、なんの問題があろう。それは、われわれの「常識的感覚」にかなうものではなかろうか、と黒田は説く。
 天皇を頂点とした統合的な一個の構造が厳として存在する、というところから議論を出発すべきだ、とする黒田の問題提起は、たしかに重要な点を衝いている。公家と武家との関係を、古代対中世というごとき対抗的な関係としてではなく、それぞれが「権門」(有力な家門)としてそれぞれの役割を共時的に分掌している協働的な関係として把握するとき、両者を含む社会関係を一つの構造として記述し説明しようとするのは、(それを「国家」と呼ぶべきかどうかはさておくとして)たしかに理にかなっているように思われる。
-------

と書かれています。(p41以下)
有名な議論ですから説明はしませんが、ただ、新田氏の要約を読むと、鎌倉幕府の成立はかろうじて「権門体制論」で説明できるとしても承久の乱はどうなのか、という疑問が改めてフツフツと湧き上がってきます。
三上皇配流・今上帝廃位という戦後処理で、「天皇を頂点とした秩序構造は、なんら否定されることなく存立し」たのか。
この戦後処理の「存立根拠をさかのぼれば、最終的に天皇に掌握された国政大権に帰着する」のか。
後鳥羽の敗北後も、「一つのそれなりに一貫した構造の内部で、武家についても説明があたえられる」、「そこに、天皇を国制上の頂点とした一個の「国家」が存在した、と考えることに、なんの問題があろう」、「天皇を頂点とした統合的な一個の構造が厳として存在する」と言えるのか。
そして終章の「「国家」とは何か」に戻ると、新田氏は、

-------
主権論のように国家存立の根本を問う議論が日本には生まれなかったことと、日本の国家の存立が間断なき連続性にその都度依存してきたということとのあいだには、おそらくは密接な関連がある。
-------

と言われますが(p99)、果たして「日本の国家の存立が間断なき連続性にその都度依存してきた」と言えるのか。
これも客観的な事実認識の問題ではなく、「国家」の定義と関連していて、「「国家」の抽象的定義づけを回避し」(p45)た黒田俊雄説を「それはそれなりに適切な発想」(同)だと高く評価する新田氏にとっては「日本の国家の存立が間断なき連続性にその都度依存してきた」は「常識的感覚」かもしれませんが、私にとっては全く「常識的感覚」ではありません。
ま、それはともかく、続きです。(p99以下)

-------
 さらに、現代のわれわれにとって国家がいかなる意味をもつのか、あるいは国家にとってわれわれがいかなる意味をもつのかを問い返すとき、われわれはただ国家と向かいあう位置に立つわけではない。国家はわれわれにとってしばしば重い桎梏であるが、われわれ自身がその桎梏を前提として共有することによる保護と利益を享受し、桎梏の存立に普段に関与していることを軽視してはならない。国家はわれわれにとって他者であるとともに、われわれ自身の姿を映しだしてもいる。国家を成り立たせているのは、われわれ自身が相互におよぼしあう影響と拘束の作用にほかならない。されば、国家についての問いの不在は、われわれ自身についての問いの不在を意味しよう。
-------

新田氏は最後の最後まで「国家」の定義をしないまま、「現代のわれわれにとって国家がいかなる意味をもつのか」、「国家にとってわれわれがいかなる意味をもつのか」を問うのですが、果たして「国家」の定義なしにこれらを問うても、その問い自体に意味があるのか。
また、新田氏は「国家はわれわれにとってしばしば重い桎梏」だと言われますが、現在の日本国の統治体制が新田氏を含む特定の人にとっては「重い桎梏」だとしても、それは「国家」一般、国家という抽象的概念が「重い桎梏」であることを意味するのか。
そして「国家についての問いの不在は、われわれ自身についての問いの不在を意味しよう」という決めゼリフは、ずいぶん荘重な響きがあり、深遠そうな雰囲気を醸し出していますが、私にはさっぱり意味が分かりません。
少なくとも私自身は真剣に「国家についての問い」を重ねているので、私は新田氏のいう「われわれ」には含まれませんし、含まれたくもありません。
私にとって、新田氏のダラダラした「問い」、ネバネバ・ネチネチした文章こそが「重い桎梏」であって、「国家」という抽象的概念には全く重さを感じません。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『中世に国家はあったか』に... | トップ | 『中世に国家はあったか』に... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

新田一郎『中世に国家はあったか』」カテゴリの最新記事