:::折口信夫の「死者の書」を読んで:::
「いつか、スイスバスに乗ってヨーロッパから中近東の旅をしたい、」と思ったのは、高校の地理の先生の話がきっかけでした。そもそもふわふわと妄想しながら10代に突入した成育史の私は、みごとにその話題に乗っかりました。
アフガニスタンやイランの砂漠にぽつんと立つ石造りの螺旋塔は、砂漠の民の灯台だったと聞いています。
数年前、奈良の浄瑠璃寺に向かう途中、その螺旋塔と同じデザインの塔に出合い、驚きました。確か、水道局の建物?だったように記憶しています。
城壁でもなく、櫓でもなく、螺旋塔というデザインは、砂漠を旅する人にとって、とても象徴的な道しるべだったに違いありません。
故有元利夫さんが描いた「花降る日」というタイトルの作品には、やはり、その螺旋塔がモチーフとなっています。その絵の前に立たずんた19歳の時も、自分との出合いの扉を開けたような衝撃が走りました。
DNAという無意識の螺旋が私の体内を廻り、時々、私の前に現れる螺旋状が、ときどき意識化を図ってくれているようにも思います。
折口信夫の「死者の書」を読みながら、私自身の「死者の書」を表現するのであれば、「魂と心と体」のどこに焦点を当てるだろうか。。。、そんなことを考えました。
人は螺旋状を生きているし、生命を断たれ魂となっても螺旋状にあり続けると漠然と思うのは、DNAの形状を無意識の中で納得しているからかもしれません。
希望は永遠に螺旋を巡る体感の中にある、と本気で信じている自分は幸せかな。。。
[生き甲斐の心理学参照」
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「いつか、スイスバスに乗ってヨーロッパから中近東の旅をしたい、」と思ったのは、高校の地理の先生の話がきっかけでした。そもそもふわふわと妄想しながら10代に突入した成育史の私は、みごとにその話題に乗っかりました。
アフガニスタンやイランの砂漠にぽつんと立つ石造りの螺旋塔は、砂漠の民の灯台だったと聞いています。
数年前、奈良の浄瑠璃寺に向かう途中、その螺旋塔と同じデザインの塔に出合い、驚きました。確か、水道局の建物?だったように記憶しています。
城壁でもなく、櫓でもなく、螺旋塔というデザインは、砂漠を旅する人にとって、とても象徴的な道しるべだったに違いありません。
故有元利夫さんが描いた「花降る日」というタイトルの作品には、やはり、その螺旋塔がモチーフとなっています。その絵の前に立たずんた19歳の時も、自分との出合いの扉を開けたような衝撃が走りました。
DNAという無意識の螺旋が私の体内を廻り、時々、私の前に現れる螺旋状が、ときどき意識化を図ってくれているようにも思います。
折口信夫の「死者の書」を読みながら、私自身の「死者の書」を表現するのであれば、「魂と心と体」のどこに焦点を当てるだろうか。。。、そんなことを考えました。
人は螺旋状を生きているし、生命を断たれ魂となっても螺旋状にあり続けると漠然と思うのは、DNAの形状を無意識の中で納得しているからかもしれません。
希望は永遠に螺旋を巡る体感の中にある、と本気で信じている自分は幸せかな。。。
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