気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

眼鏡屋は夕ぐれのため 佐藤弓生

2008-05-02 00:34:34 | つれづれ
眼鏡屋は夕ぐれのため千枚のレンズをみがく(わたしはここだ)

腿ふとく風の男に騎られてはみどりの声を帯びゆくさくら

かんたんなものでありたい 朽ちるとき首がかたんとはずれるような

神さまのかたち知らないままに来て驢馬とわたしとおるがんの前

ゆくりなく夕ぐれあふれ街じゅうの眼鏡のレンズふるえはじめる

(佐藤弓生 眼鏡屋は夕ぐれのため 角川書店)

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先日読んだ佐藤弓生の第二歌集。
先週の土曜日のNHKBS短歌スペシャルの京都歌会にも出演していらっしゃった。
透明感があって、夢見るような歌風。

一首目。物語のはじまりの一首。結句のかっこ書きの(わたしはここだ)の表記が新鮮。
二首目。桜がだんだん葉桜になっていく過程を読んだ歌。「みどりの声を帯ゆく」が巧いなあと思う。
三首目。はっとさせられる、こういうものの感じ方もあるのだ。物事に執着がなくすがすがしい。

短歌の世界には「夕暮れ短歌」というものがあると聞く。どんな歌でも夕暮れとか黄昏とかを読み込むと、それらしく叙情的になる。私もときどきそれをやってしまうのだが佐藤弓生のようにはうまく行かない。