五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

式年遷宮に思うこと

2013年10月03日 | 第1章 意識と知覚
昨日は伊勢神宮式年遷宮の遷御の儀が執り行われました。

新しい神殿への神様のお引っ越しです。
その様子をテレビで拝見し、毎年奈良の春日大社でおこなわれている「御まつり」を思い出しました。

白い絹幕を大宮司、小宮司がしずしずとその幕を掲げ、暗闇の中を移動します。
その白い幕の中に神様がおられるのです。

この場面を御まつりと重ねると、「ああ、あの中に神様がおられる、、、」という思いがすぐに湧いてくるのですが、初めてご覧になった方はどう思われたでしょう。

いる

いない

そういう問題では無いように思います。

そこに神様がおられることを意識すると、そのような知覚が自分の身体を廻ります。

そこには何もないと意識すれば、知覚に至るまでの意識化はされないでしょう。

天照大神と持統天皇の関係から源氏物語、そして、お伊勢参りのやじきた道中など、時代毎に見合う物語も生まれています。そして今回で62回目の遷宮です。
20年に一度の遷宮により神様の「若常」(わかどこ)を表現することは、日本人の表現性の傾向を表しているようにも思います。

「カケコー …  カケコー …  カケコー …」

鶏が三度鳴く人の声から儀式が始まることは、ゲツセマテから始まるキリストの磔刑までを思い起こさせ、ユダヤとの関係説を改めて意識化することとなり、25,6年前にその説を携えて伊勢神宮を詣でた事を懐かしく思い出しました。

確かな真実が歴史を作っているわけですが、現代に現象として受け継がれているものの背景が見えないことが、ミステリアスで魅力を感じるのかもしれません。

太陽が昇る方向を目指した人々がいた太古の時代に日本という島国に辿りついた人々は何を見て感じたのか。。。

伊勢神宮からその原型を体感できるエネルギーのようなものを感じ取ることができるのです。
私自身、見えない歴史を感じようとする時の脳みその疼きが起こる際、いつもこのような体感から始まります。

20年毎の遷宮は、意識しようがしまいがこの国に生まれ育つ人々のアイデンティティを生み育んでいるはずです。自分自身のアイデンティティの意識化にも繋がることです。

春日大社の御まつりが暮れに執り行われる頃から東大寺二月堂の修二会の話題が耳に入ってきます。

祀ることを繰り返しながら、人は糺されてゆくのかもしれません。今活かされていることを大切にしたいものです。

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