プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

●新年のご挨拶

2005-01-06 10:23:03 | 日記・エッセイ・コラム
 shosanコーナーをお読み下さっている皆さまに新年のご挨拶を申し上げます。本来、こういった形で私的情報発信をするのは如何なものかとのご指摘は覚悟のうえ。
本コーナーの位置付けは、「公開日記」の性格を持っておりますので、ご容赦を。

 2002年4月に36年間のサラリーマン生活を卒業し、「時悠人」としての生活を送り始めた時、決心した一つに「年賀状は一切出さない」ということがありました。分相応といいますが、先輩・同僚・後輩に恵まれ、或いは、時の運にも助けられ、キャリアを重ねるうちに、己の器量以上にバブリーに膨れ上がった自分に気付きました。それを身の丈相応に戻そうと、普通の一個の人間に戻りたいの一心で、「時悠人」と称し己の原点を見つめなおすことにしたのです。

 以来、3年間。毎年届く年賀状を前に、感謝しつつも無礼を承知で返事を出さないでいました。その甲斐あって(?)、今年ようやく31枚まで減りました。一時期の20分の1の量です。chosanの馬鹿さ加減にあきれながらも、送り続けてくださる方々のご厚誼に深謝し、これからのコミニュケーションのあり方を自問したいと考えております。


●2005年の幕開け

2005-01-06 09:50:28 | 日記・エッセイ・コラム
 2005年があけた。「門松や冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」と、詠んだ先人の心境が理解できる齢になってきた。大晦日と元旦は、止むことのない時の流れのなかでの世の慣わしだ。正確な定義は知らないが、ともすると怠惰に陥り安易に流れやすい人間の性を反省する区切りとしてとらえたい。

 今日一日、無事で過ごせたことに感謝し、明日また新たな活力をみなぎらせて元気に活動できるよう祈りたい。日々、心を新たに生きるように心掛けていくことで幸福な生活が送れるに違いない。「一日一生」「一日一善」の言葉が己の生活に重みを増してきたことを実感し、体現していくことが今年の心構えだ。