木下さんを最初に意識したのはこの歌だった。
けふもまた冷たいドアを鎖(とざ)すとき鉄より鉄をぬきさりし音
『未来』の何号だったかに掲載されていた。
こわいような迫力のある歌と思った。
鉄と鉄が響きあう「凄い」音が、このときわたしの鼓膜に聞こえたのだった。
この方は男性? いいえ、きっと女性だろうと。
去年の冬初めてお目にかかった木下さんは、丁寧な物腰の、関西弁やわらかな、やはり魅力的な女性だった。お化粧していらしたのだろうか? 素顔に近いようなお顔の中で、切れ長のまなざしが記憶に残っている。
今年五月、彼女は第一歌集を上梓された。お送りいただき、それを手にしたとき、装丁の美しさに目をみはった。表紙を厚紙と薄様の二重にあつらえ、タイトルの「体温と雨」だけが、金文字で表の薄様に印刷され、歌人名と、雫の絵は薄様の下の厚紙に印刷されている。だから薄様(霧か靄か? いずれにしても被膜)を隔てた雨とともにある歌人のおぼろと、そのひややかさの中で際立つ体温のあたたかさとが、見事な本の装いによって、まずこちらに訴えかけてきた。
表紙の折り返しも封筒のようなデザインで、手触りのよいこの歌集のあちこちにあるゆったりした隙間とあいまって、一冊が丁寧に折りたたまれた手紙の束のような印象を、わたしはいただいた。
中に挿入されていた焦げ茶の地に三滴の雫が印刷された栞も気持ちがよい。
木下さんの世界が、本の外側からひたひたと立ち上がってくる。
草木を食むいきものの歯のやうなさみしさ 足に爪がならぶよ
蝋燭に火を灯しゆく人の目の中をとほのくつめたいきつね
砂を吐くためのしづけさ貝に与へむと北の戸口に春の貝おく
ゆふかげも時計の音もはなびらもわたしの椅子の背凭れに降る
パスしあふ少年ふたりの影は濃しときどき低い木のやうに立ち
わたくしの指は水辺の闇にあり果物籠を洗ひてもどる
過ぎてゆく時間をじっと見つめているまなざしの濃さを感じた。
しばしば「さみしさ」を歌うが、ちっとも依存的でない。
あとがきの中で木下さんは「記憶の中に色彩が覚束無くて心もとなくなります」とお書きになっている。
色彩を持たない世界は、美しく、そして厳しい、と言ってしまおう。宋元水墨画の世界に通じる。このような怜悧な心象を紡げる女性は、もしかしたら稀なのではないか、と読みながらわたしは「感じ」続けた。
色彩のつくろいから離れたこの方の世界は、女性らしい柔らかさをたたえながら、ときおりキリコの絵を見るような驚きをくれる。
異性にも、読者にも媚びることのない彼女の独得の静謐な視線は、闘病生活によってさらに深められたのだろうか。わたしがお目にかかったとき、病の気配は感じられなかった。柔和な笑顔が心に残っている。
歌集をひもとくとき、それぞれの個性があざやかにたちのぼる。
初夏にいただいてから、木下さんの世界へのアプローチを心の中で揺り返しながら秋になった。
梅雨の雨もよいが、秋の雨音も、ひんやりとあたたかい彼女の歌には似合いそうだ。