投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年10月15日(木)10時59分19秒
それでは兵藤・呉座対談に戻ります。
前回は小見出しの十番目「オリジナル(原本)という難題」の途中、呉座氏が、
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『太平記』は、本文の古態性という点では、西源院本、玄玖本、神田本は、「三すくみのような関係にある」と兵藤さんは書かれていました(同解説)。西源院本を底本として使っているけれど、西源院本を採用することですべての点で最も信頼できる読みが可能になるわけではない。たとえば「序」は神田本が良いとか、玄玖本や神田本も、ところどころで見るべきものがある……となると、一番古くて使える本一つに絞ることができない。こういうところが歴史学からすると「つらいなあ」と思いまして……。私のような考え方がそもそも良くないのかもしれませんが。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8ac648290cb27f0c1c63144c2f7404c7
と述べたところまででした。
兵藤校注『太平記(四)』(岩波文庫、2015)の「『太平記』の本文〔テクスト〕」を概観したので、諸本の相違もある程度具体的にイメージできたかと思いますが、それを踏まえると兵藤氏の次の解説は分かりやすいですね。(p30)
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兵藤 『太平記』を十四世紀内乱の同時代史として読むなら、江戸初期に改訂された流布本では具合が悪い。そこで古本系のテクストとなりますが、神田本はいろんな本の継ぎ合わせで、しかも全四十巻のうち二十四巻分しか現存しない。南都本は、古くから言われるように、古本系のテクストとしては明らかに後出本です。
そうすると、全巻を通して読める古本は、西源院本と玄玖本(同系統の神宮徴古館本)のいずれかです。岩波文庫第四冊の解説でやや詳しく述べましたが、西源院本は、玄玖本(神宮徴古館本)よりも古い形を多く残している。もちろん西源院本にも後出とみられる箇所はあって、古態を残すというのは、あくまで相対的・総体的な問題です。
それもこれも真正なオリジナル(原本)が不在という、『太平記』の成立過程に起因する問題です。オリジナルに遡行できない諸本の実態から、テクストの古態や先後関係の判定は、本ごとにではなくて、巻ごとに行うべきだとする説もあります。一理あるかもしれませんが、でもそれだと、どの本で『太平記』を通読したらいいのか。そんな素朴かつ重要な疑問に答えられません。
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「テクストの古態や先後関係の判定は、本ごとにではなくて、巻ごとに行うべきだとする説」とは、具体的には小秋元段氏の見解ですね。
小秋元段氏「特別インタビュー 文学か歴史書か?『太平記』の読み方」(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6763260b863266ee0d45297e07ca9dad
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/991c2983c89c6c6b7a549564b4480a00
「小秋元段君は、初めから大器だったのではないか、と今でも時々思う」(by 長谷川端氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d03e97d1919e268f149d8b36bcd1e3eb
兵藤氏は小秋元氏の見解に「一理あるかもしれません」としつつ、「巻ごとに古態を判定するというのは、一見緻密な議論のように見えて、古態や先後関係の判定は、巻ごとにしても章段ごとにしても、ほとんど水掛け論になります」(p31)として、今井正之助氏の小秋元説批判を少し紹介します。
そして、
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呉座 歴史学の立場からすると、今の国文学の『太平記』諸本論は、精緻は精緻なのかもしれませんが、あまりにも細かくなりすぎているのではないか、という思いが私にはあります。何がどうなっているのか、なかなか理解しづらい状況になっていると感じるのです。
兵藤 そうでしょう。私も理解できません。
呉座 いやいや、それは(笑)。
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というほのぼのとしたやり取りで、この話題は終わります。
ついで小見出しの十一番目「流布本の問題点」に入ると、最初に兵藤氏が、
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兵藤 歴史学者の『太平記』を論じた論文を読んでいると、流布本を使用している方がけっこういらっしゃるようですね。
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と指摘した上で流布本の問題点を挙げると、若干のやり取りの後、呉座氏が、
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呉座 そうですね。これは最初の話に戻るのですが、やはり歴史学は『太平記』への問題意識が低いところがあります。近年になってようやく関心を向けたところがある。実は私もそうだったのですが、論文での引用に、流布本を底本とした岩波古典文学大系『太平記』(刊行は昭和三十年代初頭)を使っている研究者が少し前まで多かったのです。
中世前期の研究者が『平家物語』を使う意識と比べると、中世後期の専門家が『太平記』を史料として積極的に活用しようという意識はかなり弱い。流布本は江戸時代に多くの手が入っている、といった意識もあまりない。使うときは使うけれど、もともとあまり重視していないので、安易に流布本を使ってしまう、ということだと思います。
兵藤さんの岩波文庫『太平記』を含め、こうした諸本論の議論の影響がようやく歴史学にも入ってきたところです。ただ、現在の国文学の諸本論はあまりに複雑なので(笑)、歴史学からすると、学ぼうと思っているけど少し戸惑いもある、という状態でしょうか。
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と答えます。(p32)
これに兵藤氏が「よろしかったら岩波文庫本で(笑)」と応じて、この話題もほのぼのと終わります。
それでは兵藤・呉座対談に戻ります。
前回は小見出しの十番目「オリジナル(原本)という難題」の途中、呉座氏が、
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『太平記』は、本文の古態性という点では、西源院本、玄玖本、神田本は、「三すくみのような関係にある」と兵藤さんは書かれていました(同解説)。西源院本を底本として使っているけれど、西源院本を採用することですべての点で最も信頼できる読みが可能になるわけではない。たとえば「序」は神田本が良いとか、玄玖本や神田本も、ところどころで見るべきものがある……となると、一番古くて使える本一つに絞ることができない。こういうところが歴史学からすると「つらいなあ」と思いまして……。私のような考え方がそもそも良くないのかもしれませんが。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8ac648290cb27f0c1c63144c2f7404c7
と述べたところまででした。
兵藤校注『太平記(四)』(岩波文庫、2015)の「『太平記』の本文〔テクスト〕」を概観したので、諸本の相違もある程度具体的にイメージできたかと思いますが、それを踏まえると兵藤氏の次の解説は分かりやすいですね。(p30)
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兵藤 『太平記』を十四世紀内乱の同時代史として読むなら、江戸初期に改訂された流布本では具合が悪い。そこで古本系のテクストとなりますが、神田本はいろんな本の継ぎ合わせで、しかも全四十巻のうち二十四巻分しか現存しない。南都本は、古くから言われるように、古本系のテクストとしては明らかに後出本です。
そうすると、全巻を通して読める古本は、西源院本と玄玖本(同系統の神宮徴古館本)のいずれかです。岩波文庫第四冊の解説でやや詳しく述べましたが、西源院本は、玄玖本(神宮徴古館本)よりも古い形を多く残している。もちろん西源院本にも後出とみられる箇所はあって、古態を残すというのは、あくまで相対的・総体的な問題です。
それもこれも真正なオリジナル(原本)が不在という、『太平記』の成立過程に起因する問題です。オリジナルに遡行できない諸本の実態から、テクストの古態や先後関係の判定は、本ごとにではなくて、巻ごとに行うべきだとする説もあります。一理あるかもしれませんが、でもそれだと、どの本で『太平記』を通読したらいいのか。そんな素朴かつ重要な疑問に答えられません。
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「テクストの古態や先後関係の判定は、本ごとにではなくて、巻ごとに行うべきだとする説」とは、具体的には小秋元段氏の見解ですね。
小秋元段氏「特別インタビュー 文学か歴史書か?『太平記』の読み方」(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6763260b863266ee0d45297e07ca9dad
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/991c2983c89c6c6b7a549564b4480a00
「小秋元段君は、初めから大器だったのではないか、と今でも時々思う」(by 長谷川端氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d03e97d1919e268f149d8b36bcd1e3eb
兵藤氏は小秋元氏の見解に「一理あるかもしれません」としつつ、「巻ごとに古態を判定するというのは、一見緻密な議論のように見えて、古態や先後関係の判定は、巻ごとにしても章段ごとにしても、ほとんど水掛け論になります」(p31)として、今井正之助氏の小秋元説批判を少し紹介します。
そして、
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呉座 歴史学の立場からすると、今の国文学の『太平記』諸本論は、精緻は精緻なのかもしれませんが、あまりにも細かくなりすぎているのではないか、という思いが私にはあります。何がどうなっているのか、なかなか理解しづらい状況になっていると感じるのです。
兵藤 そうでしょう。私も理解できません。
呉座 いやいや、それは(笑)。
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というほのぼのとしたやり取りで、この話題は終わります。
ついで小見出しの十一番目「流布本の問題点」に入ると、最初に兵藤氏が、
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兵藤 歴史学者の『太平記』を論じた論文を読んでいると、流布本を使用している方がけっこういらっしゃるようですね。
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と指摘した上で流布本の問題点を挙げると、若干のやり取りの後、呉座氏が、
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呉座 そうですね。これは最初の話に戻るのですが、やはり歴史学は『太平記』への問題意識が低いところがあります。近年になってようやく関心を向けたところがある。実は私もそうだったのですが、論文での引用に、流布本を底本とした岩波古典文学大系『太平記』(刊行は昭和三十年代初頭)を使っている研究者が少し前まで多かったのです。
中世前期の研究者が『平家物語』を使う意識と比べると、中世後期の専門家が『太平記』を史料として積極的に活用しようという意識はかなり弱い。流布本は江戸時代に多くの手が入っている、といった意識もあまりない。使うときは使うけれど、もともとあまり重視していないので、安易に流布本を使ってしまう、ということだと思います。
兵藤さんの岩波文庫『太平記』を含め、こうした諸本論の議論の影響がようやく歴史学にも入ってきたところです。ただ、現在の国文学の諸本論はあまりに複雑なので(笑)、歴史学からすると、学ぼうと思っているけど少し戸惑いもある、という状態でしょうか。
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と答えます。(p32)
これに兵藤氏が「よろしかったら岩波文庫本で(笑)」と応じて、この話題もほのぼのと終わります。