気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2007-02-05 23:28:03 | 朝日歌壇
死ぬときはひとりといえどさはあれどきょうからはじまるひとりの歳月
(川崎市 真家希紗)

砂嵐去りしアリゾナひとまわり大きく重く月這い出でぬ
(山形県 清野弘也)

いくつもの顔と声とを仕舞いつつムーミン谷へ帰りゆきたり
(茨木市 瀬川幸子)

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一首目。ひとり暮らしをはじめた作者。学生なのか、就職したのか、離婚したのか、家族と死別したのか、理由はわからないが、最初の死と最後の歳月だけを漢字にして、そのあいだのひらがなの連なりからさびしさが伝わる。なにか本人には不本意な事情でひとりになられたように思える。
二首目。山形県の作者なので、旅行でアリゾナへ行って、そんな状況での月を見たのだろうか。月這い出でぬという表現が、砂嵐のあとという状況をうまく出している。もしかしたら、実際にはそこにいなくて、テレビで見た映像から作った歌かもしれない。きのうの社会詠のシンポジウムのあとなので、なおさら考えさせられた。
三首目。亡くなった岸田今日子さんへの挽歌。ムーミンの声もしていたっけ。私は「男嫌い」というドラマで、「かもね」というせりふをけだるく言っていた印象が強い。またショーケンこと萩原健一の「傷だらけの天使」にも出ていたのを記憶している。最近では、吉行和子と冨士真奈美と三人でよくドラマに出ておられた。ひとはいつか死ぬとはいえ、やはりさみしい。