学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

兵藤裕己氏「『太平記』の本文〔テクスト〕」(その3)

2020-10-13 | 『太平記』と『難太平記』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年10月13日(火)18時34分40秒

「四 西源院本の位置」に入ります。
最初に、

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 神田本や玄玖本、南都本と読みくらべると、西源院本には、ときに独自記事がみられる。西源院本の巻二「阿新殿の事」、巻七「村上義光大塔宮に代はり自害の事」などが独自の本文をもつことは、すでに指摘されている。また、西源院本の巻二「両三の上人関東下向の事」には、他本にみられる天竺波羅奈国の沙門の説話がなく、巻二十五「天龍寺の事」には、祇園精舎建立をめぐる宗論説話がないなど、天竺(仏教)関係の故事説話のいくつかを欠いている。
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という説明があり(p489)、この後、「天龍寺の事」に関する詳しい分析がなされていますが、結論としては、「この箇所にかんして、玄玖本や南都本の本文が、西源院本の本文に先行するとは考えがたい」(p490)とのことです。
ついで、

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 こうした説話単位の記事の有無のほかに、西源院本は、構成面で、他本と大きく相違する箇所がある。たとえば、巻三の笠置合戦のあと、後醍醐帝の皇子たちや倒幕派の公家・僧侶らが処罰される巻四「宮々流し奉る事」の記事構成である。
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とあって(p491)、この記事構成の具体的説明は省略しますが、北畠具行の処刑記事で、西源院本には詳しく描かれる「警固役の佐々木導誉が具行に示した厚誼や、具行の時世の偈頌」(同)が、他本の多くでは存在しないそうです。
佐々木導誉とその一族の扱いについて、西源院本と他本が相当に異なる態度を取っている点については、「五 西源院本の佐々木導誉記事」で改めて論じられています。
なお、『増鏡』では後醍醐側近八人の処分に関する記事のうち、全体の実に三分の二が北畠具行の話で占められ、かつ北畠具行と佐々木導誉が極めて好意的に描かれています。
私の個人的関心からは、何故に『増鏡』と西源院本がともに佐々木導誉を好意的に描いているのか、両書には何か関連があるのかが興味深いところです。

『増鏡』巻十六「久米のさら山」源具行の処刑(一)(二)
http://web.archive.org/web/20150918011329/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-masu16-tomoyuki1.htm
http://web.archive.org/web/20150918041656/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-masu16-tomoyuki2.htm

さて、赤松氏関係についても西源院本は独特です。(p493)

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 ほかに、西源院本が独自本文をもつ顕著な例として、巻十四「大渡軍〔おおわたりいくさ〕の事」「山崎破るる事」「大渡破るる事」の大渡・山崎合戦の一連の記事がある。
 建武三年(一三三六)正月、京都の南西の大渡一帯で、足利方と宮方とが橋をはさんで対峙するなか、足利方の八木与一という武士が武勇のほどをみせるが、けっきょく足利方は攻めあぐむ。だが、搦め手にまわった細川定禅が山崎の宮方勢をやぶったことで、宮方は総崩れとなり、大渡・山崎を撤退して京へ引き返す。
 この大渡・山崎合戦は、西源院本では話の展開が分かりやすい。だが、西源院本以外の他本(神田本、玄玖本、流布本等)では、話の展開が複雑である。
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何故に他本では話の展開が複雑かというと、「赤松一族にとっては重要な記事だろうが、このあとの戦局の展開には関係のない話」(p494)が挿入されているからで、「この一連の赤松氏関係記事も、西源院本だけが欠いており、そのぶん西源院本は、大渡・山崎合戦の経過がわかりやすい」(同)とのことです。
佐々木と赤松の取り扱いの相違は、『難太平記』の「近代重ねて書き続〔つ〕げり。ついでに入筆どもを多く所望して書かせければ」云々を連想させますね。
コメント
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