気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌フォーラム IN HYOGO

2007-02-25 23:11:16 | つれづれ
近代の鬱を写せばモノクロのトマス・カーライルの肖像写真

カーライルの墓地まで歩く生家から五分 否 八十六年

ふたたびを来むことあらね遠ざかる村美しき風景となる

(香川ヒサ 鱧と水仙第28号)

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きょうは、兵庫県歌人クラブの短歌フォーラムに出かける。一番の目的は、香川ヒサの講演を聴くこと。
「成熟社会における可能性としての短歌」というテーマで、話題になっている歌人の歌を例にあげてのお話があった。年を重ねて肉体的に、社会的に下降する時期になると、いままでさっさと出来ていたことにも時間がかかって、老人は忙しいという。さもありなんと思う。当の香川さんは団塊の世代らしいが、黒のパンツスーツをかっこ良く着こなして、論理は明快、気持ちのよい方である。以前、別のところで、紹介していただいたことがあって、わたしの顔を覚えていてくださった。そして、鱧と水仙の最新号をプレゼントしていただいた。サインをしてもらいたかったが、サインペンがなかったので断念。電車の中で、鱧水をパラパラと読みながら帰ってきた。
↑のカーライルの歌の二首目。こういう視点は香川さんならではのものだと思う。
わけあって、ロイヤルホスト西灘店で夕食。



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