気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

月蝕書簡 寺山修司 つづき

2008-05-19 01:11:25 | つれづれ
酔いて来し洗面台の冬の地図鏡のなかで割れている父

かくれんぼの鬼のままにて死にたれば古着屋町に今日もくる父

つむりたるわが目蛍となりゆきて夢に情死の母を見にゆく

セールスマンの冬のソフトにはさまれし家族あわせの母が一枚

履歴書に蝶という字を入れたくてまた嘘を書く失業の叔父

目つむれば夜のプールにうつりいるわれの老後と一本の藁

(寺山修司 月蝕書簡 岩波書店)

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寺山修司の短歌は映像的なものが多い。セールスマンの歌は、映画の一場面のようだ。
一首目は「鏡のなかで割れている父」というフレーズが魅力的。また「かくれんぼの鬼」のような既視感のある言葉がよく出てくる。
五首目にもあるが、これらの歌は嘘と言えばみんな嘘なのだ。
享年四十七歳は若いが、年取った寺山修司は想像できない。早世であっても本人にふさわしい年齢であったのかもしれない。


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5 コメント

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「○○コース」 (tamaya)
2008-05-19 20:11:59
こんばんは。その昔、学研の中学~高校の学年別雑誌(「○○コース」)を購読していました。どの学年だったか忘れましたが、詩の投稿欄の選者が寺山さんでした。なんてラディカルなひとなんだろうと思いました(ずーっと後に角川『短歌』の「公募短歌館」の塚本邦雄選の欄を見て、同じようなことを感じたのでしたが)。学年が進んでその学研の雑誌の詩の選者も替わりました。その時に、「寺山さんの選は大嫌いでした」という読者の投稿が載り、それに対して学研の編集部から「寺山さんは寺山さんの立場で選をされていたわけです」という、なんだかよくわからない返信が載っていたのをいまだによく覚えています。それが私の寺山さんとの最初の出会いでした。
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Unknown (かす)
2008-05-19 22:16:40
tamayaさん こんばんは。
昔は、○○コースと○○時代がありましたね。
でも私は詩の投稿など思いも寄らないことでした。
当時はグループサウンズに夢中でした。
いま思えば、あれもこれも歌ですが、ミーハーでわかりやすいものが好きでした。いまも歌謡曲的とときどき言われています。
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Unknown (かすみ)
2008-05-19 22:17:37
↑の投稿「み」がなかったわ。
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出会いというと、 ()
2008-05-20 00:10:14
僕の寺山短歌の出会いは、「海を知らぬ少女の前に麦わら帽のわれは両手をひろげていたり」(←「わら」が出ません。)
でしたね。小学六年のときの、教科書でした。
はじめ読んだときは、「この字余りがイヤ。」って思いながら読んだ覚えがあります。
いまでは、もちろん、愛唱歌のひとつですが。
しかし、短歌をはじめて、いちばんショックだったのは、「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」が富沢赤黄男(だったっけ?)の俳句のコラージュだと知ったときでしたね。
このことを歌人との飲み会なんかで話すと、みなさん「寺山は、あれでいいんだよ。」っていうんですけど、やっぱり残念です。
ちなみに前日の「タバコのにほひ」は、これを踏まえていらっしゃるんですね。
こう言ってはみても、やはり、語り尽くせぬ魅力が、寺山修司にはあるようです。
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Unknown (かすみ)
2008-05-20 10:32:53
森さん こんにちは。
私は、学生時代の国語の時間に短歌を勉強した記憶がほとんどありません。遠い昔のことだからでしょう。
次回の短歌人関西歌会の研究会で、『月蝕書簡』が取り上げられるということで、図書館から借りて読みました。寺山修司は、アンソロジーなどで読んだ程度でしたが、最近読み始めたという感じです。
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