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「七教授の終戦工作は自己満足か」(by立花隆)

2014-09-09 | 南原繁『国家と宗教』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 9月 9日(火)09時26分56秒

ザゲィムプレィアさんに教えてもらった『昭和天皇独白録』、南原繁等の終戦工作の意義を考える上で非常に重要な素材なんですね。
7月に立花隆の『天皇と東大 大日本帝国の生と死』(文藝春秋社、2005)を読んだときは、第66章「天皇に達した東大七教授の終戦工作」は『聞き書 南原繁回想録』(東大出版会、1989)と同じ内容なのだろうと思ってパラパラ眺めただけだったのですが、『昭和天皇独白録』への丁寧な言及がありました。
我ながら雑だなと思いますが、『天皇と東大』は上下巻合計で1500ページを超えるので、全部丁寧に読むのはしんどい本ですね。
ま、言い訳はともかく、少し引用してみます。(下巻、p679以下)

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 自己満足にすぎなかったというのだから、南原自身の終戦工作に対する評価は相当低かったということになる。
 しかし、現実にはどうだったのか。私はそれほど卑下すべきものではなかったのではないかと考えている。
 たしかに、その工作が契機になって、トントン拍子に終戦に向って一挙に事態が動きはじめたというようなことはなかった。
 しかし、それから数カ月後に実現した現実の終戦に向けての動きを見ていくと、東大の教授グループが考えていたさまざまな要素が、現実化していっているのである。たとえば海軍が決起して、宮中、重臣勢力と呼応して動き、陸軍の抵抗勢力をおさえつけるとか、天皇の聖断で決着をつける方式、詔勅を効果的に使って国民を納得させること、ソ連の仲介を頼むのはやめてアメリカとの直接交渉に望みを託すとか、降伏には条件をつけず、無条件降伏を受け入れるといった点である。
 これだけプロセスが似たのは、教授グループの働きかけの直接効果というより、その働きかけのポイントが要路の人々の頭の中に残像のように残っていた間接効果といえるのではないか。
 はじめ私は、南原のいう通り、彼らの終戦工作は現実には何の効果ももたらさなかった主観的自己満足にすぎなかったのだろうと思っていた。
 しかし、『昭和天皇独白録』(一九九一年、文藝春秋)を読んだとき、考えが変った。その、「『ポツダム宣言』を繞ての論争」の項に、天皇自身の言葉で次のように記されていたからである。
「外務大臣はこの案(立花注・バーンズ回答)ならば受諾出来るといひ、陸軍は出来ぬと云ふ、木戸は受諾すべしと解釈した。
 この頃の与論に付一言すれば、木戸の所に東大の南原〔繁〕法学部長と高木八尺とが訪ねて来て、どうして〔も〕講和しなければならぬと意見を開陳した。
 又有田八郎は直接英米に講和を申入れろといふ意見を木戸に云つて来た。(略)
 かくの如く国民の間には講和の空気が濃厚となつて来た」
 南原たちの働きかけが、ちゃんと天皇のもとにまで届いていたのである。そしてそれが天皇の心がポツダム宣言受諾の方向に最終的に動く理由の一つになっていたのである。
 それでハハァと思ったことがある。それは、終戦時の御前会議における天皇の二度目の聖断の際に天皇が発した言葉の根拠がわかったと思ったからである。
(中略)
 二度目の聖断を下すにあたって、天皇は、「これで本当に国体が護持されるのかどうか不安を持つ者の気持もわからないではないが、私は、これで国体は守られると確信している。それがアメリカ側の真意だと確信している」と説明して、反対者をおさえた。しかし実はその確信の根拠はそこでは何も明らかにされていなかった。
 しかし、東大教授グループが終戦工作にあたって使った説明の論理が天皇に伝わっていたとなると、その根拠は明らかである。教授グループのうち、高木八尺の説明はそこに力点が置かれていたからである。これまでの米当局者たちの発言を精査して、どの人がどのような考えの持ち主で、政府見解はどのような政治力学で動くかを説明し、いまアメリカ側に身を寄せれば、まちがいなく天皇制は守られる(天皇制に好意的な人々が要路にいる)が、ここで天皇制反対のソ連を引きこんだりしたら、天皇制は危くなる(混乱の中で革命が起きるかもしれない)ということである。(後略)
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