散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

60分間都内一周

2023-02-04 | Weblog

冬は外を歩くと寒いので、東京駅の丸の内南口を出て都内をめぐる観光バス(下車なしで車窓から名所を眺める約1時間コース)に乗車してぬくぬくと散歩(1歩も歩かない)を楽しんだ。冬とはいえイチョウの葉がまだ黄色いまま枝にしがみついているのは地球温暖化のせいなのかどうか。実現が困難な目標ばかり掲げるSDGsなどもう無意味なのかどうか。

正面に見えますのが都バスの行列です。その向こうにそびえる東京国際フォーラムは船をイメージしたデザインの建物で、旧東京都庁の跡地に建てられ1997年にオープンいたしました。2021年に無観客で開催された2020東京オリンピックではウェイトリフティングの会場として、この東京国際フォーラムが使用されました。

バスが右に曲がりますと、正面に見えてきますのが皇居です。手前に石の橋、奥に鉄の橋が架けられ、奥の橋が以前は二重構造だったため通称「二重橋」と呼ばれておりますが現在は一重で正式名称を「正門鉄橋」と申します。手前の石橋が「正門石橋」です。お正月と天皇誕生日の「一般参賀」の折には橋を渡ったところの正門が開放されて中に入ることができます。1954年(昭和29年)1月2日の一般参賀では、二重橋の上で参賀者が将棋倒しになり16名死亡しました。

国会議事堂が見えてまいりました。17年の歳月をかけて1936年(昭和11年)11月に帝国議会の新議事堂として竣工された白亜の殿堂は当時、日本一の高さを誇る建物でした。左右対称で向かって左に衆議院、右に参議院が配置されています。ほぼ全体に国産の資材が用いられ、総工費およそ2600万円は現在の価格にすると690億円とも1,000億円を超えるとも言われております。ここで居眠りをしております国会議員の報酬は月額129万4000円、年額1552万8000円にのぼり、諸手当を含めますと年収2000万円を軽く超えます。先頃の国会でさらに増額が議決されたそうです。

赤坂見附の交差点にさしかかりました。見附といいますのは敵を見つける見張りつきの城門のことで、江戸城には赤坂見附のほか四谷見附、市谷見附など36の見附があったと言われておりますが実際はもっと少なかったという話もあります。赤坂見附やお台場にはFootersの店舗がありましたが撤退して今は銀座だけになったようです。

うとうとしてるあいだにギロッポンこと六本木にバスがさしかかりました。夜の街のイメージが強い六本木ですが近年は美術館の集まるエリアとして注目されているとも言われております。しかしながらオールナイトで遊びまくる若者や若くない飲んだくれが夜明けどころか昼近くまで酔っ払ったまま路上で奇声を挙げて徘徊する姿が存分に見られる観光名所はやはり六本木につきます。

東京タワーが見えてまいりました。テレビ、ラジオの総合電波塔として1958年(昭和33年)に1年半の工期で完成した高さ333mの鉄塔はパリのエッフェル塔を抜いて当時は高さ世界一でした。ちなみに先端の海抜高度は351mあります。手前の左手にガラス張りの高いビルが建設中ですが、これが完成しますと高さ330mの日本一高いビルになり、あべのハルカスを抜くそうですが東京タワーより低いです。上層階の住居の賃料は噂ですが月額280万円ほどで、その程度かという感じですね。

日比谷の交差点を過ぎると、全面降伏で敗戦したあと進駐軍(GHQ)の本部が置かれた第一生命ビルが右手にございます。社長室が大戦中に接収されて帝国陸軍の幹部らが使用し、敗戦後は総司令マッカーサーが使う部屋となりました。第一生命ビルは建て替えられましたがマッカーサーの部屋はそのまま残されているようです。その向こうが帝国劇場です。1月は何やらジャニーズの舞台が、2月は何やらキングダムの舞台が上演されるようです。

行幸通りを右に曲がると東京駅です。1914年(大正3年)の竣工まで東京の玄関口は新橋駅でした。ですから明治の人は東京駅を知りません。1921年(大正10年)の11月4日には丸の内南口で当時の首相だった原敬が刺殺されました。さらに1930年(昭和5年)の11月14日には丸の内中央口で当時の首相だった浜口雄幸が銃撃され、一命を取り留めた後に結局は死亡しました。これで都内一周は終わりです。

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