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チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

ようこそ! チエちゃんの昭和めもりーずへ

はじめての方は「チエちゃん」のカテゴリからお読みいただくことを推奨しています。 もちろん、どこからお読みいただいてもかまいません。

雪つり

2009年02月19日 | 昭和なもの
皆さんは「雪つり」という遊びをご存知でしょうか?

2本のマッチ棒を縫い糸などで、十字に縛り、糸は適当な長さにします。
糸の先を持ち手となる棒に結び、ちょうど釣り竿の先に十字の釣り針が付いたような物を作ります。
これを積もった新雪の中に投げ入れるのです。
すると、十字になったマッチ棒の上に雪の塊が乗って、雪が釣れるというわけです。

他愛も無い子供だましの遊びなのですが、あの頃は、本当に楽しかった。
祖父がその仕掛けを作ってくれる様子をじっと見ていることも好きだったし、出来上がった道具を雪の中に投げ入れ、よりたくさんの雪を釣上げようと何度も何度も挑戦したことも楽しかった。

今夜から明日の朝にかけて、90%の雪の予報が出ています。
明日、雪が積もったら、雪つりをやってみようかな・・・
はて? 我が家にマッチ棒などあったかしら?

干し柿

2009年02月15日 | 昭和なもの
これですよ、これ。

実家から干し柿が届きました。
売り物のあんぽ柿は、きれいなオレンジ色をしていますが、これは自家用の干し柿です。
白い粉を吹いたこの状態がおいしいんです。
甘い物が無かった時代には、貴重な甘味だったに違いありません。

にしゃばあちゃんは、この干し柿の種を取り、四つ割にして、焼酎漬けにしていたっけ・・・

そういえば、「豆柿」というのもあったな。
直径2~3㎝ほどの可愛い柿で、きっと渋柿なんだと思います。
黄色の瑞々しいうちは食べたことがないからです。
冬の早い頃、霜が幾度か降りた後、黒茶色に変色したその豆柿を枝付きのまま食べるのです。
変色した豆柿は、干し柿と同じ原理で、ねっとりとして独特の甘みがあったように覚えています。

それから、「茹で柿」というもの食べたことがあります。
あれは、熊ん様の近くのとし江ちゃん家で、ご馳走になったもので、小ぶりの柿ですがなんという種類なのかは分かりません。
とにかく、茹でてあるのです。微妙な味だったような気がしますが、とし江ちゃんの家だけの食べ方で、他所の家では決してお目にかかれないものでした。

干し柿を食べていたら、いろんなことを思い出しました。

マーブルチョコレート

2009年01月11日 | 昭和なもの
これ、なつかしいでしょう? 
明治製菓のマーブルチョコレート。
昔、よく買ってたなあ。今でもあるとは、オドロキです。

同僚のKさんからのいただき物です。
彼女は、昔なつかしいお菓子を見つける名人です。
いつも何か持っています。
サクマのドロップとか、さくらせんべい、アルファベットビスケット、黒パン、ハッカ飴・・・
「ねえ、ねえ、これ知ってる? 昔、食べたでしょ」
そう言って、カロリーが気になる私に、いつもどっさりとそのお菓子をくれるのです。
せっかくなので、有難くいただいていますけど・・・

それに、私なんかより、はるかにいろんなことをはっきりと記憶しています。
なつかしいアニメの主題歌も歌えるし、あや取りや、折り紙も披露してくれます。

いつも元気で、明るくて・・・私は彼女に元気をもらっています。

そういえば、マーブルチョコレートのCMの上原ゆかりちゃんも元気で、可愛らしい女の子でしたね。
「あの人は今・・・」で、会ってみたいなあ。

明治 マーブルチョコレート

くじら缶

2008年09月03日 | 昭和なもの
最近では、滅多に見かけないものになってしまった缶詰がある。

鯨の大和煮”だ。

鯨の保護のために、捕鯨禁止になってから、超高級品になってしまった。
あの頃、”さばの水煮缶”より、お値段が高かったものの、”鮭缶”よりはずっと安かったのだ。
そういえば、今では、年中売っている鮭も、冬の食べ物だった。
そして、おばあちゃんは、新巻きサケが食卓に上るたび、必ずこう言っていた。
「昔は、お正月にしか食べられなかった。有難い時代になったもんだ。」

 それに、牛肉なんて見たこともなかったし、豚肉だって野菜炒めに入っている脂身だらけの小間切れ肉ぐらいだった。だから、時折、おじいちゃんが飼っていたニワトリやうさぎを潰して作ってくれるカレーはご馳走だったのだ。

 話が逸れてしまったけれど、あの頃の日本人にとって鯨肉は、牛肉や豚肉の代用となるタンパク源だったわけだ。

 チエちゃんは”鯨の大和煮”缶が好物だった。
給食に出てくるバカ固い竜田揚げなんかより、ずっとずっと、好きだった。
やわらかくて、甘辛い煮汁もおいしかった。寒いときは、煮凝りになってたりして。

え~と、たったこれだけの話なんですけど・・・・

いつも食べ物の話は、チエの想像の中で、完璧においしいものになってしまっていますね。
(ネットで検索すると、結構ネットショッピングで売ってるんですね。偽装じゃないだろうなあ・・・)

ウルトラQ

2008年05月05日 | 昭和なもの
ウルトラQ 第29話「盗まれた時間」短縮版


昭和41年、チエちゃんの大好きなテレビ番組がありました。
前回のウルトラマンに続き、なつかしのテレビネタです。
カー助さんからもコメントをいただきましたが、ウルトラマンの前番組「ウルトラQ」です。
実は、私もウルトラマンよりもこちらが好きでした。
特に、オープニングでマーブル風画像が動き、次第に「ウルトラQ」の文字が現れるところがお気に入りでした。(初代ウルトラマンでも続いていた)

「カネゴン」や「マンモスフラワー」「ペギラ」、浦島太郎に似たカメのお話を覚えています。
しかし、人間だけで、どのように怪獣を倒して解決していたのかは忘れてしまっています。
この番組が終わってしまったのも、怪獣をやっつけるためには、自衛隊や警察だけでは限界があると製作側も考えたからではないかと想像しています。

今回、You tubeでなつかしい映像を見つけましたので、貼り付けてみました。


ウルトラマン

2008年05月01日 | 昭和なもの
 ウルトラマンは、チエちゃんたちの年代にとって永遠のヒーローではないでしょうか?
男の子たちは強いウルトラマンに憧れ、女の子たちはハヤタ隊員やモロボシ・ダン隊員に淡い恋心を抱いたのじゃないかなあ。
 白黒テレビで、初代ウルトラマンをリアルタイムで見ることができたチエちゃんたちは、幸せだったのかもしれません。
日曜日の午後7時から放映される「ウルトラマン」をご飯を食べながら、家族そろって楽しみに観たものでした。
 空想特撮シリーズと銘打ちながらも、ウルトラマンの顔はデコボコだったし、ウルトラマンが巨大化した時のビルや街はいかにも作り物に見えたし、科学特捜隊の飛行艇もチャチな物でしかなかったけど、それでも、それでも、目を瞠って見ていたものです。
 2008年秋、「大決戦!超ウルトラ8兄弟」が公開されるとのこと。
初代ウルトラマン ハヤタ役の黒部進さん、ウルトラセブン モロボシ・ダン役の森次晃嗣さん、帰ってきたウルトラマン 郷 秀樹役の団 時朗さん、皆さんいい感じに年齢を重ねていらっしゃるのが、ファンとしてはうれしい。
 画像は、ウチの子ども達が、ガチャポンで買い集めたウルトラマンの指人形。
もっとたくさんあるんですけど、今回はウルトラ5兄弟にしてみました。

↓は、ウルトラ怪獣  左から、ゴモラ、ジェロニモン、お馴染みバルタン星人、ザラブ星人が化けたニセウルトラマン、ベムラー



なめんなよ

2008年03月20日 | 昭和なもの
う~ん、また、しょうもないものを見つけてしまいました。

昨日、身分証明のために運転免許証を出すことになったのです。
あれっ、これなに?

そうだ! おまわりさんに止められた時、シャレで使おうと思って入れてたんだっけ・・・  
幸い、まだ一度も使ったことはないのだけれど。

昭和56年かあ・・・
あの頃、なめ猫が流行ったのかあ・・・

そういえば、チエちゃんもこの年に運転免許を取ったんだ。
それまでは、「あなた運転する人、わたし横に乗る人」と決めてたんだけど、
突然、自分で運転して何処にでも行けたらステキかも!と思い立ち、ヒロシに相談したら、「うん、免許取れよ」ということになったのでした。

なんだか、ブログを始めた時と似ている・・・

早速、自動車学校の入学の手続きをして、仕事が終わってからの夜間と日曜日に通い、3~4ヶ月くらいで、免許を手に入れたのだったかな?
途中、坂道発進と縦列駐車ができなくて、投げ出したくなった時があったっけ。
初めて路上に出たとき、いきなり道路脇の雪の山に突っ込んで、先生に出してもらったこともあったなあ。

ちょうど免許取立ての頃に、あのウェーバーキャブの車に乗ってたので、チエちゃんも運転したんですよ。
でも、うまくクラッチを繋ぐことができたのかは、疑問ですけどね。

今なら、たいていの車は運転できる(と思うけどね?)

それから、しばらくしてヒロシは営業の仕事に転職して、チエちゃんとはお休みが全然合わなくなっちゃった。
あの時、運転免許取っておいて、つくづくよかったと思ったのでした。





仮面ライダー

2008年03月16日 | 昭和なもの
 世の中、昭和ブームらしい。
現に、こうして私も昭和のメモリーをブログにしているくらいですから。
テレビのパチンコCMを見ていても、そう思います。
必殺仕置人、ルパン三世、北斗の拳・・・ なつかしのキャラがたくさん登場しています。
これって、40代・50代をねらっていますよね。

 ところで、最近、気になるCMがあります。
週刊でシリーズ物を次々と発行しているあの出版社の「仮面ライダー オフィシャル データ ファイル」です。
秘かに、買おうか買うまいか、迷っています。
実はチエちゃん、かなりのオタク(?)だったりして・・・
この出版社、大人買いできる世代の心をくすぐる企画を考えているなと感心しております。

 チエちゃんは、どちらかといえば、ウルトラマン世代ですが、仮面ライダーは弟が見ていましたので、一緒に見ていたのです。
何といっても、1号ライダー 本郷 猛、藤岡 弘さんがいいですね。
次に好きなのが、アマゾンライダーです。他のライダー達とちょっと違ったマスクがたまりません。
それから、シリーズを通して大好きだったキャラが、立花藤兵衛さん。
俳優は故小林昭二さんで、名脇役でした。


画像は、チエ家の冷蔵庫に貼り付いているXライダーとショッカーの怪人、戦闘員



ノストラダムスの大予言

2008年02月29日 | 昭和なもの
 昭和49年('74年)頃、五島勉著「ノストラダムスの大予言」がベストセラーになったことがありました。

 何でも、450年前のフランスの予言者ノストラダムスが現代を予言していたというのです。
ジェット機や車社会、大気汚染等の公害、原子爆弾の発明や、ヒットラーの出現、ケネディ大統領の暗殺までも予言していたというのです。
なかでも極めつけは、1999年7月に空から恐怖の大王が降ってきて、人類は滅亡するというものでした。

 当時、高校2年だった私も、学校の図書館から借りて読んだように記憶しています。
その頃の私にとって、「死」は考えるだけで底知れぬ恐怖が湧いてきたものでした。
1999年、私は41歳。
遥か未来のその時、私は一体何をしているのだろうか?

まさか、そんなことあるはずがない。
ノストラダムスの大予言なんてデタラメだと思いつつも、なぜか私は41歳で死ぬと頭の片隅にインプットしたようです。


 さて、1999年、私はノストラダムスの大予言を覚えていました。
今年7月に何が起きるのだろう?

何処かの国の大統領がとんでもない決断を下し、核ミサイルの発射ボタンを押してしまうのかもしれない。

月ぐらいの巨大隕石が地球に向かっていることをNASAは隠しているのかもしれない。

笑えるけど、密かに真剣に考えていたのでした。
まあ、死ぬ時はみんな いっしょだから、怖くないさ・・・
けれども、皆さんもご存知のとおり、1999年は平穏に過ぎて行きました。

もしかしたら、予言の解釈が間違っていたのかもしれません。
だとしたら、その時はいつ?

 

インベーダーゲーム

2008年02月09日 | 昭和なもの
 今や、ゲーム機は子どもだけではなく、大人もターゲットにしているようです。
ゴルフゲーム(ちょっと古いのかな?)や脳トレーニングゲームにはまっている人もいるのではありませんか?

 なつかしのファミコンも、最新のテレビゲーム機も、全ての始まりは「スペースインベーダー」ゲームだったと、私は思うのです。
 昭和50年代の前半、インベーダーゲームが流行しました。
どこのゲームセンターにも、大概の喫茶店にも、インベーダーゲーム機が置いてありました。
1回100円。3回敵のミサイル(?)に当ると、ゲームオーバー。
もう1回やるためには、また100円を投入しなければなりません。だから、上手くなるためには、1日何千円、何万円と使ってしまった人も、もしかしたら、いたんじゃないのかな?
 私は、見てることが多かったけど、ヒロシやナオちゃん、タロサたちは、喫茶店にはいると必ずインベーダーゲームをしてたっけ。名古屋打ちとか、攻略方法があったりして、随分とはまっていました。
 きっとね、ファミコンを考えた人は、あのゲームをお家で、思いっきりやってみたいと考えたに違いないと思うんです。
 前回の記事を書いていて、チラッとこんなことを考えました。