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「巻二 新島守」(その9)─隠岐の後鳥羽院

2018-01-03 | 『増鏡』を読み直す。(2018)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 1月 3日(水)19時47分0秒

続きです。(井上宗雄『増鏡(上)全訳注』、p148以下)
ここから隠岐での後鳥羽院の様子となります。

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 四つにて位につき給ひて、十五年おはしましき。降り給ひて後、土佐の院十二年、佐渡の院十一年、なほ天の下は同じことなりしかば、すべて三十八年が程、この国のあるじとして万機のまつりごとを御心ひとつにをさめ、百の司を従へ給ひしその程、吹く風の草木をなびかすよりもまされる御有様にて、遠きをあはれみ、近きをなで給ふ御恵み、雨の脚よりもしげければ、津の国のこやのひまなきまつりごとを聞し召すにも、難波の葦の乱れざらん事を思しき。藐姑射の山の峰の松も、やうやう枝を連ねて千代に八千代を重ね、霞の洞の御すまひ、幾春をへても空行く月日の限り知らずのどけくおはしましぬべかりける世を、ありありてよしなき一ふしに、今はかく花の都をさへたち別れ、おのがちりぢりにさすらへ、磯の苫屋に軒を並べて、おのづからこととふものとては、浦に釣するあま小船、塩焼く煙のなびく方をもわが故郷のしるべかとばかり、ながめ過させ給ふ御すまひどもは、それまでと月日を限りたらんだに、明日知らぬ世のうしろめたさに、いと心細かるべし。ましていつを果てとか、めぐりあふべき限りだになく、雲の浪、煙の浪の幾重とも知らぬさかひに、世をつくし給ふべき御さまども、口惜しといふもおろかなり。
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治承四年(1180)生まれの後鳥羽院は寿永二年(1183)に四歳で即位して在位十五年。建久九年(1198)に「土佐の院」土御門天皇に譲位して院政を十二年、承元四年(1210)に「佐渡の院」順徳天皇が践祚して以降、承久三年(1221)に流されるまで更に十一年院政を続け、合計三十八年間「この国のあるじとして万機のまつりごとを御心ひとつにをさめ、百の司を従へ」た人で、四十二歳までは本当に恵まれた人生です。
それが一挙に暗転し、隠岐から帰れるのではという希望も幾度か打ち砕かれ、結局、延応元年(1239)に死去するまで隠岐に止まる訳ですね。

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 このおはします所は、人離れ、里遠き島の中なり。海づらよりは少しひき入りて、山陰にかたそへて、大きやかなる巌のそばだてるをたよりにて、松の柱に葦ふける廊など、けしきばかりことそぎたり。まことに「柴の庵のただしばし」と、かりそめに見えたる御やどりなれど、さるかたになまめかしくゆゑづきてしなさせ給へり。水無瀬殿思し出づるも夢のやうになん。はるばると見やらるる海の眺望、二千里の外も残りなき心地する、今更めきたり。潮風のいとこちたく吹きくるを聞しめして、

  我こそは新島守よ隠岐の海の荒き浪風心して吹け
  おなじ世にまたすみのえの月や見ん今日こそよそにおきの島守
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この新島守の歌については丸谷才一氏が特異な解釈をされていて、面白い話ではあるのですが、他書に譲ります。
以下、私が留意点として設定した二つのポイントとは関係のない話なので、原文のみ紹介します。

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 年もかへりぬ。所々浦々、あはれなる事をのみ思し嘆く。佐渡の院あくれ御行ひをのみし給ひつつ、猶さりともと思さる。隠岐には、浦より遠のはるばると霞み渡れる空を眺め入りて、過ぎにし方かきつくし思ほし出づるに、ゆくへなき御涙のみぞとどまらぬ。

  うらやまし長き日影の春にあひて潮汲むあまも袖やほすらん

 夏になりてかやぶきの軒ばに五月雨の雫いと所せきも、御覧じなれぬ御心地に、さまかはりてめづらしく思さる。

  あやめ吹く茅が軒ばに風過ぎてしどろに落つる村雨の露

 初秋風のたちて、世の中いとど物悲しく露けさまさるに、いはん方なく思しみだる。

  故郷を別れ路に生ふる葛の葉の秋はくれどもかへる世もなし

 たとしへなく眺めしをれさせ給へる夕暮に、沖の方にいと小さき木の葉の浮かべると見えて漕ぎくるを、あまの釣舟かと御覧ずる程に、都よりの御消息なりけり。墨染の御衣、夜の御ふすまなど、都の夜寒に思ひやり聞えさせ給ひて、七条院より参れる御文ひきあけさせ給ふより、いといみじく御胸もせきあぐる心地すれば、ややためらひて見給ふに、「あさましく、かくて月日へにけること。今日明日とも知らぬ命の内に、今一度いかで見奉りてしがな。かくながらは死出の山路も越えやるべうも侍らでなん」など、いと多く乱れ書き給へるを、御顔に押し当てて、

  たらちねの消やらで待つ露の身を風より先にいかでとはまし
  八百よろづ神もあはれめたらちねの我待ちえんと絶えぬ玉の緒

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