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チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

ようこそ! チエちゃんの昭和めもりーずへ

はじめての方は「チエちゃん」のカテゴリからお読みいただくことを推奨しています。 もちろん、どこからお読みいただいてもかまいません。

ようかいけむり

2012年08月22日 | 昭和なもの
職場に私と同年代の変なおじさんがいる。
ドーナッツショップで棚一列全部のドーナッツを買占めたり、ハンバーガショップに行けば30個も注文したりと、私には無駄遣いとしか思えない大人買いを楽しむ御仁である。
デスクの引き出しには、箱買いしたチロルチョコ、うまい棒の大袋などがいつも入っていて、自分が食べるというのでもなく、女子社員に配っている。
今日も今日とて、若い子をつかまえ、
「これ、なんだかわかる?」とポリ袋に入ったカードを見せる。
「えっ? なんですか?」
彼は、ニヤニヤしている。
「チエさんなら、知ってるでしょ?」
そう言うと、何十枚か束ねられたカード中から、1枚を取りだして寄こした。

ようかいけむり

ふ~む、見覚えはないものの、昭和の匂いがプンプンする。



「裏側の薄い紙をはがすと、ベタベタするものが付いているから、それを指先に取って、つけたり離したりすると、煙がでてくるんだよ。」
それなら、知っている。
セメダインでそんなことをやった覚えがある。

なつかしくなってやってみると、確かに煙のようなものが出る。
しかし、似て非なるものだ。
子どもだましだ。

けれども、未来を夢見る子どもたちにはきっと必要なものなんだろうと思う。

「俺、退職したら駄菓子屋やるんだ。」
彼の言葉は、冗談半分、本気半分に聞こえた。


マルシンハンバーグ

2012年07月19日 | 昭和なもの
マルシンハンバーグは、発売50周年らしい。

昭和40年代のあの頃、チエちゃんのお弁当のスペシャルメニューはマルシンハンバーグとたまご焼きだった。

マルシンハンバーグの袋を開けると、ラードのような白い油が周りに付いた調理済みのハンバーグが出てくる。
これをフライパンで焼き、食べやすいように4等分に切り分け、弁当箱に詰める。
これさえ入っていれば、最高に豪華なお弁当だったのだ。
あの頃の私にとって、ハンバーグといえば、このマルシンハンバーグのことだった。

ずっとスーパーの店頭に並んでいるのは知っていたけれど、自分で作るハンバーグを知ってからというもの、あれは別物だったんだと思い、それから敬遠していた。
でも、50年もの長い間愛され続けているとうのは、やっぱりおいしいのだろう。
ちょっと懐かしくなって、買ってみた。
明日、お弁当に入れてみようと思う。


マルシンハンバーグは、マルシンフーズの商品です



エレベーターガール

2010年03月28日 | 昭和なもの
 本日、珍しく駅前のデパート中合に行ってみました。
7階の催事場に行こうと、エレベーターボタンを押して待つこと1分。
開いたドアからドヤドヤと人が出てきた後、乗り込もうとして驚きました。
なんと、エレベーターガールがいたのです。
確か、人件費削減とかで、ここのデパートは、エレベーターガールを廃止したんじゃなかったっけ?
デパートに滅多に行かない私は、うろ覚えです。
いや、確かにそうだ。いつから、また採用したんだろう?

 子供の頃、中合のエレベーターガールとは、高嶺の花とでもいいましょうか、あこがれの職業とでもいいましょうか、小さな地方都市では、スチュワーデス(現在ではキャビンアテンダントですか?)と同じくらいの意味を持っていたように思います。
「何処そこの娘さんは、中合のエレベーターガールになったんだと。」
「そりゃ~、すげ~した。」
というような会話が成り立っていたくらいです。
美人であるというお墨付きをもらったことになるのです。

市民の間では、このデパートの三越百貨店を真似た包装紙で贈答品を贈ることがステータスでありました。
今では、そんなこともなくなってしまいましたが。

 長じてから、私は、ここのエレベーターに乗るたびに、エレベーターガールというのは、そんなによい職業なのだろうか?と思いました。
きれいにお化粧をして、標準語で案内をしているけれど、一日中立ちっぱなしだし、何回同じことを言うのだろう、うんざりしないのかな? それに、ツンと澄ましているし・・・

 まあ、タダのひがみなんですけど・・・ね。
あ、今日の担当の方は、にこやかで、可愛らしい方でしたよ。

さよなら白熱電球

2010年03月22日 | 昭和なもの
さよなら白熱電球 東芝が製造停止 120年の歴史に幕(朝日新聞) - goo ニュース

 日本で最初に白熱電球を作った東芝が、2010年3月17日、一般白熱電球の生産を中止したそうだ。
便利で、より性能の良い物が発明されれば、古い物は使われなくなってしまう。かつては、白熱電球がろうそくやランプに取って代わったように、それは仕方のない時代の流れなのだと思う。

 けれど、やっぱり、また昭和が逝ってしまうようで、淋しい。

 チエちゃん家でも、確かにToshibaの白熱電球を使っていました。
電球の頭に付いたあのロゴマークを覚えているもの。現在のゴシックのTOSHIBAじゃなくて、筆記体でTの横棒が長く伸びて、楕円を作っていたあのマークです。
 ちゃぶ台の上には、傘つきの電球があって、その光の下で一家揃って夕飯を食べていました。
夜中におしっこがしたくなり、布団の中でどうしようかと考えます。暗闇の中には魔物が潜んでいるように思えるから。どうしても我慢できなくなり、天井からぶら下がっている裸電球を手探りで見つけ出し、スイッチをひねると、オレンジ色の光が、部屋全体を照らし出し、なぜかホッと安心したものでした。
あれは、チエちゃんがいくつの頃だったのか・・・
座敷に、初めて蛍光灯が点いた日、昼間のように明るいと思ったけれど、蛍光灯があるのは、たった一部屋で、その他はまだまだ、白熱電球が活躍していたっけ。

 白熱電球と共に思い出すのは、碍子(がいし)です。
碍子というのは、送電線の鉄塔などについている白い陶磁器の絶縁体のことで、昔は一般家庭の屋内配線にも使われていたのです。天井の梁にむき出しに配線されていました。
チエちゃん家の碍子はすっかり取り外されているとばかり思っていましたが、なんと、現役で活躍していました。

  

本日、実家を訪問した際に撮影してきました。
冒頭の白熱電球も、チエちゃん家で現在も使われているものです。
残念なことに、Made in China でした!

ガーナミルクチョコレート

2010年02月20日 | 昭和なもの
 このブログにはブログパーツ「45年前カレンダー」あらため、「懐かしカレンダー」を貼り付けています。
たまたま、今日のカレンダーを見たら、ガーナミルクチョコレートのことが載っていました。
これ、ブログネタにしたかったことなのです。

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昭和39年2月20日の出来事昭和39年のヒット商品 「ガーナミルクチョコレート」
1964年2月
20
「お口の恋人」のキャッチフレーズで知られる製菓メーカー、ロッテがこの年「ガーナミルクチョコレート」を発売。
ロッテはそれまでガムの専業メーカーであったが、自社ではじめてのガム以外の商品の発売となった。
同チョコレートはミルクチョコレートの発祥の地、スイスの味をコンセプトにして開発された。「マイクログラインド製法に代表されるきめが細かくまろやかな味わい」を持ち、「ザラツキの無いなめらかな口どけ」の食感が特徴。
45年たった今でも何度かのリニューアルやバラエティに富んだ商品展開を続け、愛されている。現在ではオリジナルを含め12種類のバリエーションがある。
(参考:株式会社ロッテ/ガーナミルクチョコレート商品情報ページ)
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 チエちゃんは、このガーナミルクチョコレートが大好きで、おばあちゃんにおこづかいをもらっては、遠藤商店に買いに走っていたのです。
当時、大小2種類のガーナミルクチョコが発売されていて、小さなサイズが30円、大きなサイズは50円でした。
いつも、30円の小さいものを買うのだけれど、たまに50円のものを買ってもらったときは、すご~くうれしかった。
物価が上がって、小さなサイズが50円に値上がりした時には、がっかりしたものでした。

♪小さなひとみ 夢みるチョコレート
 きのうの海へ ふたりを連れてって
 チョコレートを食べながら あしたのこと考えよう
 いつも いつも チョコレート ロッテ!

このCMソングも、なつかしい。

デザインは少し変わったけれど、現在もあの赤いパッケージのままで販売されているのが、うれしい。欲を言えば、小さいサイズも出してほしいなあ。
 

虹と雪のバラード

2010年02月16日 | 昭和なもの
虹と雪のバラード  トワ・エ・モワ


 バンクーバー冬季オリンピックが始まりましたね。

 私たちの年代にとって、冬季オリンピックといえば、はやり長野より1972年の札幌大会でしょう。
64年には東京オリンピック、70年に大阪万博が開催され、この札幌オリンピック冬季大会と、日本が国際的なイベントを次々に成功させていった時代といえるでしょう。

 札幌大会で覚えているのは、ジャンプ競技です。
その時、日本は、金、銀、銅を独占し、後に日の丸飛行隊と呼ばれるようになりましたが、私の記憶に残っているのは、何と言っても、金メダルの笠谷選手です。
スキー競技にジャンプという種目があるのを知ったのも、たぶんこの時だったと思います。

 女子フィギュアスケートの銅メダリスト ジャネット・リン選手も記憶しています。
演技中に転倒しても、笑顔で滑り続けたことで、その笑顔が可愛いと、日本では金メダルを取った選手よりも大人気でした。

 そして、一番記憶にあるのが、トワ・エ・モワが歌うテーマ曲「虹と雪のバラード」です。
ネットで調べてみると、何とこの曲、いろんな人が歌っていたんですねえ。
男女二人のきれいなハーモニーなので、トワ・エ・モワさんが残ったのもうなずけます。
トワ・エ・モワさん、他にもステキな曲を歌っているので、調べてみてくださいね。


 さて、2010年のバンクーバー冬季オリンピックで、私が一番注目しているというか、一番見たい競技はカーリングです。
氷上のチェスといわれるだけあって、見ていておもしろいからです。
みなさんは、何を楽しみにしていますか?

ソーセージ

2009年09月23日 | 昭和なもの
 チエちゃんたちの年代で、ソーセージといえば、この魚肉ソーセージを思い浮かべる人も多いだろう。
本物のソーセージなど食べたことがなかったから、ソーセージとはこういうものだと思っていた。


 あの頃、冷蔵庫のなかったチエちゃん家では、保存のきく便利な食物であっただろうと思う。
 おじいちゃんが作るカレーには、絞めた鶏のお肉といっしょに銀杏切りにしたこの魚肉ソーセージが入っていたし、オムライスの中のチキンライスもどきにも鶏肉代わりとして入っていた。チャーハンの焼き豚代わりにも、みじん切りにしたそれが入っていた。
もちろん、お弁当のおかずにも、フライパンで両面を焼いた魚肉ソーセージが入っていた。
 おやつに丸ごと1本もらえた時には、それはもう、うれしくて、弟とゆっくりゆっくり味わって食べたものだ。



 ヒロシは買い物についてくると、この魚肉ソーセージをカゴに入れる。
そして「これさぁ、塩コショウして焼いて食うと、うまいんだよなあ」と、必ず言うのだ。

 かくして、休日の中年夫婦の昼餉は、焼き魚肉ソーセージと相成った。

トムとジェリー

2009年09月03日 | 昭和なもの
書店の店頭ワゴンに並んでいた写真のDVDを衝動買いしてしまいました。
2枚組980円という安さもうれしい。

子供の頃、「トムとジェリー」が大好きでした。
私だけでなく、家族そろって大ファンだったと思います。

無声映画のように映像だけで見せる面白さ。
豪華な応接セットやベッド、システムキッチン。プール付の家。
そんなアメリカの家庭へのあこがれもいっぱい詰まっていました。
中でも、ジェリーの好物、あの穴の開いた四角いチーズというものを一度で良いから食べてみたいと思ったものでした。

この作品は、日本での著作権保護期間が終了したアニメだそうで、それでこんな値段で提供されるのだと納得しました。
昔の作品が見られるなんて、こんな時代が来るとは考えてもいなかったなあ。

しばらくは、これで楽しめそうです。

トムとジェリー 「夜中のつまみ食い」



クレゾール石鹸液

2009年08月30日 | 昭和なもの
ひょんなことから、ひょんなことを思い出すものです。

ニュース 県内の小学校では、新型インフルエンザ予防対策として、アルコールで手指の消毒を行うことにしたという。

昔は、そんなのなかっ・・・  あーっ!あった、あった!


保健室とトイレの手洗い場の脇に必ず置いてあった。アルマイト(注!)の洗面器に入ったツーンと鼻をつく臭いの液体。
その中に手を浸して消毒します。

クレゾール石鹸液。

 掃除当番の子が、毎日、その液体を交換することになっていました。
アルマイトの洗面器に水を汲み、いかにも中身は化学薬品だと言わんばかりの茶色の瓶のキャップを取り、そのキャップに液体を少し入れる。
それから、キャップの液体を洗面器の中に流し入れるのです。
 すると、あら不思議!赤茶色の液体は、水に入った途端、乳白色に変化するのでした。
 それが、楽しくて、私は進んでその係を買って出ていたように思います。
 他の人は嫌いだというあの臭いも、私は好きでした。

 そういえば、昔の病院の臭いも、あのクレゾールの臭いだった。


 調べてみたら、クレゾール石鹸液は新型インフルエンザに効果がないそうです。


注:きゃあ~、やっちゃった。頭の中では白のホーロー製をイメージしていたのに、何の疑いもなくアルマイトって書いちゃったよぉ。
たぶん、アルマイトじゃ化学反応を起こして、ダメだと思うんです。
訂正します。失礼しました。(2009.8.31)

思い出の一曲

2009年08月20日 | 昭和なもの
Boney M - Rasputin


 ホームページの100の質問に答えていて、なつかしくなったのでYou Tubeで探してみました。

これこれ、これですよ。
boney M 「Rasputin」

あの頃は曲のタイトルさえよく知らなかった。


 当時の私は、かぐや姫ユーミンの世界にいたわけですが、ヒロシと行った富士スピードウェイ旅行の時にコスモのカーステレオから、ガンガン流れていたのがこの曲だったのです。

 当然私は、この変な曲は何?
と思ったわけで、不思議なもので、繰り返し聴かされているうちにすっかり馴染んでしまったのでした。

 田舎ですから実際に行くことはなかったけれど、70年代ディスコ全盛期で、こうしてドライブの時はディスコミュージックをボリュームを大きくしてかけていましたね。

他には「Daddy cool」「Bahama mama」「Gatta go home」「Belfast」なんか、なつかしいですね。