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時悠人chosan流処世術

●郵政解散・消えない疑問

2005-08-24 10:18:22 | 日記・エッセイ・コラム
 公示日が近づき、各政党の候補者もほぼ出揃った。小泉劇場は、第一フェイズの日替わり茶番劇から政策中心の二幕へと移る。730億円超もの血税を注ぎこむ以上、幕間に、私の頭からどうしても消えない疑問を述べたい。

 「改革無くして成長なし」と宣言し、改革のためには「国民にも応分の痛み」を強いた小泉総理の4年間の成果は? 国債発行額を30兆円以下に抑えるとの公約を反故にし、国の借金が年々増加している理由は? 構造改革の成果が数字で示して欲しい。経済の回復基調や株価の上昇は、構造改革の成果ではない。日本経済の牽引力を有する一部大手企業のリストラを始めとした企業努力による業績回復が反映したものであって、自営業や中小企業の業績向上に裏付けられたものではないのだ。日本経済に与える企業規模の差によるインパクトを考えれば当然のことで、大企業優遇策を採る小泉内閣の単なる数字のマジックでありトリックである。

 それはさておき、私が一番疑問に思うのは、「340兆円にものぼる国民的資産を官から民に移すことが大切」と力説する点だ。これは、大変な思い上がりで、340兆円規模の資金は、国民一人ひとりの財産であって、国のものではない。我々が自由に消費出来る財産を国の指図で勝手にされては堪らない。郵便貯金にしようが、銀行や株に金を回そうが、或いは、不動産を購入しようが自由だ。郵便貯金が信頼出来るから預けている人の財産合計が莫大なだけのことで、国が所有する資産を民に移すのではない。人のふところをあてにした政策を大改革などと言わないで貰いたい。

 官が民業を圧迫しているとか、利権に絡む族議員や官僚の排除等が目的なのであれば、事業から『撤退』すべきではないのだろうか?民営化するのは経営形態を変更するだけのことで、メガバンクが一つ誕生するだけのこと。事業そのものから撤退すれば、現存する金融機関を利用せざるを得ないことになるから、効果は絶大だ。

 「死んでも良い」と、命がけで民営化を推進する覚悟であるなら、郵政事業の撤廃を真剣に考えて欲しいものだと思う。或いは、国民誰もがいずれお世話になる「年金制度」を至上課題に掲げないのだろう。国民全てに共通の社会保障制度を中核に構成すれば、必ず、日本という国の求心力は、復活すると思うのだが。乱暴な意見であることは百も承知だが、連日、繰り広げられる下手な芝居を見せられると、いい加減、「くさい匂いは元から絶って」、幕引きにしたほうが余程すっきりする気がしてならない。

 民主党の規模縮小案は、その点で現実的な知恵だと評価するが、いずれにせよ、難解なマニフェストを読んでみて思った。こういった時こそ、マスメディアは各政党の公約を対比し、分り易く解説して欲しい。そして、我々、有権者一人ひとりが自らの意思で投票することが、自分達の将来を決定付けるとの認識を持ち合うことが必要だと思わずにいられない。