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石川泰水氏「歌人足利尊氏粗描」(その11)

2021-03-31 | 歌人としての足利尊氏
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 3月31日(水)10時00分9秒

ということで、石川論文に戻ります。

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 だがこの後間もなく、結局両者は決裂した。尊氏の、合戦の功労者に勝手に恩賞を与えるといった行動が後醍醐天皇の堪忍袋の緒を切らせ、十一月、遂に尊氏討伐の命が下る。都から下された新田義貞・尊良親王らによる討伐軍を打破した尊氏・直義軍は西に向かって侵攻、翌一三三六年正月には入京を果たし、後醍醐天皇は比叡山への退去を余儀なくされた。だが奥州から北畠顕家率いる援軍が到着したのを機に、戦局は一変する。楠木正成・新田義貞の軍にも敗れた足利軍は、西下して九州で軍勢の立て直しを図ることになる。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/70404a6c6ce74f0825a88c6a3bd3be77

に続く部分です。(p16)

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     世中さわがしく侍りけるころ、三草の山をとほりて大蔵
     谷といふ所にて
                     前大納言尊氏
 今むかふ方は明石の浦ながらまだはれやらぬわが思ひかな
                       (風雅九三三)

 「大蔵谷」は明石の北東の地。二月十・十一日の西宮打出浜や豊島河原での戦に敗れ、大蔵谷から明石の浦に向かう、敗走の道中での詠という事になる。「明石」に「明し」を響かせるのは常套的手法。「明し」を連想させる「明石」に向かいながらも、「明し」とは程遠い暗澹たる気分だ、とその時の心境を詠んだ歌だが、詞書に大蔵谷の地名が明記されている事から察するに、大蔵谷の「くら」の音が「暗し」に通じる事に発想を得たものではなかったかと想像したい。
 官軍に敗れ敗走する朝敵の将、これがこの時の尊氏の立場である。『太平記』が伝えるようにこれ以前に持明院統の錦の御旗を得るための使いを出立させていたとしても、まだ思惑通りに事態が進む確証もない。九州まで西下しても、今の己の立場ではどれだけの軍勢を召集できるか不安もあっただろう。さぞや沈痛な思いであったろうと推測されるのだが、この一首に思い詰めた深刻さが欠如する気がするのは稿者だけだろうか。内容はさておき、詠み振りにどこか飄々としたものを感じてしまう。尊氏はカリスマ性を備え武士達の信望を集めた人物であったのだろうが、他方、鎌倉で天皇からの追討令を受けたショックで隠棲しようとする気弱さ、繊細さも持ち合わせていたらしい。その両面性、気分や行動の振幅の大きさから彼の躁鬱的気質が指摘されたりもするのだが、しかし絶望的状況の中で読まれたこの和歌の飄逸ぶりに、そうした精神的分析ではなかなか説明しにくい、また別の尊氏像が垣間見えるように思われる。こうした傾向が彼の和歌乃至和歌活動に多く看取されるとは言い難いが、尊氏にとっての和歌というものの意味を考える際に稿者には気になってならないのである。
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「大蔵谷の「くら」の音が「暗し」に通じる事に発想を得たものではなかったかと想像したい」に付された注(7)には、

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(7) 次田香澄氏・岩佐美代子氏校注『風雅和歌集』(三弥井書店、昭和四九・七)、岩佐美代子氏『風雅和歌集全評釈』(笠間書院、平成一四・一二~同一六・三)ともに「大蔵谷」の名称との関わりは指摘していないが、試みにそう解した。
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とあります。
また、「その両面性、気分や行動の振幅の大きさから彼の躁鬱的気質が指摘されたりもするのだが」に付された注(8)には、

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(7) 佐藤進一氏『日本の歴史九 南北朝の動乱』(中央公論社、昭和四〇)が尊氏の性格の多様性をそう指摘し、例えば近年の峰岸純夫氏『足利尊氏と直義 京の夢、鎌倉の夢』(吉川弘文館、平成二一・六)もそれに従っている。
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とあります。
さて、私は実にこの部分を引用したくて、今まで長々と石川論文を検討してきました。
私も石川氏と同じく「この一首に思い詰めた深刻さが欠如する気が」しますし、「内容はさておき、詠み振りにどこか飄々としたものを感じてしま」います。
また、佐藤進一の乱暴な素人精神分析に対しては、私も「絶望的状況の中で読まれたこの和歌の飄逸ぶりに、そうした精神的分析ではなかなか説明しにくい、また別の尊氏像が垣間見えるように」思います。
更に、夢窓疎石が語ったという、合戦で命の危険に際しても尊氏の顔には笑みが浮かんでいたというエピソードも連想されます。
近年では清水克行氏が尊氏の「死をおそれない不思議な性分」について「精神分析」を行なっていますが、果たして清水氏の「精神分析」は妥当なのか。
このあたり、もう少し検討を続けたいと思います。

緩募:『臥雲日件録抜尤』の尊氏評について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ea0333130fe14c47391316eb21ce5401
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