五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

電車内の不審物

2009年11月10日 | 第2章 五感と体感
仕事帰りの○横線。
そこそこ混んだ車内に乗り込みました。

座席に座り、ふと斜め前を見るとフリースのような素材のブランケットが座席二つに窓から垂れ下がるように掛けられています。

「え?これって、ドッキリカメラ??」

隣の席には妊婦さんマークのバッチを付けた女性がマスクをして座っています。
皆さん、その周りを避けるように、でも、気になるのか、目線を離しません。
もちろん、私も目が離れません。

次の駅から小学生3人が乗ってきました。
3人は、この席の前で、これはいったい何なのか触り出しました。一人の子が「座れるよ」と言って、ちょこんと座ります。他の2人は、怖がって座りません。

「もしかしたら、これは不審物?中に爆弾???」
「それとも、忘れもの?潔癖症の人がブランケットを敷いて座っていたとか?」
「いやいや、汚物の処理したばかりか・・・?」
…いろいろ思いめぐらしますが、解りません。

電車を降り、気になるので車掌さんに伝えました。
すると、
「汚物処理後、布を掛けておくことがありますが、一応次の駅で確認します。」との返事。

初めて見た光景だったので、「なぁるほど、勉強になりました、、、」と言ったものの、だったらせめて会社のロゴマークを付けた布を敷いてほしいものだ、、、と少々、不満な気持ちも。。。

日常に起こる「違和感」。
感情から→→思考→→行動に至るまでの個性は、危険を察知する訓練にも繋がります。
平和な国、日本。
ブランケットの上に座っちゃった小学生くん、ほんと、爆発物じゃなくてよかったよかった…。
いつの日か、いろんな国を歩いて、いろんな人に出会って、緊張感あふれる旅をしてほしいなぁ~と、思うのでした。

家族には「それは、まさしく汚物処理後だ。。。」と当たり前のように言われ、私の不安感は大げさなのかなぁ~とも。。。

「怖い、怖くない」は、原初感情と言われています。

違和感のある出来事に遭遇したらどんな感情が湧くでしょうか?

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ユングとチベット死者の書 3

2009年11月09日 | 第2章 五感と体感
ユングの原型論はチベット死者の書と切り離して考えることはできません。
ユングは人類学者エバンスが訳したチベット死者の書を読み、影響を受けます。

チベット死者の書は、
死を迎えた人が死を怖がったりしないように導く手引書であり、輪廻転生の思想から動物や餓鬼ではなく、再び人へ生まれ変わるよう導いてきます。

「生」と「生」の間にやるべきことは、ユングの言葉を借りれば、無意識の意識化といえるかもしれません。
人には必ず死がやってきます。執着してもこの世にとどまることはできません。

輪廻転生の死から生への段階において、いろいろな行程を体験していくそうです。
その行程と修行は、本を読んでくださった方がよさそうです。

亡くなった人が、死の世界で最初に見るものは自分の意識そのものだそうです。
そして、自己を投影した意識を受容するところからはじまります。
現象に囚われ、大脳が変えていく幻影に惑わされ、執着してはならないそうです。
そこで、自分の前に現れるたくさんの仏の中から、たった一つの仏を選びます。

まさにフォーカシングの技法です。
しかも、ロジャーズの理論にも繋がります。

再び生へと導かれるまでの49日間、この導きは続きます。

さてさて、ブログに書くには限界がありますので、この続きはワークショップで。

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輪廻の思想・チベット死者の書2

2009年11月08日 | 第2章 五感と体感
輪廻転生

それを自分が信じるか信じないかはひとまず置いてください。
自分が何かに遭遇した時に選択してく考え方として「知識」という宝箱に納めることは、悔いなく生き抜く一つの方法です。

「生まれることは苦しみ。生まれたものは必ず生老病死という過程を経験します。
生と死の繰り返し、つまり輪廻は苦しみの根源です。そこから逃れるには解脱しかありません。この無限の繰り返しから生と死を超えた境地に達することを解脱といいます。
だから、解脱を願い、苦行を続け、得を積むのです。

輪廻の苦悩から救う祈りは、五体投地もその一つです。
マニ車を手で回しながら「オンマニペメフム」と唱える人々は、その祈りを唱えることで、苦しみから逃れられのです。

東大寺の修二会(お水取り)では、カタチは違いますが五体投地を行い、懺悔をします。カタチと解釈を変容させながら、日本人のアイデンティティにも影響しています。韓国ドラマのファンジニでも、その姿を見ることができます。
チベットの人々は、聖なる山を五体投地しながら歩み回ります。

死と中有(バルド)と生を繰り返す輪廻転生について、明日も、ちょっとだけ書いてみます。

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チベット死者の書・バルド ソドル

2009年11月07日 | 第3章 無意識の世界
「埋蔵経」ということばがあります。

「偉大な経典は、しかるべきところに隠され、その経典が必要な時代に発見される」…仏教の世界の話ですが、キリスト教の死海文書とも似ているように思います。

その埋蔵経のひとつが「チベット死者の書」(英訳)本当の題名は[バルド ソドル]といいます。

「誰かによって発見され、意味のあるものとしてその時代に必要なものとして大切にされていく」

未来永劫を祈った人々が、どんな思いをこめて経典を埋蔵したのかは、学者にお任せするとして、心理学を学ぶ私たちにとって読まなきゃ、話にならない、というくらい必要不可欠な「チベット死者の書」のお話を数日間語っていきたいと思います。

この本に私が出会ったのは学生の頃でした。30年くらい前のことです。
その時に読んだのは、「ニンマ派の書」です。

これは、18世紀にオックスフォード大の人類学者エヴァンス・ヴェンツがインドの古道具市で見つけたものです。それを英訳し、今度は心理学者ユングが読みました。
ユングは、このチベット死者の書を読み感銘を受け、個人の意識を超えた無意識の世界を心理学に応用していきました。

1960年代には、ハーバード大の心理学者ティモシーリアリーが、麻薬による幻覚作用と死者の書の修行の行程の共通性を論文発表し、それが当時のヒッピーに愛読されるようになり、学界から無視されることとなりました。

現在、私たちの勉強会では、ニンマ派ではなく、ゲルグ派を使用していますが、ユングの原型論を体得しようとするならば、私個人としてはニンマ派のほうがわかりやすいかな、と思います。無意識の意識化は、理論と実践、両方から作業していかないと誤解を招く恐れがあるかもしれません。
「比較宗教学的見地に立った心身ともに健全な世話人」のもとで学ぶのがベストだと思います。

続きは明日に

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今にとどまる

2009年11月06日 | 第2章 五感と体感
大学の学祭なんて、何十年振りだろう。。。
卒業してから自分の出身校に足を運ぶこともなく、学生の頃も学祭なんぞに興味もありませんでした。

子供の大学に足を運ぶことすら、私にとっては予想外のことですが、最近はそうではないようです。

前置きは、このへんにして、先日、我が子の所属するサークル、スペイン語研究会の歴史ある出し物、フラメンコを観てきました。
夏休み明けから、ひたすら練習に励んでいた彼らの舞台は、これまた予想外に素晴らしく、しかも、若い!
風姿花伝ではありませんが、やはり、若者の舞いはそれだけでも美しいものです。アラカンの方々には懐かしいとは思いますが渋谷のジャンジャンを小さくしたようなかぶりつきの舞台を手作りし、畳4畳くらいのところでイキイキと踊る彼らの姿から胸がときめく楽しさを体感しました。

年齢相応の「今」という時間に留まりながら、自己を表現できるということは、自己を確認できている表れのように思います。
楽しいことや勉学にとどまるという意味ではありません。思春期の憂いもそうです。憂うことは、悲しいことではありません。
「憂う」経験は、いつか必ず役に立ちます。

自分の「今」を支配する喜怒哀楽は、必ず変化していきます。

スぺ研にいい加減な気持ちではいっちゃった友達も結局は仲間の求心力に引き込まれ、熱い期間を過ごしたそうです。きっかけなんて、そんなものかもしれません。

喜びと誇り、達成感、それらを一気に味わっている若さに羨ましさを感じつつ・・・青春は美しい・・・
、、、と、堂々と云えるようになった私も、私の「今」にとどまりながら、過ごしていきたいと思います。


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現実吟味力のおさらい

2009年11月04日 | 第2章 五感と体感
プロセススケールについて7日間、7つのストランズを一つづつ書いてみましたが、書き足りないことはたくさんあります。

でも、これらの概念を知ることだけでも、自分のもやもやした気持ち、理想と現実のギャップからあられる不安感、防衛機制(9月17日~30日記載)が意識化できれば、心の持ちようも変わってくると思います。

自分自身には自己概念というフィルターが必ずかけられていることを忘れないでください。自分を無にすることは、よほどの修行者でなくては、できないはずです。(チベット仏教の修行僧にしても、修行は意識化と受容から始まります。)

私たちは、それなりに身の丈に合った自分自身との関わり方をしていく必要があるようです。

自分を見ていくことからはじめていくことにこの学びの意味があります。

他者と関わる前に、自分自身の解釈の仕方の傾向を知ると、きっと自分の柱がしっかりと留まるように思います。

「自己肯定」と「他者肯定」は、とっても深い関係がありますね。

プロセススケールにお付き合いくださり、ありがとうございました。
メッセージをくださった皆様に、この場を借りて深く感謝いたします。

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関係の仕方 その7

2009年11月03日 | 第2章 五感と体感
プロセススケール その7

☆関係の仕方

自分の人間関係の仕方は健全か?不健全か?

親しく付き合いたいと思いながらも、親しくなりかけると、自ら身を引いてしまう。

親しい人を必要以上に束縛する。

いつも人間関係が希薄である。

物怖じしない、しやすい。等…

考えてみると、いろいろな人間関係の結び方を自分自身持っていますが、自分を不安に貶(おとし)める人間関係の結び方を意識化できていれば、意識し、思い出すだけでも、ずいぶん気持ちが楽になるようです。

幼少期の人間関係の体験が無意識の記憶の中に意識化されていると、それが具体的に意識化できない場合もあるようです。

さて、プロセススケールの7つのストランズを7日間かけて書いてみました。
読んでくださった皆様、ありがとうございました。
ひとつひとつのストランズを関係付けて自己分析、検証してみると自分の傾向、現在の心の状態が見えてきます。

しかも、一つ一つのストランズについて、「意識化されていない(低)~そうであるようなないような(中)~意識化され受容している(高)」というように分析していく必要があります。ブログでは少々難しく誤解を招くので、勉強会の場で自己事例とともに体得していくと身についていきます。
学習している方はは生き甲斐の心理学P136参照してください。

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問題を恐れず意識化する その6

2009年11月02日 | 第2章 五感と体感
プロセススケール その6

☆問題を恐れず意識化する

自分は今自分自身が抱えている問題を受け容れて意識化しているのだろうか?

それとも問題から逃げて言い訳ばかりしていたり、ゲームや酒やパチンコに逃避していたり、自分のするべきことを誰かに丸投げしていたり…

「自己肯定」しているのか「自己否定」しているのか?

セルフイメージは?

他人のことを分析するのは、余計なおせっかいです。いくら大切な我が子のことだといってもです。
まずは、自分のことを自己分析することが必要です。

たとえば、自分と子供の関係において生ずる問題について「自分が」(子供が、では無く)どのくらい意識化しているか?
子供可愛さのあまり、子供になり代わって心配が増長している場合があります。

自分の問題なのか、他者の問題なのか、判別できているのかを自問自答するだけでも精神衛生がずいぶん違ってくるようです。

今日は一日寒そうです。体調管理に気を付けて過ごしたいものです。
(これも問題の意識化に当てはまります。つまり、今日は昨日より寒いということを自分が意識化しているか否か。。。ということです。)

よき一日を♡

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体験の解釈 5

2009年11月01日 | 第2章 五感と体感
プロセススケール その5

☆体験の解釈

「同じ現象に遭遇しているのに、どうして私と違う解釈するんだろう?」
私は暗い解釈をするのに、さんは明るい解釈し、さんは気にも留めない、、、、なんでだろう?

そんなことに気付いていたとしたら「体験の解釈」の意味もきっと理解できると思います。

理想と現実のギャップがストレスを生んでいくわけですが、「私の理想」(たとえば、理想の夫婦とか…理想の家族像とか…理想の友達関係とか…)が、はたして、健全なのか病的なのか?はたまた、理想に固執しすぎているのか??

そのあたりを検証していくと、自分の体験の解釈のパターンが見えてくるかもしれません。

「愛の原型」という用語があります。
自分はどうやって愛されてきたか?育てられてきたか?
このことが体験の解釈の仕方に大きな影響を及ぼしているようです。

「体験の解釈」という自分の個性を否定も肯定もせず、静かに観察してみることからはじめてみることから始めてみてはいかがでしょうか?

落語界の大御所、円楽師匠が亡くなりました。落語家の方々の思い出話を聞いていると、おおげさでユーモアに富んだ体験の解釈で涙を流して笑っている自分がいます。体験の解釈、そんなところから観察してみるのもひとつの方法では?

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