気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

歌集 キンノエノコロ 前田康子

2007-02-22 21:31:07 | つれづれ
キンノエノコロとう呼び出し音で電話したい日の暮れ遠目などして

春の月出ておいで今日寂しさはポケットのない上着のようだった

鉛筆は樹木にそっと戻りたい雨降る部屋で呼吸しながら

ぽぷらあは光をためて揺れ合う木あれがなければ泣いていた日々

花水木眩しく咲きぬ産み終えて重心一つなくなりし今日

産みし午後、文字という文字釘のごと飛び出て見える紙のおもてに

(前田康子 キンノエノコロ 砂子屋書房)

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前田康子の第二歌集『キンノエノコロ』を読む。
前田康子のだんなさまは吉川宏志。このご夫婦は、私と同じ左京区に住んでいて、高野川沿いの河原の風景を見て暮らしておられる。
草や木や虫がたくさん出てくる歌集だ。歌集の途中で二人目のお子さんが産まれている。
一首目。雰囲気はつかめるが、どこで切ったらよいのかわからなかった歌。きっとここから歌集の題が取られたのだろう。
二首目。よくわかる歌で好感が持てるのだが、どうして結句「ようだった」まで言ってしまうのか、私には不思議な気がした。
花水木のうたは、吉川宏志の「花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった」と並べて読むと興趣が増す。
一番感心したのは、最後の「産みし午後、」の歌。そういえば、わたしもお産のあと、こんな気がしたものだ。もう遠いむかしのことだけれど、お産という大事業を終えたあとのなんとも言えない感覚が、うまく捉えられていて感動した。



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