気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

渾円球 高野公彦歌集

2007-02-08 00:25:53 | つれづれ
夜の卓に胡桃まろびてとまる音幽かなる世に入りたまひけり

柿若葉けやき若葉の匂ふあさ鏡のなかに亡き母棲めり

雨の日の校舎のかげの椅子ひとつ人坐らねば椅子老いてゆく

夏の雲集まりやすく秋の雲散りやすきかな百日紅(さるすべり)のうへ

夜の野辺に<ひかり>と<ひかり>すれちがひ瞬時肝胆(かんたん)相照らしたり

(高野公彦 渾円球 雁書館)

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府立図書館で借りて、高野公彦の『渾円球』を読みはじめる。
ときどき難しい言葉が出てくるので辞書を引きながら読む。内容はそうむつかしくなく、納得させられるものが多い。ひかりの歌、下句に漢字が多いが、勢いがあって、良い歌だと思った。次の歌集も出ていて読みたいものだが・・・


今日の朝日歌壇

2007-02-05 23:28:03 | 朝日歌壇
死ぬときはひとりといえどさはあれどきょうからはじまるひとりの歳月
(川崎市 真家希紗)

砂嵐去りしアリゾナひとまわり大きく重く月這い出でぬ
(山形県 清野弘也)

いくつもの顔と声とを仕舞いつつムーミン谷へ帰りゆきたり
(茨木市 瀬川幸子)

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一首目。ひとり暮らしをはじめた作者。学生なのか、就職したのか、離婚したのか、家族と死別したのか、理由はわからないが、最初の死と最後の歳月だけを漢字にして、そのあいだのひらがなの連なりからさびしさが伝わる。なにか本人には不本意な事情でひとりになられたように思える。
二首目。山形県の作者なので、旅行でアリゾナへ行って、そんな状況での月を見たのだろうか。月這い出でぬという表現が、砂嵐のあとという状況をうまく出している。もしかしたら、実際にはそこにいなくて、テレビで見た映像から作った歌かもしれない。きのうの社会詠のシンポジウムのあとなので、なおさら考えさせられた。
三首目。亡くなった岸田今日子さんへの挽歌。ムーミンの声もしていたっけ。私は「男嫌い」というドラマで、「かもね」というせりふをけだるく言っていた印象が強い。またショーケンこと萩原健一の「傷だらけの天使」にも出ていたのを記憶している。最近では、吉行和子と冨士真奈美と三人でよくドラマに出ておられた。ひとはいつか死ぬとはいえ、やはりさみしい。


春畑茜『きつね日和』批評会

2007-02-04 01:45:19 | おいしい歌
蜜豆のひそひそ話ひそひそと陶(たう)のうつはに生(あ)るるさざなみ

寒天のうすくれなゐにあはき白午後のひかりを匙は掬へる

灰白の志野の小皿のうへにしてひとつぶおほき梅干は光(て)る

(春畑茜 きつね日和 風媒社)

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春畑茜第二歌集『きつね日和』の批評会に名古屋へ出かけた。
加藤治郎、松村正直、東直子、中津昌子のパネラー各氏の批評を中心に、この歌集をいろんな方向から読むことが出来た。わたしとしては、春畑さんの食べ物の歌が好きで、よく「食べ物のうたはおいしそうでないとダメね」と言い合っていたので、この方面の意見が出なかったのが残念だった。
ネット上の歌会や題詠マラソン、題詠ブログ100首に共に参加し、苦労している仲間として(ずっと後輩ではありますが)本当に良い歌集が出来たことをこころからお祝いしたい。そしてますますのご活躍をなさいますよう、春畑短歌のファンとしてもっともっと読みたい気持ちがまた高まった一日であった。


サイネリア考 蒔田さくら子歌集

2007-02-03 01:29:36 | つれづれ
秋明菊あるいは秋冥菊と書く照り翳りするこころのままに

シネラリアその名を忌みてサイネリアと呼びかへにけり大和ごころは

何をしてゐるかと声は身のうちの奥の奥よりみづからに問ふ

逝かせじと声かけしときわが肩を摑みし手力(たぢから)在りて最後の

いかなれば左目のみに湧く涙おそらく右目は死を忿(いか)りゐむ

(蒔田さくら子 サイネリア考 砂子屋書房)

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蒔田さくら子の第九歌集。先日の新年歌会でサイン入りを購入した。
背筋のしゃんとした女性というのは、蒔田さんのためにある言葉と思うほど、しゃんとした方。姿もものの考え方も。
短歌人会を支えてきた高瀬一誌との別れを歌った作品には、強い友情がにじみ出る。高瀬さんなきあと入会した私にも、お二人の友情が計り知れない大きなものだったことがわかる。自分を見据える歌、言葉にこだわる歌に魅力がある。