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時悠人chosan流処世術

★「SENGOKU38」流出に思う

2010-11-11 09:31:13 | 日記・エッセイ・コラム

 国会は、補正予算案の審議そっちのけで、尖閣諸島における衝突事故ビデオ流出問題を巡り紛糾している。

 ビデオの公開・非公開や機密情報の管理責任問題は確かに重要だ。また、該ビデオが機密情報に値するか否かの解釈問題もある。情報を漏洩した保安官の動機に対する世論の反応もさまざまだ。だが、ことの発端は、理由を曖昧にしたまま、逮捕した船長を釈放したことだ。

 さて、小ブログでは、ことの本質は別の次元で捉えたい。それは、IT時代における情報発信とその影響を現代社会の中でどう位置付けるかを整理する必要性だ。

 マスメディアが報道の自由を主張して来たのは、国民の知る権利に正しい情報を提供し、以て、民主主義を支えるとの理念に基づくはず。ところが、インターネットの発展は、情報が持つ価値を根底から変質させた。ブログやツイッターの普及により、個人が発信する情報が社会に測り知れない影響を与え、民意をあらぬ方向に誘導しかねない危険性をはらんでいる。

 情報自体の価値とその影響力をどう判断するかは、極めて難しい。国民自身が自己中心的な考え方を捨て、社会秩序の中で、情報を扱う能力を身につけることが肝要だ。今日の一句、「あほやなあ ネットに載せれば ばれるのに」。


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