京都国立博物館は、梅雨明けごろまで改装中だから気をつけたほうがいいよ。ある日、ぼくは閉館中と知らずに市バスの1日乗車券で訪ねてしまったのさ。
がっくりして、博物館の周囲を時計まわりに歩いていると、妙なものが左側にあることに気づいた。上の写真がそれ。
「耳塚」っていうんだって。国内を制覇した豊臣秀吉が、唐入り(中国制圧)のために朝鮮に出兵したとき、手柄を挙げた武将が首を持ち帰るのがたいへんだから代わりに塩漬の鼻を持ち帰ったとか。その供養のための「鼻塚」なんだけど、ネーミングが残酷だから「耳塚」になったと、立て札に書いてある。
耳も鼻も同じだよ! 「耳塚」のまわりは住宅地だった。
ふりかえると「豊国神社」の鳥居が見える。もちろん、豊臣秀吉を奉った神社だった。そうそう、お守りストラップ(500円)を分けてもらったんだ。その写真がこれ。
その社の延長線上に位置する東山のとある頂に、豊臣秀吉が眠る廟があるというから行ってみることにした。七条通りまで戻って、国立博物館と三十三間堂のあいだを東へ。
京都女子学院の敷地に向かう上り坂が、そのまま豊国廟への参道になっている。坂には女子大生、女子高生、女子中学生、女子小学生がところ狭しと歩いている。
「プリンセスライン」という赤い通学バスが、女の子ばかり乗せて車道を行き交う。・・・・・・違うからね、京女のぞきに行くんじゃなくて太閤の墓を拝みに行くだけだからね!
内心つぶやきながら坂を上ると、こんな立て札があった。「50円」というのが微妙な。拝観料、10倍とる寺社が京都にはザラだけど。
人がいないから筒に50円チャリッと入れて、さらに急な石の階段を上らないと、豊国廟は拝めない。しかたがないから休み休み上る。誰にも会わない。振り返って写真を撮ってみる。すでに汗だく。
頂に豊臣秀吉の眠る場所がある。
立派な石の塔は、どこか「耳塚」と似てるね。ここまでが参道なら、豊国神社と豊国廟をむすぶ直線上にある、京都国立博物館は参道の上に建てられたんじゃないか?
これしきの坂を上がっただけで、膝が笑うのを止められなくなり、いささか挙動不審な足どりで京女の坂を下りましたとさ。
頂で京女を守る豊国廟。
がっくりして、博物館の周囲を時計まわりに歩いていると、妙なものが左側にあることに気づいた。上の写真がそれ。
「耳塚」っていうんだって。国内を制覇した豊臣秀吉が、唐入り(中国制圧)のために朝鮮に出兵したとき、手柄を挙げた武将が首を持ち帰るのがたいへんだから代わりに塩漬の鼻を持ち帰ったとか。その供養のための「鼻塚」なんだけど、ネーミングが残酷だから「耳塚」になったと、立て札に書いてある。
耳も鼻も同じだよ! 「耳塚」のまわりは住宅地だった。
ふりかえると「豊国神社」の鳥居が見える。もちろん、豊臣秀吉を奉った神社だった。そうそう、お守りストラップ(500円)を分けてもらったんだ。その写真がこれ。
その社の延長線上に位置する東山のとある頂に、豊臣秀吉が眠る廟があるというから行ってみることにした。七条通りまで戻って、国立博物館と三十三間堂のあいだを東へ。
京都女子学院の敷地に向かう上り坂が、そのまま豊国廟への参道になっている。坂には女子大生、女子高生、女子中学生、女子小学生がところ狭しと歩いている。
「プリンセスライン」という赤い通学バスが、女の子ばかり乗せて車道を行き交う。・・・・・・違うからね、京女のぞきに行くんじゃなくて太閤の墓を拝みに行くだけだからね!
内心つぶやきながら坂を上ると、こんな立て札があった。「50円」というのが微妙な。拝観料、10倍とる寺社が京都にはザラだけど。
人がいないから筒に50円チャリッと入れて、さらに急な石の階段を上らないと、豊国廟は拝めない。しかたがないから休み休み上る。誰にも会わない。振り返って写真を撮ってみる。すでに汗だく。
頂に豊臣秀吉の眠る場所がある。
立派な石の塔は、どこか「耳塚」と似てるね。ここまでが参道なら、豊国神社と豊国廟をむすぶ直線上にある、京都国立博物館は参道の上に建てられたんじゃないか?
これしきの坂を上がっただけで、膝が笑うのを止められなくなり、いささか挙動不審な足どりで京女の坂を下りましたとさ。
頂で京女を守る豊国廟。