うちの小学生をつれてプールにいく途中、いつも見かける石碑。
第一京浜ぞい、芝五丁目の交差点にあり、JR田町駅にほど近く
都営地下鉄浅草線・三田線の三田駅のほぼ真上にあたる。
薩摩藩の屋敷を幕臣の勝海舟が訪ねて、江戸に攻めのぼってきた
軍を統率する西郷隆盛に会い、江戸が戦火に焼かれる事態だけは
とにかく食い止めたという。
軍は品川まで来ていたというから、一触即発の状態だったことは
よくわかる。田町の屋敷まで幕臣が交渉にくる緊張感も。
石碑に向かって左には皇居(江戸城)があり、右に歩いていくと
15分ぐらいで都営浅草線の高輪駅につく。そこにある石垣。
ちょうど田町と品川の中間地点で、江戸の内側と外側を仕切る
高輪大木戸門があったところ。夜間は門が閉じられた。
品川まで攻めのぼってきた軍は、いちおう門外にいたわけだ。
そして薩摩藩の屋敷は、江戸の中でも隅っこに追いやられていた
ことが、位置関係からよくわかる。
いまは第一京浜の下を都営浅草線が通っているけど、昔はだいたい
その線に沿って東海道があった。高輪大木戸門は、東海道をさえぎる
大きな木製の門で、両端の石垣のうち海側の部分が残っている。
都営浅草線、旧東海道のあたりが、ほぼ海岸線だったらしい。
第一京浜ぞい、芝五丁目の交差点にあり、JR田町駅にほど近く
都営地下鉄浅草線・三田線の三田駅のほぼ真上にあたる。
薩摩藩の屋敷を幕臣の勝海舟が訪ねて、江戸に攻めのぼってきた
軍を統率する西郷隆盛に会い、江戸が戦火に焼かれる事態だけは
とにかく食い止めたという。
軍は品川まで来ていたというから、一触即発の状態だったことは
よくわかる。田町の屋敷まで幕臣が交渉にくる緊張感も。
石碑に向かって左には皇居(江戸城)があり、右に歩いていくと
15分ぐらいで都営浅草線の高輪駅につく。そこにある石垣。
ちょうど田町と品川の中間地点で、江戸の内側と外側を仕切る
高輪大木戸門があったところ。夜間は門が閉じられた。
品川まで攻めのぼってきた軍は、いちおう門外にいたわけだ。
そして薩摩藩の屋敷は、江戸の中でも隅っこに追いやられていた
ことが、位置関係からよくわかる。
いまは第一京浜の下を都営浅草線が通っているけど、昔はだいたい
その線に沿って東海道があった。高輪大木戸門は、東海道をさえぎる
大きな木製の門で、両端の石垣のうち海側の部分が残っている。
都営浅草線、旧東海道のあたりが、ほぼ海岸線だったらしい。