特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

○△×

2009-06-08 09:23:03 | Weblog
〝感情〟って、どうしてこうも波打つのだろう。
〝精神〟って、どうしてこうも不安定なのだろう。
堅く平穏に立っていたいのに、その時々の状況によって、上下左右・浮いては沈む。

体調も同様。
軽快なときもあれば、重鈍のときもある。
特に、何があった訳でも、何をした訳でもないのに、朝っぱらからやたらと身体が重怠いことがある。


「うちの管理物件で、人が亡くなってしまって・・・」
不動産会社から電話が入ったのは、そんな身体の重い日の午後・・・
すぐにでも横になりたいような体調で仕事をしていた時のことだった。

「できるだけ早くきてもらえませんか?」
担当者は、事を早く片付けてしまいたいよう。
別の現場で作業をしていた私は、それが終わり次第、その現場に向かうことになった。

「ここだな・・・」
到着した現場は、狭い路地奥にある小さなアパート。
その外観は見るからに古く、自分の不調も相まって、建物が醸し出す雰囲気は、ヒドく暗いものに感じられた。

「お忙しいところ、早速来ていただいて助かります」
汚れた作業服と脂ぎった顔に疲れが見えたのか、担当者の第一声は、労いの言葉だった。

「いえいえ・・・」
〝ホントは、クタクタなんだよなぁ・・・〟なんて、腹に溜まる本音を漏らすわけにはいかない。
私は、顔に力を入れて、元気であること匂わせた。

「首吊りの自殺でして・・・」
担当者は、部屋の方を指さして、言いにくそうにポツリ・・・
曇らせた表情に上乗せして、眉をひそめた。

「そうなんですか・・・」
驚いた方がいいのか、驚かない方がいいのか・・・
死因を知っていたわけではないけど、そういった類のことに慣れて(麻痺?)しまっていた私は、淡々と受け応えた。

「大丈夫ですか?」
担当者の顔には、自殺腐乱死体を嫌悪する気持ちがありあり。
本件を、相当に気味悪く思っているようだった。

「大丈夫ですよ」
そんなこといちいち気にしてたら、仕事(糧)にならない。
私は、無神経なくらいにサバサバと応えた。

「私は、いいですか?」
担当者は、明らかに同行したくなさそう。
その気味悪がり方は、気の毒に思えるくらいだった。

「二階ですよね?とりあえず、見てきますね」
私は、重い身体に、その日最後の力を充填。
自分に気合いをみせて、錆びた階段に向かって足を踏み出した。


亡くなったのは、初老の男性。
このアパートに越してきたのは三年前で、その時は既に無職。
その理由までは知る由もなかったけど、晩年は、生活保護を受給しての困窮生活だった。

確かに、質素な部屋の様子は、それを物語っていたけど・・・
ただ、部屋には車券・船券・馬券の束・・・
台所には、酒缶の山・・・
灰皿には、タバコの吸い殻が満開の花をつくり・・・
故人の困窮生活は、悠々自適生活と表裏一体のように思えてきて、何ともスッキリしない気分に苛まれた。

生活保護費って、原資は税金。
汗水流して働く人々が納めた税金が、遊んで暮らす人の生活費に遣われる・・・
〝遊興快楽も基本的人権に含まれる〟と言ってしまえばそれまでだが、人が働いた金で遊ぶことに矛盾はないのか・・・
確かに、社会的な弱者を社会全体で守る仕組みは必要だし、その考え方は大切なものだと思う。
そして、事情も知らないのに〝不正受給者〟呼ばわりされては、故人もたまらないだろうし、また、故人の経歴を知らずしての批評は、極めて浅はかで軽率なものかもしれない。
しかし、救済すべき弱者の定義と救済の仕方が、どこかズレているように思えて仕方がなかった。
(・・・こんな感覚を持った私は、やはり薄情者なのだろうか。)


「その挙げ句に、コレ(自殺)かよ・・・」
結果、私の中には、故人を非難する気持ちが沸々。
憤りに近い嫌悪感が沸き上がってきた。

「仕事!仕事!」
余計なことを考えると、ただでさえ不調な心身が更に具合を悪くするばかり。
私は、頭を仕事モードに切り替えて部屋の細部見分を開始した。

「例によって、汚いなぁ・・・」
〝男〟という生き物のDNAには、整理・整頓・清掃という概念がプログラムされていないのだろうか・・・
多くの男性独居現場と同様、ここもまたヒドい有様だった。

「ここか・・・」
台所と部屋の境の床に、茶色の体液汚れ。
その上が、故人が最期にいた場所であることは、言わずと知れたことだった。

「随分と、念入りにやってあるな・・・」
汚染痕の真上を見上げると、柱にはネジ釘。
それが、束をつくるように何本もネジ込んであった。

「カレンダー・・・?」
部屋の壁には、カレンダー。
普通は、一年分を一冊にして掲げるものだと思うけど、ここは違っており、1月から12月まで一枚一枚切りはずされ、壁に横一列に貼られていた。

「何の印?」
よく見ると、それぞれの日数字には〝○〟〝△〟〝×〟の印。
それが、規則性なく書き込まれていた。

「何のつもりだろう・・・」
故人は、その印を、一日ずつ毎日つけていた感じ・・・
ギャンブルの勝敗?
仕事の有無?
懐具合?
私は、色々考えてみたが、どの想像もピンとこなかった。

「多分、そうかな・・・」
私は、故人が自分の気分または自分との戦いを、日々、書き記していたこと想像・・・
気分は良好・目標とする自分でいられた日は〝○〟・・・
気分は並・自分の弱さと引き分けた日は〝△〟・・・
気分は陰鬱・不本意な自分だった日は〝×〟・・・
・・・そんな具合に。

「楽じゃなかったんだな・・・」
全体を見渡すと、圧倒的に多いのは〝×〟。
〝△〟は、そこそこ。
〝○〟に至っては、かなりまばら。
何日にも渡って〝×〟が続いているところもあって、故人は、キツい日々を過ごしていたことが伺えた。

「ん!?・・・」
しばらく眺めていると、〝○〟〝△〟〝×〟以外、〝×〟に見間違うような斜線を発見。
よく見ると、ある日を境に、以降、全て斜線が引かれていた。

「もしかして・・・」
その斜線が意味することは、想像に難くなく・・・
私は、ドッと吹き出した虚無感と疲労感を抱えきれず、息切れに似た溜息をもって吐き出した。

「・・・と言うことは・・・」
境となった〝某月某日〟は、警察の見立てた死亡推定日・・・故人の最期の日・・・
以前から、その日を最期の日にすることを決めていたのか、それとも、人生の節目にしてやり直すつもりでいたのか・・・
奇しくも、その日は、故人の誕生日だった。

「やれるだけやってみたのかもな・・・」
何枚も書かれた履歴書・・・
警備用の蛍光棒・・・
工事現場用のヘルメット・・・
汚れてクシャクシャになった作業着・・・
散乱するそれらに、故人の格闘が見えた。

「俺だったら、ここまで頑張れないかもな・・・」
私の頭には、自分が同じような境遇に置かれた場合のことが過ぎった。
そして、それまでの故人を非難・嫌悪する気持ちは薄らいでいき、反対に、同士的な感情が湧いてきた。


最期の日、故人は印を入れないまま逝った。
そんなこと眼中になかったのだろうか・・・それとも、どの印を書けばいいのか、わからなかったのだろうか・・・
〝○〟が書きたくても〝○〟じゃない・・・
平穏に〝△〟といきたいところだったが、その日の自分には、どう考えても〝△〟はつけられない・・・
〝×〟なのかもしれないけど、自ら〝×〟はつけたくない・・・
そんな葛藤に、私は、人生の切なさと命の悲しさを再認識させられたのだった。


○ばかりの毎日が理想ではあるけど、×もあるのが現実。
力いっぱい奮闘しても、自分には△が限界。
○なんて、遠くにさえ見えてこない。
ちょっと休むと、すぐさま×に転落する・・・
しかし、人生は、最終的な合計点を人と争うものではない。
一日一日・一瞬一瞬の生き方を自分と競うもの。
そして、その瞬間・瞬間に、さっきまでの×をリセットできる特典が与えられているもの。

「先に死んだ人の分まで、頑張って生きよう」
なんて、故人を喰うような思いは持ちたくないけど、
「先に死んだ人が教えてくれたことを糧にして、直向きに生きていこう」
と、私は思っているのである。






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