散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

石神井公園

2023-03-04 | Weblog

35年ぶりに、あの公園へ行ってみよう。あのころは自転車だったけど、いまは電車じゃないと行けない。西武池袋線の石神井公園駅まで乗り継いで出かける。私鉄沿線は駅前ばかり再開発されて住宅地へ続く商店街はむしろ痩せ細るのが平成の大店法で起こる一般の変化だった。石神井公園も、昭和末期のあのころに比べると特徴のない場所、日本中どんな駅前にもある巨大資本の出店が目立つ場所に変わった。

昭和のアニメ『ど根性ガエル』の舞台は石神井公園だったと駅前のパネルに誇示してある。しかし駅前の佇まいは一変しており、梅さんの寿司屋など探すよすがもない。ヒロシや五郎やゴリライモや京子ちゃんのような若者もいない。もはや歩いているのは高齢者がほとんど。ヒロシや五郎やゴリライモや京子ちゃんの現在の姿かもしれない。ピョン吉はすでに死んだのか。

公園にくれば何か思い出すかと思ったけど、思い出すことなど何もなかった。ボートが浮かぶ石神井池は人工池だそうだが、最近できたわけでもなく35年前もあったにもかかわらず見ても何の感慨もない。こういう光景がアニメ『ど根性ガエル』に登場したような気もしない。『ど根性ガエル』のアニメは平成の初期にリメイクされたと思うけど、そこにも石神井公園のこんな様子が出てきたような記憶がない。アニメはともかく、実際ここへ来たことあるか自信なくなってきた。

石神井池に沿って遊歩道を歩き、車道を渡ると三宝寺池に出た。こっちのほうが何となく見覚えあるような、ないような。三宝寺池はもともと天然の湧水で、氷河期から生息してきた湿性植物が昭和10年に「三宝寺池沼沢植物群落」として国の天然記念物になったそうだけど、戦後の都市化で湧水は涸れ『ど根性ガエル』の終了後だろうか地下水を汲み上げて池を維持するようになった。貴重な沼沢植物の多くは消滅したという話だけど、現在あらためて見ると昔からこうだったようにしか思えない。

そんな三宝寺池のほとりには遊具があり親子連れの歓声が聞こえた。賑やかなほうへ引き寄せられて行くと何やら売店のような食堂のような建屋がある。ブログのネタになるかもしれないので奥へ進み、750円のカレーライスを注文した。ラーメンやそばもあるのだが、こういうところではカレーがいちばん無難ではないだろうか。無難といって悪ければ、たぶんラーメンやそばよりカレーの品質のほうが安定しているのではなかろうか。そう思ったのだった。

まえ3番の席に座って待っていると想像した通りのカレーライスが運ばれてきた。期待しないで食べるカレーほどおいしいものはこの世にない。スプーンで口に入れると思った通りの味がした。昭和末期の味がするカレーを食べたら当時の石神井公園について何か思い出すかと思ったのに、記憶が呼び覚まされることはなかった。あのころは公園の小屋で銭を出してカレーを食べた経験がなかったのだから、考えてみれば当たり前のことだった。この小屋は35年前すでにあったんだろうけど覚えてない。

記憶喪失みたいで楽しくなってきた。豊島屋御休憩所というのか。席数が結構あるので、御近所だったら天気のいい日の午後など御休憩所に立ち寄り、おつまみを頼んでビールの2〜3杯も飲めばごきげんだろう。枝豆やモツ煮込み、ソーセージなどがあるのを視力2.0のデビルアイで確認した。確認しても石神井公園へ滅多に来る機会がなく、次はまた35年後かもしれないので小屋か自分がそれまで健在かどうか定かではない。きっと両方この世から消えている。

無常を感じつつ小屋を離れると石神井城址史跡碑があった。三宝寺池の向こう、石神井川との間に石神井城址があるらしい。35年前こんなものなかった。いや、あっても目に入らなかった。平安時代末期から室町時代中期まで、現在の台東区、文京区、豊島区、北区、荒川区、板橋区、足立区、練馬区などに勢力を持っていたSPECTERという暴走族……じゃなかった、豊島氏の居城の一つがこの石神井城址だった。築城は鎌倉時代後期と考えられ、文明九年(1477)太田道灌に攻められて落城し、廃城になったという。

緑の部分が石神井公園で、上部の出っ張りが石神井城の主郭跡らしい。三宝寺池から主郭跡のほうへ傾斜をいやいや登ったら、土塁と空堀のようなものがあった。それらはフェンスに囲まれているので土塁の内側がどうなっているか見ることはできない。しかし中は平坦になっていて屋敷があったんだろう。戦国時代の天守閣のような規模ではなく、小規模な掘建小屋が存在していたことを示す柱穴のことが立札に記されていた。

手前の低いところが空堀で、小高くなっているのが土塁。その向こうには土塁に囲まれた平坦な場所があり、少量の中国製陶磁器や常滑焼、渥美焼などが出土したので、SPECTERのアジト……じゃなかった、豊島氏がここに暮らした可能性があるとか。鉄製の小刀なども出土したというから、抗争の際に族がふりかざしたように豊島氏か太田氏が「チクショウ、やってやる」とひけらかし、その場に取り落として550年の歳月が過ぎたのかもしれない。

35年前は石神井か大泉の図書館で勉強するのに飽きてここまで攻めてきたので、図書館が公園に隣接してるのではと思ったけど、そういうわけじゃないようだったからチャリンコ転がして攻め入ったんだろう。図書館のレコードでレインボウのアルバムを聴いたことを今も覚えている。あのころはレコードをそうそう買えなかったので、貸しレコード店で借りてカセットにダビングしたり、図書館で針を落として聴いたりしたものだ。今はYouTubeもあるしサブスクもある。歴史的大変革である。

石神井公園駅まで歩いて戻るのが面倒くさいと思っていたら、ちょうどいいところへ西武バスが来たので飛び乗る。どこかの駅で降りて電車に乗り換えればいい。どうせ西武線沿線に運ばれるだろうと空いてる席に座って腕組みしていると大泉学園駅南口に着いた。先日85歳で亡くなった漫画家の松本零士さんがこのへんに住んでいたとかで、『銀河鉄道999』の車掌さんが駅の構内に立っていた。『ど根性ガエル』といい『銀河鉄道999』といい、昭和のアニメは練馬産ばかりだった。

関連記事:  都民農園セコニック

 

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする