フェイスブックに入ってから、きれいなものをたくさん見られるようになったし、その逆に胸痛む記事も多々。
ことに原発問題は、直視すると世の中の裏表のおそろしさがひしひしと伝わる。
経済問題、国際関係の複雑な凌ぎあいの中で、明言はばかられる真実が重い。
現代は、ことに、なぜか、「重さ」に対して多くの人が耐性不全になっているのではあるまいか。
軽いことはいいことだろうか?
もちろん「快楽」は人生を豊かにしてくれる大事な要素。
重い事実と危うい未来予測に覆いをかぶせて、そのしりぬぐいを子供たち孫たちに、負わせる。
子供たちが大事なのなら、多少の困難は克服し、安全な将来を選ぶべきだ。
神はそのひとに担いきれない重荷は負わせない、という御言葉もありがたく感じられる。
ともに「人生」の荷物をかついでくださるキリスト。
さまざまな「原発記事」を読むたび、そんな考えが心をよぎる。
たとえば夕ご飯のしたくをしながらも。
明日もおいしいごはんを作り、家族に食べさせてあげる。
それだって、安心で、健康な食材あればこそ。