五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

自分を知る方法10

2010年05月16日 | 第2章 五感と体感
「感情表現が大事です、」と書き綴ってきましたが、防衛機制から表れる間接的な感情表現をすると、自分に不満感がどんどん溜まってきます。

例えば、「お母さんなんて大嫌い!」とクライエントが言ったとします。
「お母さんなんて大嫌い」という言葉の背景には、どんな感情が含まれているのでしょうか?ほんとうに嫌いなのでしょうか?
「嫌い」だという言葉にある種の防衛機制を感じると、言った人の言葉に歪曲された本音でない何かを感じたりします。
傾聴していくと、語る言葉に本音の感情が見え隠れしてくるからです。

カウンセリングでは、その語る言葉の土台となる感情に焦点を当てていきます。
そうしていくと、その人の本音の感情が「言葉」を撥ね退けて顕わになってくるのです。
それを聴いていきます。「聞くのではなく聴くのです。」

感情を理解する、という「共感」とはそういうことだと私は理解しています。

カウンセラーとクライエントの共同作業には、ほんとうに信頼し合う心が大事なのです。

自問自答する場合でも同じです。自分の不満が壁になって本音の感情が見えない場合は、たぶんイライラしたり怒りっぽくなったり、相手を非難したり、どっと落ち込んだり、そのうち何か本当の感情なのかわからなくなります。
自分の内にある「不安感」をじっくり探る余裕を持ちたいものです。
それには不安感に留まる意識が必要かもしれません。

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自分を知る方法9

2010年05月15日 | 第2章 五感と体感
今日は「感情と自己主張」について書いてみようと思います。

自分の考えや自分の思いを的確に表現できたら気持がよいものです。

言えない気持ちを押し殺しているとどうなるのでしょう…

時々、こんな人に出会います。↓↓

本音が言えないために、暴言を吐いたり、他者を否定したり、嘘をついたりして、本音と言う核心の回りを衛星のようにぐるぐると回ります。

本音が云えないので、ますますエスカレートします。
なぜエスカレートするのでしょう?

それは、本音を吐き出していないために、自分の中に達成感や満足感が湧かないからだと思います。

衛星のようにぐるぐる回る自己主張のどこを聴きとるか?
それは、やはりその奥に潜む相手の感情です。

「感情を理解すると」ことは、同感し同調することではありません。
話の内容を聞くのではなく、その奥に潜む感情を理解することが共感だと私は理解しています。

「愛の孤独感」という用語があります。言葉の通り「孤独感」という用語に「愛の」をつけると「愛の孤独感」となるわけですが、
自分がどんな環境でどのように育てられ今日まで生き延びてきているか、その生き延びてきた理由を聴いていくと、その人の「今ここで」の感情に直接触れることが可能になります。

成育史の中から見えてくる自分の本音を大切にして欲しいものです。
本音が見え、その感情をどのように表現するかは、その人の個性によりマチマチです。

できることなら聴いてくれる相手をいじめるようなことだけは避けたいものです。

自己主張には知恵が必要かもしれません。

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自分を知る方法8

2010年05月14日 | 第2章 五感と体感

正直な感情を表現する

多くの方々と触れあう中、時々、ミレーの「落ち穂拾い」の絵を思い起こすことがあります。感情の曼荼羅は、宇宙に煌めく星のようなものです。
その感情の曼荼羅と向き合う自分が、畑の上に落ちている落ち穂を拾っているような感覚になるのです。その感覚が過ぎると「晩鐘」の絵が浮かびます。夕方の鐘の音を聴きながら農民が祈る姿が絵画が描かれています。
身をかがめて天から落ちてきた感情「穂」をひとつひとつ拾っているような感覚になるのです。その作業が長く続くと祈らずにはいられなくなります。

感情について問いかけると「自分の感情がわからない」とおっしゃる方がほとんどです。

体と心に宿る大きな宇宙に煌めく無数の星(感情)に、生き抜く力が潜んでいます。

正直な感情を意識に上げ、それをどのような表現の仕方で外に出すかは、その人の成育史上の個性によってそれぞれです。

防衛機制によって表出する感情表現は、時に人を不快にさせ、悲しませることもあるかもしれません。
それを感じて防衛機制によって表出する感情表現を抑えてしまうこともあるかもしれません。

もし、そのようなことが意識できたら防衛機制から紐解く「不安感」を正直に見つめる訓練が成されたということだと思うのです。

そこからもう一度「感情」を意識してみるとだんだんとジワジワと感情が表れてくるはずです。

お説教されずに、過度な心配もされずに、否定も肯定もせず、しかも温かく話を聴いてくれる人が身近に居るでしょうか?自問自答が難しければ、自分にとって安全な聴き手を探すのも一つの方法だと思います。

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自分を知る方法7

2010年05月13日 | 第2章 五感と体感

上手な感情表現って?

もやもやする感情を言語化できないジレンマとか、本音の感情を我慢しすぎて爆発してしまうとか、素直に感情表現すれば良いのだ!という勘違いから感情を出しっぱなしにしたり、感情を抑えたために身体症状に表れてしまったり、つらつらと思い浮かべたらずいぶんヘタクソな感情表現で損している自分に気付きます。

では、上手な感情表現とは一体どんなことを言うのでしょうか?

自分に正直になっているでしょうか?
自分自身心の中では正直になっていたとしても、防衛機制が自分の表現を歪曲させてないでしょうか?
五感と体感を大切にしているでしょうか?

感情の言語化も、ただ言いっぱなしが良いとも言えません。
ネガティヴな感情を出しっぱなしにされることが続くと聞いている側はうんざりしてきます。

自分の不安感を素直に言語化でき、アイデンティティの不統合の状態を素直に言語化できるようになってくると、自らの感情を見据える癖がついてくるようです。

感情を見据えることができるということは、自分の揺らめく感情に留まることができる、ということかもしれません。

感情の整理がついていないと言語化は難しいはずです。

本音の感情の言語化は永遠のテーマかもしれません。

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自分を知る方法6

2010年05月12日 | 第2章 五感と体感
三日ぶり「自己を知る方法」を再開します。

「感情表現について」

五感から生ずる人の感情は、心地よいものもあれば、悪いものもあります。

それは人によって違います。

ある人は薔薇の花を見て美しいと思う。
ある人は薔薇の花を見て不快な感情が湧き出す。

成育史における体験が、薔薇の花を見る自分に感情を湧き立たせます。

ポジティヴな感情が湧きあがる人。
ネガティヴな感情が湧きあがる人。

こればかりは本人でないとわかりません。

自分以外の感情は知る由もなく、本人にしかわからないものです。

何故でしょう?

それは自分の体の内から湧きあがってくるものだからだと思います。

他人はある程度理解できても、人の感情のスケールはその人にしかわかりません。

ということは、厳しいようですが自分の感情は自分にしかわからないのです。

そうはいっても自分の感情を押し込めているとどんどん苦しくなってきます。

どうしたら自分の感情を上手に表現できるようになるのでしょう・・・
続きは明日に。

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美味しい生活

2010年05月11日 | 第2章 五感と体感
江ノ電に乗るとのどかな気分になります。
腰越駅で降り、海とは反対の方向に歩き、小高い山の上に通うこと5年。

萌える緑が色濃くなり、鶯はますます歌うのが上手になってきました。

ツバメが目の前を忙しく飛んでいたのは子育て真っ最中だからなのでしょうか。

犬のルーちゃんは相変わらずお愛想無しですが、天敵であるリスを今年は二匹も捕えたそうです。淡々とした生活をしているように見えるルーちゃんは案外攻撃的。

灌木の葉が雨に落とされ玄関先に散らばっています。その散らばり具合が大好きだと言う家主が私は好きです。

来月はそろそろ梅雨の頃。廻る季節を楽しむことができるここの風情は、私の美味しい生活です。

今日もありがとうございました。

雨の中での本日の勉強会も中身の濃いものでした。
皆様、お疲れ様でした。

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宝塚ワークショップ

2010年05月10日 | 第2章 五感と体感
宝塚ワークショップに参加の皆様、お疲れ様でした。
そして、ケアーしてくださった皆様、心から感謝いたします。
おかげさまで、売布の森の三日間、よくよく思索することができました。

自己というモチーフをどう解釈し分析していくか。
時間の経過とともに積まれていく感官的経験をどう表現していくか。

言語化という作業は、自己の統合へと導くのです。

地団太踏んで不満を撒き散らすことは時間の無駄。

同じ視点から自己を見つめることで、同じ解釈しかできないのもつまらない。

「多方面から見る」ことも大事ですが、「自分の目が多方面を見る」ということも忘れてはならないと思います。
そこから自分の学問の方向性が見えてきます。

私もそろそろ一つのテーマに絞りつつあります。半分以上来たであろう自分の人生をどう生きるか、やはり悔いは残したくないな、と思います。

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自分を知る方法5

2010年05月09日 | 第2章 五感と体感
倫理道徳を超えて

五感と体感を意識化しつつも、そこに防衛機制が働くならばきっとかなり苦しいことでしょう・・・

防衛機制については2009年9月17日~30日までのブログに「14の防衛機制」がありますので、ご興味がありましたらお読みください。

正直な感情は、大切です。自分は正直な感情を出していると思っていても実は防衛機制の何かが働いているかもしれません。今の私は「同一化」というところでしょうか。。。

☆☆生き甲斐の心理学テキスト第7章P77~「自分を知る方法」参照

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自分を知る方法4

2010年05月08日 | 第2章 五感と体感
五感と体感

視覚
聴覚
臭覚
触覚
味覚

それと、体感。

五感で感じたことを正直に体感するには、訓練が必要なようです。
感性は訓練で洗練されていきます。

五感で感じたこと、体感したことを言語化していく訓練をしていくと、正直な自分の本音に出合うことことが増えてきます。

☆☆生き甲斐の心理学テキスト第7章P77~「自分を知る方法」参照

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自分を知る方法3

2010年05月07日 | 第2章 五感と体感
感情表現

つい最近まで私は感情表現がほんとうに下手でしたし、今でも上手とは言えません。
カウンセリングの勉強を進めるうちに、感情の言語化に受容の心が込められるようになってきたようです。

自己覚知がなされていない人に悩みを打ち明けると、大抵指示的なことを言われ、運が悪ければお説教され、悲しい思いをして「話すんじゃなかった」ということになり兼ねません。

自分がどんなときにどんな感情になるのか?

自分の傾向をある程度把握できていれば、回避することができますが、それができていないとますますストレスが溜まっていくようです。

感情表現が苦手であっても、言語化することに代わって、たとえばピアノを弾いたり、絵を観たり、演劇やコンサートを観たり聴いたりして自分の感情を湧き立たせていくと蓋をしていたものが開くかもしれません。

☆☆生き甲斐の心理学テキスト第7章P77~「自分を知る方法」参照

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自分を知る方法2

2010年05月06日 | 第2章 五感と体感
自己覚知

「現実の適応能力」を考えるに、私はどのくらい適応能力があるのだろう?

住む場所によって、風習が違い習慣が違い、子供ながらに適応しようと無意識の努力をしながら私は育ちました。
そんなわけで、公共の場で奇妙な行動をとっている人を見ていても、文化人類学的見地というかフィールドワーク的に観察する傾向があります。

先日の電車の中での出来事です。家で握ってきたおにぎりを食べ出した女子大生がいました。しかもおにぎりを食べながら俳句の専門書を読んでいらっしゃる。しかも私の横で。
電車の中での食物の匂いは、私にとっては悪臭です。

教養のありそうな女子と電車のおにぎりというミスマッチは、何なんだろう。。。寝坊した娘に玄関先でお母さんが渡したおにぎりを食べているのかしら、、、お弁当を食べてもOKな電車に乗る環境で育った人なのかしら、、、しばし、考えました。
しかし、
ミスマッチだと感じたのは私であり、当の本人がそれを自覚していたらそんな行動は取らないでしょう。しかも、教養のありそうな人は、こんなところでおにぎりは食べない、と決めつけている私がいます。
というわけで、つまり、
適応能力を意識するのは違和感を感じている私のほうであり、見も知らずの女子の話ではないのです。

…どれだけ自分を自己覚知するか。

自分自身の「好きと嫌い」から自己覚知を意識してみるのも一つの方法かもしれません。
そこから深い深い自分のことが見えてくるかも。。。

☆☆生き甲斐の心理学テキスト第7章P77~「自分を知る方法」参照

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自分を知る方法1

2010年05月05日 | 第2章 五感と体感
1自分の本音を知る

悩んでいる人を目の前に、「私はどうすることもできない」という感情が湧くことはしばしばあります。

理想と現実のギャップとは何でしょう?

あなたの本音は?

と言われても、本音とは何でしょう。私自身、かなり意識しないとその本音は意識化できません。意識できていない本音も私の内に宿っているはずです。
いつその本音が意識に上がってくるかは、教科書通りにいきません。

最近、ある人の言葉にハッとさせられました。

→「あなたは幸福よりも自由を選んだのでしょ」、ある作家が言った言葉です。

「幸福」は「幸福の条件」「幸福感」に分けることができます。
幸福の条件(自分にとって理想的な家庭環境とか満足する履歴書とか)が満たされているのに幸福感を味わえないケースを考えてみるとぴんと来ると思います。

私自身、意識している幸福の条件はかなり高いのだと思います。でも、その理想を跳ね返すように、いつも自由を選んでしまいます。でも悔いはありません。時々反省はしますが。

藤原新也氏の本にある「人は犬に食われるほど自由だ」という言葉に開放感を得た20代、リュックを背負ってインドを旅した時から、内在する自己の自由を優先できるようになったように思います。

人は自由意思を持っています。その自由意思の中にある本音は、自分の成育史のどこからくるのかを知ることが、自己の本音と繋がっていくように思います。

数日かけて自分を知る方法について、考えたいと思います。

☆☆生き甲斐の心理学テキスト第7章P77~「自分を知る方法」参照

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桑田さんの生ライブから

2010年05月04日 | 第2章 五感と体感
連休明けから各地にて一週間ぶっ通しの勉強会があるため、結局普段の日よりも倍忙しく過ごしています。
モチベーションを上げる前に気になるのが、明日の能楽社中の発表会です。

やはり、これが終わらなくてはどうにもこうにも。。。

そんな中、今朝1時から5時までFM東京で「桑田圭祐さん」の生ライブがありました。
熱狂的ファンの息子に付き合い、一時間ほど聴きました。

桑田さんが歌い奏でるいろいろなミュージシャンのカバー曲は、桑田圭祐という一人のアーティストの言霊へと変換され、体がとろけるような心地よさを感じました。

ほんとうに音楽三昧なんだなぁ~~と思いながら聴いているうちに、
旋律を自由自在に自分のものにしているのは、謡いで言う腹から出る息に声を乗せる、という感覚に似ているし、修行僧の「空」との向き合い方にも似ているような気がししてきました。それが私の心地よさへと繋がっていくようです。

息に乗せる言葉である言霊(ことだま)が複合的な自己の個性をひとつに結ばれていくことは、「受容」という心理学的用語に当てはまっていくように思うのです。

そんなことを考えながら休日の朝を過ごしていますが、
さあて、練習練習、、、何事も続けることに意味があるようです。きっと、続けていくと何かが見えてくるはず。。。

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呟き文化

2010年05月03日 | 第2章 五感と体感
ツイッターを読んでいると、言葉を発する方の「思考と感情と行動」に触れることができます。有名人でもそうでない人も同じ条件で発信するわけですから柵がありません。

ネット上の繋がりだけでも個人の個性化されたものに充分触れることができます。

観えているものの先に観えてくるものを表現しようとする人は、比喩的表現に長けています。
140文字という言葉の世界で比喩を個性化できる方のツイートは面白いです。

平素思索している人のツイートはやはり魅力的です。

理論理屈、不平不満を「直」に言葉にすることは簡単ですが私の好みではありません。
そんな大層なことを言っても、何気なく呟くことで、自分の精神衛生を良くしているようですが。。。
ただ、
事象をモチーフにして抽象化してゆくには個性化された感性の表現力が必要です。自己の個性と品性を試されるのがツイッターでもあるように思います。

呟きはことだま(言霊)であり文化だ…

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三つの問いかけ

2010年05月02日 | 第2章 五感と体感
生き甲斐なんて自分で見つけるもんだ。。。と、健康でイキイキと活動されている方にとっては余計なおせっかいかもしれません。でも、案外、生き甲斐が無いために生きる目標を失っている方は多いのです。
「生き甲斐を考えたことも無い」とおっしゃる方にも時々出会います。

人は誰でも必ず死を迎える時が来ます。
その死を忌み嫌い、避けて通ることで得も知れぬ不安感を持っている人も少なくありません。死を想うからこそ、死に不安感を持つからこそ、自然界に畏怖を持ち、見えないものを見ようとする「見神欲」を持つのです。
自分の過ちに気付き、恨みを恐れ、魂の鎮魂を願ったりします。

自分の内に宿る答えは、自分にしか見えないのです。

どんなことを人から言われても、自分自身腑に落ちる体感を得ない限り「答えは自分のもの」にはなりません。

カウンセリングの理論は、自分の内に宿る答えを自ら見つけるサポートをしてくれます。

「人は何のために生きているのか」
「自分の生き甲斐とは何か」
「自分の心と体と魂を大切にしてるか」

まずは、この三つの問いかけを大切にしながら日々暮らすと、きっと何かが見えてきます。

☆☆☆
昨日はNPO法人CULLカリタス カウンセリング学会の総会でした。
(生き甲斐支援のためのカウンセリング教育普及を行う活動をしております)
総会出席の皆様、お疲れ様でした☆☆☆

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