投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年10月 6日(火)11時23分45秒
兵藤氏の「松本新八郎は、石母田正の盟友みたいな人で、歴研(歴史研究会)を始めた人ですね」という質問に対し、呉座氏が「はい」という些か頓珍漢な回答をした後、兵藤氏の「社会主義リアリズム」に関する怒涛の蘊蓄が披露されます。(p25)
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兵藤 松本さんも石母田さんも、戦前・戦中のマルクス主義、唯物史観的な学風の洗礼を受けた人です。お二人とも、コミンテルン(ソヴィエト・ロシア)公認の文学論をよく勉強していました。それは石母田さんの著作集第一一巻『物語と軍記の世界』(岩波書店)などを読むとわかります。
スターリンが「芸術の一元化」を提唱したのは一九三二年です。以後、「社会主義リアリズム」が唯一公認の芸術理論になります。当時のソ連では、芝居ではメイエルホリド、映画ではエイゼンシュテインなどの前衛芸術、ロシア・アヴァンギャルドが全盛時代でした。それらを全否定したのがスターリンです。演劇の世界でいまも影響力をもつメイエルホリドは、スターリン体制下で、激しい拷問のすえに「反民衆的」と自己批判して粛清されました。
生き残ったのは、演劇の世界ではスタニスラフスキーです。彼のリアリズム演劇の理論、いわゆるスタニスラフスキー・システムは、小山内薫によって紹介され、日本の「新劇」に多大な影響を与えました。もちろん小山内らの新劇人は、スターリン体制下であんなひどい弾圧が行われていたことなど知るよしもなかった。いや、あるいは知っていたか。スタニスラフスキーを信奉していた小山内は、メイエルホリドらがどんな運命をたどるか、たぶん予感していたでしょう。
メイエルホリドらが強要された「自己批判」は、リアリズムを支える「散文精神」とともに、石母田の文学論でくり返し使われるキーワードです。スターリンの唱えた社会的リアリズムによる芸術一元化が、石母田さんや松本さんにも影響しているわけです。そんな背景から、松本新一郎【ママ】は、物語的な『平家』に対して、散文的な『太平記』はリアルだと評価しました。戦後歴史学で言われた「リアリズム」という語に、わたしはスターリニズム的な抑圧を感じますが、その点、どうなんでしょうか。
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「松本新一郎」はヒートアップした兵藤氏が言い間違えたのかもしれませんが、もちろん「松本新八郎」の誤記ですね。
「コミンテルン(ソヴィエト・ロシア)」も気になりますが、「ソヴィエト・ロシア」は実態としては近いものの、正しくは「共産主義インターナショナル」「第三インターナショナル」と訳すべき国際的組織ですね。
コミンテルン(『コトバンク』)
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3-66203
全体として兵藤氏の議論は『アナホリッシュ国文学』の読者にはなじみのない世界でしょうが、歴史学者であっても、今どきの若手の中世史研究者だと「メイエルホリドって誰?」という人が多いかもしれません。
ま、スターリン体制下の出来事について細かいことを言い出せばキリがありませんが、兵藤氏は国文学者にしては異様なほど、この種の話に詳しいですね。
フセヴォロド・メイエルホリド(1874-1940)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AD%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%9B%E3%83%AA%E3%83%89
さて、「戦後歴史学で言われた「リアリズム」という語」に「スターリニズム的な抑圧を感じ」るという兵藤氏の問いかけに対し、呉座氏は次のように答えます。(p26)
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呉座 なるほど。そういうことが考えられますね。ただ『太平記』に関しては、その辺の問題について歴史学のなかであまり言われてこなかった印象があります。『平家物語』に関しては、まさに川合康さんたちが、マルクス主義的、というより石母田的な階級闘争史観が「平家物語史観」をつくったと批判なさっています。平家の没落を必然視する『平家』の構想が「健全な武士である源氏が、貴族化し堕落した平氏を倒して新時代を築く」という階級闘争史観と重ね合わされてきたことで、戦後歴史学は「平家物語史観」に縛られてしまった。
一方、『太平記』に関して言うと、今おっしゃったコンテクストのような部分が議論されてこなかったのかな、と思います。『太平記』のリアリズムという評価は、何の予断もなく読んだ結果としての純粋な印象によるものではなく、そういったマルクス主義的な先入観に影響されている可能性があるのに、あまり問題にされていない。ある種の枠組みで読み、解釈しているところが『平家物語』に限らず『太平記』の場合もあるはずです。『太平記』についてはあまり言われてこなかったコンテクストの問題について、歴史学でももう少し考えるべきではないか、と私は思っています。
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呉座氏も演劇にはあまり興味がないのか、メイエルホリドやスタニスラフスキー云々の話には乗りませんが、私は『太平記』の理解には演劇論がけっこう有効ではないかと思っています。
ただ、それは兵藤氏のような議論の先に実りある世界が広がっている、ということでは全然ありません。
『<声>の国民国家・日本』(NHKブックス、2000)の「あとがき」によると、兵藤氏の「亡兄」は「地下演劇の座付き作者兼役者をしていた」そうですが、兵藤氏の描く芸能・演劇論は大衆的人気を得られない「地下演劇」のような、どうにも陰気な世界ですね。
『<声>の国民国家・日本』も、網野善彦批判などには本当に鋭い部分があるのですが、浪花節という庶民の世界で大人気を博した芸能を描くにしては全体としては陰鬱な叙述が多く、読後感が極めて悪い本でした。
ちなみに山口昌男には「メイエルホリド殺し」(『歴史・祝祭・神話』、中央公論社、1974)という作品があって、テーマは決して明るいものではありませんが、躍動感に溢れた面白い文章でメイエルホリドの演劇世界が描かれており、兵藤氏的な演劇論の対極にある議論が楽しめます。
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著者の大テーマであるスケープゴート(贖罪の山羊)論.中心にある権力は周辺にハタモノを対置して自らの力を正当化し,ハタモノは一時は脚光をあびるがついには排除される.歴史の中で犠牲に供されたトロツキーやメイエルホリドらの軌跡をたどり,スケープゴートを必要としそれを再生産する社会の深層構造をあぶり出す.(解説=今福龍太)
https://www.iwanami.co.jp/book/b255937.html
兵藤氏の「松本新八郎は、石母田正の盟友みたいな人で、歴研(歴史研究会)を始めた人ですね」という質問に対し、呉座氏が「はい」という些か頓珍漢な回答をした後、兵藤氏の「社会主義リアリズム」に関する怒涛の蘊蓄が披露されます。(p25)
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兵藤 松本さんも石母田さんも、戦前・戦中のマルクス主義、唯物史観的な学風の洗礼を受けた人です。お二人とも、コミンテルン(ソヴィエト・ロシア)公認の文学論をよく勉強していました。それは石母田さんの著作集第一一巻『物語と軍記の世界』(岩波書店)などを読むとわかります。
スターリンが「芸術の一元化」を提唱したのは一九三二年です。以後、「社会主義リアリズム」が唯一公認の芸術理論になります。当時のソ連では、芝居ではメイエルホリド、映画ではエイゼンシュテインなどの前衛芸術、ロシア・アヴァンギャルドが全盛時代でした。それらを全否定したのがスターリンです。演劇の世界でいまも影響力をもつメイエルホリドは、スターリン体制下で、激しい拷問のすえに「反民衆的」と自己批判して粛清されました。
生き残ったのは、演劇の世界ではスタニスラフスキーです。彼のリアリズム演劇の理論、いわゆるスタニスラフスキー・システムは、小山内薫によって紹介され、日本の「新劇」に多大な影響を与えました。もちろん小山内らの新劇人は、スターリン体制下であんなひどい弾圧が行われていたことなど知るよしもなかった。いや、あるいは知っていたか。スタニスラフスキーを信奉していた小山内は、メイエルホリドらがどんな運命をたどるか、たぶん予感していたでしょう。
メイエルホリドらが強要された「自己批判」は、リアリズムを支える「散文精神」とともに、石母田の文学論でくり返し使われるキーワードです。スターリンの唱えた社会的リアリズムによる芸術一元化が、石母田さんや松本さんにも影響しているわけです。そんな背景から、松本新一郎【ママ】は、物語的な『平家』に対して、散文的な『太平記』はリアルだと評価しました。戦後歴史学で言われた「リアリズム」という語に、わたしはスターリニズム的な抑圧を感じますが、その点、どうなんでしょうか。
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「松本新一郎」はヒートアップした兵藤氏が言い間違えたのかもしれませんが、もちろん「松本新八郎」の誤記ですね。
「コミンテルン(ソヴィエト・ロシア)」も気になりますが、「ソヴィエト・ロシア」は実態としては近いものの、正しくは「共産主義インターナショナル」「第三インターナショナル」と訳すべき国際的組織ですね。
コミンテルン(『コトバンク』)
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3-66203
全体として兵藤氏の議論は『アナホリッシュ国文学』の読者にはなじみのない世界でしょうが、歴史学者であっても、今どきの若手の中世史研究者だと「メイエルホリドって誰?」という人が多いかもしれません。
ま、スターリン体制下の出来事について細かいことを言い出せばキリがありませんが、兵藤氏は国文学者にしては異様なほど、この種の話に詳しいですね。
フセヴォロド・メイエルホリド(1874-1940)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AD%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%9B%E3%83%AA%E3%83%89
さて、「戦後歴史学で言われた「リアリズム」という語」に「スターリニズム的な抑圧を感じ」るという兵藤氏の問いかけに対し、呉座氏は次のように答えます。(p26)
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呉座 なるほど。そういうことが考えられますね。ただ『太平記』に関しては、その辺の問題について歴史学のなかであまり言われてこなかった印象があります。『平家物語』に関しては、まさに川合康さんたちが、マルクス主義的、というより石母田的な階級闘争史観が「平家物語史観」をつくったと批判なさっています。平家の没落を必然視する『平家』の構想が「健全な武士である源氏が、貴族化し堕落した平氏を倒して新時代を築く」という階級闘争史観と重ね合わされてきたことで、戦後歴史学は「平家物語史観」に縛られてしまった。
一方、『太平記』に関して言うと、今おっしゃったコンテクストのような部分が議論されてこなかったのかな、と思います。『太平記』のリアリズムという評価は、何の予断もなく読んだ結果としての純粋な印象によるものではなく、そういったマルクス主義的な先入観に影響されている可能性があるのに、あまり問題にされていない。ある種の枠組みで読み、解釈しているところが『平家物語』に限らず『太平記』の場合もあるはずです。『太平記』についてはあまり言われてこなかったコンテクストの問題について、歴史学でももう少し考えるべきではないか、と私は思っています。
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呉座氏も演劇にはあまり興味がないのか、メイエルホリドやスタニスラフスキー云々の話には乗りませんが、私は『太平記』の理解には演劇論がけっこう有効ではないかと思っています。
ただ、それは兵藤氏のような議論の先に実りある世界が広がっている、ということでは全然ありません。
『<声>の国民国家・日本』(NHKブックス、2000)の「あとがき」によると、兵藤氏の「亡兄」は「地下演劇の座付き作者兼役者をしていた」そうですが、兵藤氏の描く芸能・演劇論は大衆的人気を得られない「地下演劇」のような、どうにも陰気な世界ですね。
『<声>の国民国家・日本』も、網野善彦批判などには本当に鋭い部分があるのですが、浪花節という庶民の世界で大人気を博した芸能を描くにしては全体としては陰鬱な叙述が多く、読後感が極めて悪い本でした。
ちなみに山口昌男には「メイエルホリド殺し」(『歴史・祝祭・神話』、中央公論社、1974)という作品があって、テーマは決して明るいものではありませんが、躍動感に溢れた面白い文章でメイエルホリドの演劇世界が描かれており、兵藤氏的な演劇論の対極にある議論が楽しめます。
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著者の大テーマであるスケープゴート(贖罪の山羊)論.中心にある権力は周辺にハタモノを対置して自らの力を正当化し,ハタモノは一時は脚光をあびるがついには排除される.歴史の中で犠牲に供されたトロツキーやメイエルホリドらの軌跡をたどり,スケープゴートを必要としそれを再生産する社会の深層構造をあぶり出す.(解説=今福龍太)
https://www.iwanami.co.jp/book/b255937.html