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時悠人chosan流処世術

★気概とひきぎわ

2017-01-28 09:40:51 | 日記・エッセイ・コラム
 肺炎で入院していた落語家の桂歌丸さんが、高座に復帰した舞台裏を紹介する番組を観て、「気概」と「ひきぎわ」の意味を噛みしめた。

 古典落語の数は3,000以上あり、これを受け継ぎ、語り継ぐために「死ぬまで落語家」でいたいと語った。師匠の落語人生に対する気概と覚悟の強さがにじむ。

 一方、先代の円楽さんは、お客様に対して納得のいかない芸をやるようになったら、もうおしまいだ」と語り、国立演芸場の「芝浜」を最後の高座にした。「お足をいただいて見せる芸じゃない」として、周囲の止める声を押し切り、引退したのは、”星の王子様”の美学だった。

 遡って、人間国宝にまで上り詰めた、今は亡き柳家小さん&桂米朝のお二人。私は、全盛期と亡くなる直前の高座の両方を見聞きしているので、その落差に失望した覚えがある。とりわけ、米朝師匠の場合、舌のろれつが回らず、「そこまでしなくても」と、同情が先だった。

 落語家は、定年がない職業の一つだが、お客は、最高の芸を期待するから、体力と気力は必須条件になる。とりわけ、体力がないと高座に上がるのは難しい。

 みずから定めた目標や使命を達成した時点で、余力を残して、噺家らしくご隠居さんになる方が楽しいと思うのは、凡人の浅知恵か。