>1995年、シングルマザーだった母・加納穂子(当時23歳)が、加納土監督が1歳のときに、共同で子育てをしてくれる「保育人」を募集するためにビラをまき始めた。
へー。加納実紀代さんの娘さんのことは、もれ聞いてたけど。こんな積極的なことやってたんだ。
>「いろいろな人と子どもを育てられたら、子どもも大人も楽しいんじゃないか」という加納穂子の考えのもと集まったのは独身男性や幼い子をかかえた母親など10人ほど。
サバイブもあるけど「楽しいんじゃないか」という発想は、映画のなかの穂子さんの明るさから感じられる。
子どもと付き合いたいという参加者の希望と、「自分のやりたいことをやれる時間がないと、子どもとも向き合えない」穂子さん。
>毎月の会議で担当日を決めて、東京・東中野のアパートでの共同保育が始まった。母・穂子が専門学校やその後の仕事で土の面倒をみる時間が取れないときに、当番制で土の面倒をみていた。「沈没家族」という名称は、当時の政治家が「男女共同参画が進むと日本が沈没する」と発言したのを聞いて腹を立てた穂子が命名。
わはは。積極的「沈没」!
>約1年半後、アパートが手狭になったこともあり、他の数組の母子や保育人とともに5LDKの一戸建てアパートに引っ越した。「沈没ハウス」と呼ばれたそのアパートには3組の母子と数人の若者が各部屋に居住し、生活を共にしながら育児も分担し、居住者だけでなく多くの人が出入りする場所だった。
「沈没ハウス」!! なんだか知り合いが何人もでてくるぞ。革命的シェアハウス!
>「沈没家族」は、家族の新しいかたちとして、またストリート・カルチャーのオルタナティブな生活実践として当時注目を浴び、メディアでもたびたび取り上げられた。
NHKやフジテレビでも放映してたんだ。テレビ無い歴40年なので知らなんだ。
以上が、公式サイト説明への一口コメント。
積極的、独特実践を子ども加納土監督が映画にした。その後の穂子さんは八丈島でも、いろんな「交流」をしているもよう。父へのインタビューは、家族について考えさせられる。監督は、すくすく大きくなって84kg(微笑)。