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生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:流れゆく先:その4:幸福な日々の為の自問自答集

2014年07月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
松井須磨子島村抱月の自殺事件、そのような事件が大正8年に起きています。女性の選挙権の無い時代に女性の人権に目覚めた人権運動も盛んになりだしますが、白い目で見られています。大正の末までの教育も、どちらかと言いますと士族、華族の子弟だけで、商家や豪農の子弟も大正の末までは少数化です。海軍兵学校、陸軍士官学校、師範学校の入る青年達は殆どが士族(豊かな士族、貧しい下級武士を含め)でした。特に女性は教育を受けると生意気な女になるだけ、という時代です。そんな大正ロマンの歴史の中での「ころび、おきあがり」現象は自殺という悲劇も沢山ありましたようですが、ここでは転び方のまずいものの代表が自殺です。白蓮は死を考えたようですが、その方向には転びません。逞しく、その場、その場を生き抜いていきます。恋も希望の一つですし、生きる喜びも重要なもの。立ちあがるエネルギは生きる希望と喜びの追求しかありませんが、平素の努力を向ける方向はひたすら生きる希望のようです。希望という一番大事な夢を、それぞれに違う生育史の中で育てるのは大変ですが、自分流の希望力だけは、人には分からない領域ですので、堂々と、自分流に育てる必用があります。現実吟味力を働かせるのはその後のようです。幾つかの夢の無い人は、転び方が悲劇的となるようですが、夢があると、転び方も立ちあがる方法も軽やかなようで致命的な骨折にはならないようです。
<自分は何処へ旅しているのだろうか?:338>

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「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく探究」していきましょう。

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