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井上宗雄氏『中世歌壇史の研究 南北朝期』(その13)

2021-03-31 | 歌人としての足利尊氏
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 3月31日(水)09時00分40秒

「建武二年内裏千首」が行なわれた時期と尊氏の動向の関係を探るため、久しぶりに井上宗雄氏『中世歌壇史の研究 南北朝期』を読み、併せて『大日本史料』建武二年十月十五日条の問題点を検討してみましたが、細部を除き、井上氏の叙述は本当に水準が高いですね。
井上著は初版が1965年で、これは佐藤進一『南北朝の動乱』と同年です。
「改訂新版」は1987年ですが、このとき新規に追加された部分は「補注篇」(p881~925)としてまとめられており、大半の記述は1965年時点のものですね。
今までの投稿で、私も、井上氏は佐藤進一説に立脚している、みたいなことを書いてしまったかもしれませんが、「八月一日、天皇は、恐らく尊氏に征夷大将軍を与えたくないからであろう、成良親王を補し、二日、尊氏は勅命を待たず東下(この辺の事情は高柳光寿氏の『足利尊氏』に詳しい)」(p371)という記述からすると、井上氏が主に参照しているのは高柳光寿の『足利尊氏』初版(1955、なお『改稿 足利尊氏』は1966年で、いずれも春秋社)ですね。
高柳光寿(1892-1969)は佐藤進一(1916-2017)より更に前の世代の歴史学者で、さすがに最近の論文で高柳著に言及する研究者は少ないですね。
ま、高柳も佐藤進一と同様に「『太平記』史観」に囚われていた訳で、『太平記』に頼らず、ひたすら歌壇の視点から尊氏を見ていた井上氏の到達点に、歴史研究者は今頃やっと追いついているような感じもします。
さて、「建武二年内裏千首」に寄せられた二つの尊氏詠、

  流れ行く落葉ながらや氷るらむ風より後の冬のやま河
  今ははや心にかかる雲もなし月を都の空と思へば

を見ると、特に後者では尊氏が心理的に極めて安定した状態にあることが伺えます。
後者は後醍醐への忠誠心が堅固であることを示した政治的メッセージだ、などと読めない訳ではないでしょうが、これらはあくまで所与の題に受動的に対応した題詠なので、過剰な読み込みをすることには慎重であるべきです。
ただ、それでもこのときの尊氏の精神状態が極めて安定した、清澄とでもいうべき心境にあったことを伺うことはできそうなので、多くの歴史研究者の認識とのズレが非常に気になります。
例えば、細川重男氏は、

-------
 では、足利尊氏はなぜ反旗を翻したのか。一般的には、尊氏に天下取りの野望があったからと言われている。【中略】
 尊氏は「私にあらず、天下の御為」と言っているが、この様子からすると尊氏出陣の第一の理由は、直義救援であったようである。
 次に、後醍醐の帰京命令に従わなかったことについては、勅使(天皇の使者)の中院具光に対し尊氏は「すぐ京都に参上します」と答えている。ところが、直義に「運良く大敵の中から逃れてきたのだから、関東にいるべきです」、つまり「京都に帰ったら殺されますよ」と諫められると、あっさり帰洛をやめている。
 そして、後醍醐の命を受けた新田義貞が鎌倉に迫ると、尊氏は「もうナニもかもイヤだ!」とばかりに、浄光明寺に籠ってしまった。だが、兄に代わって出陣した直義の苦戦を知らされると、「直義が死んだら、自分が生きている意味は無い!」と叫んで出陣し、義貞を撃破したのである。
 支離滅裂である。弟思いは美徳であろうが、どのような結果をもたらすかを深く考えずに行動し、これまた深く考えずに周囲の意見に流されている。清水克行氏は尊氏を「八方美人で投げ出し屋」と評している(清水:二〇一三)が、まったくそのとおりである。こうなると、尊氏の離反は、尊氏自身の決断なのか、はなはだ疑わしい。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/622f879dac5ef49c38c9d720c9566824

と言われていますが、「建武二年内裏千首」に寄せられた二首を見ると尊氏の精神状態が「支離滅裂」とは見えません。
そして、もう一つ、この時期の尊氏の精神状態を伺わせる極めて興味深い歌があります。
これはもちろん井上著にも出ていますが、石川泰水氏の論文の方が丁寧に分析しているので、次の投稿で石川論文に戻り、その歌を紹介します。
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