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歩くことが唯一の趣味ですから。

香椎宮

2019-01-12 | Weblog
ここで不可解な死を遂げた仲哀天皇は諡号(おくり名)からして気の毒だ。妻の神功皇后とは対照的。
碑には「死んだ場所」という意味のことが刻まれているかと思ったら、「仲哀天皇大本営御旧跡」なんて
勇ましい文字が金色に飾られて、かえって哀れ。


神の怒りに触れて死んだことになっている

仲哀天皇は非業の死を遂げた英雄ヤマトタケルの子で、ヤマトタケルが征伐した九州のクマソがまた
反乱を起こしたので鎮圧するために筑紫に大本営を設けた。それがこの場所で、戦の前に神意を問う
べく妻を神がかりの状態にすると、その口からクマソではなく海の向こうの宝の国を攻めろというお告げ
が出た。仲哀天皇はお告げを信じず、クマソを攻めることに固執。



神託を受ける部屋は真っ暗で何も見えなかった

その場にいたのは仲哀天皇、神功皇后、第一の家臣である武内宿禰の3人だけ。真っ暗な部屋で
意見が分かれ、武内宿禰は仲哀天皇を諌めたが聞かなった。そのあと神の怒りに触れて死んだ。
普通に考えたら武内宿禰か、神功皇后が殺したことになる。


その場にいた妻と第一の家臣は

仲哀天皇の死後、神功皇后と武内宿禰は力を合せて海を渡り、朝鮮半島を攻めて大勝利した。
これが三韓征伐で、1年ぐらい経ってこの地に戻ってきた神功皇后が亡夫のために建てた祠が
香椎宮の由緒。はじめは神社ではなく、香椎厩だった。


香椎の木に亡夫の棺を立てかけた

日本書紀には、神功皇后の子が父の死後11か月で生まれたと記されている。その間、遠征だ。
普通に考えたら、神功皇后と武内宿禰の子ということになる。この子が応神天皇になる。つまり、
このときすでに万世一系ではないのでは。


ずいぶんたって平安時代にやっと神社になった

「いったい誰の子だ!」ということで、仲哀天皇と先妻との間に生まれた2人の皇子は神功たちが
ヤマトに戻るのを阻止しようとしたけれども、返り討ちにあってしまう。しかし神功たちはヤマトには
入らず、河内に王朝を築く。やっぱり後ろめたかったのだ。


武内宿禰は300年以上生きて5代の大王に仕えた

長寿の秘密といわれる不老水の井戸が、住宅地を抜けたところにある。武内宿禰も神功皇后も
戦前は大人気で、お札になったりしている。ヤマトから不倫の子だと疑われた応神天皇は、後に
八幡神となってUSA……宇佐神宮に祀られ、日本全国でいちばん多くの社に分祀されている。


プラスチックの柄杓が味わい深い

不老水は日本の名水百選に選ばれているそうだが、飲んでみたら特別おいしいというわけでも
なかった。念のため煮沸してくださいと書いてあったが、生水を飲んだ。300歳以上まで生きたら
どうしよう。
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